イエシュアを表す祭り 春の過越 秋の仮庵に住まう7日間 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一年で一番大きな祭り、秋の祭り、仮庵の祭りが20日月曜日

日没から始まりました。月曜日27日の日没まで続きます。

 

過越と仮庵の祭りは必ず満月になります。

日本でもお月見の十五夜ですね。

旧暦の8月15日が満月となりますが、

聖書の暦では、第七の月の15日が”仮庵の祭り”満月になる日

なのです。神の祭りの日は、毎年曜日も、日にちも違います。

来年2022年の仮庵は、10月9日日曜日の日没から

16日の日没までです。満月から始まります。

 

仮庵の祭りは、救い主の再臨を表す預言的祭りです。

春の祭りは、救い主が初めて地上に到来した事に関する

預言的祭りです。

古代の人々が聞いて考えていた通りに聖書を読んでみると

様々な事実が浮き彫りになります。

 

春の祭りの一連は、出エジプトにまつわる出来事です。

イスラエルはエジプトで400年以上、偽の神と偽の王に仕える

奴隷として過ごしました。奴隷と言うと現代の異教の文化で考えてしまいますが、奴隷として働いても十分な報酬はあり、

美味しい食べ物はあり、家まであったのです。

これは絵画的教えでもあります。偽物、まやかしに仕えていても

そのまやかしの中には偽物の目標、楽しみなどがあるのです。

それらを”レンガ”を積み上げて生きていたと言うことでも

表されています。レンガ=虚しい偽物、虚構を生きること。

 

そして、鴨居に塗られた子羊の血がある家の初子は全て命が

救われました。鴨居に塗られた子羊の血はイエシュアの贖いの血を表すものです。そして、贖い出された人達は”マッツア”=

要らないものがそぎ落とされた状態=義とされている事を表す

種無しパンを食べて出エジプトして約束の地に入ります。

 

全部これらの事実はどの時代でもどの人種でも救われた

一人一人全てにぴったり並行して当てはまる事実なのです。

 

イエシュアが過越の祭りで処刑された事実と出エジプトで

表された内容はぴったり同じに並行しているのです。

これが春の祭りの一連で表されているのです。

 

出エジプトする前夜は過越です。過越でイエシュアが1世紀に

最初のイスラエルへの到来でされた業が表されています。

鴨居に子羊の血を塗った、神が代価を払い偽の主人から買い取る

事実を表しています。そして、買い取られた人は、

神の衣=義の衣を既に神から与えられているのです。

アヴラハムに示された同じ福音です。無償の代価、義とされて

いる神の側で100%責任を負い神の子らに与えられている

事実は永遠の中から、最初から存在しているのです。

 

創世記15:6アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と

認められた。

神が一方的に与える約束を神が成立した記録が記されています。契約は両者間の合意で成立しますが

神がこの時アヴラハムにされた約束は、神が一方的に責任を負う

神が100%保証する事実が儀式を通して表されている記録が

創世記15:8−21です。

 

福音は古代の人は行いで、現代は信仰で恵みにより受け取ると

言う教えを聞いて来ましたが、聖書だけに戻ると神は最初から

同じ神の言葉は途中で変わらない、福音は最初から語られていて

それは変わらないものなのです。

イマニュエル=我らと共に住まう神の性質、実態、現実は

永遠から永遠まで同じだからです。イエシュアは昨日、今日

永遠に同じで変わらない!と書いてある通りだからです。

 

アヴラハムは、シナイ山でトラーが与えられる前から、神から

同じ教え=トラーを聞いて理解していた記録が書かれています。

 

創世記6:5 アブラハムがわたしの言葉にしたがってわたしのさとしと、いましめと、さだめと、おきてとを守ったからである」

 

ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を

見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。

創世記22:18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫に

よって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」

エデンの園を出てすぐにカインとアベルは神に捧げ物をしています。前後左右何の解説もされず事実だけが唐突に書かれています。

そして、出エジプトしてすぐに宿営した場所は、”スコテ”です。

1つ1つ聖書に記された事実を繋げて行けば、聖書は入り組み

縫い合わされ、同じ事実が並行して何度も語られている事を

発見します。

スコテ=仮庵です。仮庵=イエシュアです。贖われた人達は

地上の旅路で仮庵=イエシュアの中に住まう事実が表されて

います。

出エジプトした後、7日の間種無しパンを食べる中で初穂を祝う日があります。復活の命=新しくされている、義とされている

事実は、イースターと言う異教の女神の名前で呼ばれる祭りではないのです。

最初から神がその記念日を種無しパンを食べる週の中、過越で

イエシュアが処刑された3日後と重なる日で設定されている。

約束の地に入るまで農作業は出来ませんが既に神は創造の最初

から、神の記念日=福音的預言的記念日の全てを造られ、

人に与えられていたのです。

 

約束の地からヨセフの家族はエジプトに出ました。

エジプトに住まい、エジプトから再び約束の地に戻る。

これをイエシュアの生涯の最初と比べて見ればマッチしている事に気が付きます。イエシュアは生まれてすぐエジプトに下りました。そしてイスラエルに戻り永遠の中にある完了の業を

地上で成就しました。

 

マタイ2:14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子と

その母とを連れてエジプトへ行き、

2:15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、

主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と

言われたことが、成就するためである。

2:20 「立って、幼な子とその母を連れて、

イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、

死んでしまった」。

 2:21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、

イスラエルの地に帰った。

2:22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを

治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。

そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、

2:23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちに

よって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

 

そして、春の最後の祭りは過越から7週後、7回のシャバットを

経て、初穂を数える=贖われた人の成長を考え吟味して生きる

花嫁となる印の約束を受け取るシャヴオートの祭りを迎える。

シナイ山で神の指で直に書かれた婚姻契約を人類初受け取ります。これがシャヴオート<ペンテコステ>の祭りの真髄です。

これが春の祭りの一連です。

 

ここで考えてみると見える事があります。

古代のユダヤ人は聖書に記されている内容をどう聞いて考えて

いたのかと言う事です。

異邦人には見えない世界があります。それは文化的、歴史的

時代背景や、そして言語の意味する事などを知らなければ

見えない世界があるからです。

 

日本の古事記、古典や、又はシェークスピアの原書を現代の人の意識で読んでも、時代歴史文化言語背景の知識無しに読んでも

理解出来ないからです。聖書も同じなのです。

 

シナイ山で婚姻契約を受け取った事実、一大イベントとして

天と地を証人に世界へ語り継がれる内容のものです。

イスラエルと少数の異邦人は神の声を直接

シナイ山の麓で聞いたのです。

天がシナイ山の山頂に降りてきた。

 

ここで1世紀の使徒達やユダヤ人達が繋げて考える内容が記述

されています。モーセと70人の長老達が山の上で見たものは

何だと書いてありますか?

 
出エジプト24:10 そして、彼らがイスラエルの神を見ると、
その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、
澄み渡るおおぞらのようであった。
 
神に足がある? サファイヤの敷石=天の御座です。
足=顔=イエシュアに会ったのでしょう。そしてモーセの顔が
イエシュアの栄光で輝いた。

モーセと70人の長老はシナイ山の山頂でこの婚姻契約を受け

取った印に神との宴会をしました。契約には必ず儀式が伴います。日本人でも結婚式があったら祝宴をしますね。

 

この最初のシナイ山での文字で書かれた婚姻契約=それまで

個人個人に神が現れて口頭で伝えて来た同じ神の教え、

インストラクションを初めて文字として、神との契りにある人達の生きる全てが書かれたものが与えられたのがシナイ山です。

この出来事の並行があります。

 

マタイ17:1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの

兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。

17:2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、

その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。

17:3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、

イエスと語り合っていた。

これをユダヤ人が聞いたら、即座にシナイ山の山頂での

最初のシャヴオートとの出来事と繋げて考えられるのです。

そして使徒2章の出来事。聖霊初降臨祭りではなく、

この使徒2章でのシャヴオート<ペンテコステ>の祭りで、

今までイスラエルが代表として与えられた同じ婚姻契約=福音=トラーが全世界の異邦人達に運び出される幕開けの証拠としての

祭りが、使徒2章のエルサレムでのシャヴオートの祭りの一連

なのです。

み言葉=神のトラーはシオンから全世界へ出ると言う賛美歌を

クリスチャンの世界でも歌いますが、

この使徒2章のシャヴオートの出来事なのです。

 

イザヤ 2:3 多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に
登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。トラー<婚姻契約=神の教え、インストラクション>シオンから出、
主の言葉はエルサレムから出るからである。
 
イザヤは神のトラーが全世界へ運び出され教えられ皆が神の教えを聞いて生きる未来預言をしているのです。
その始まりが使徒2章です。福音はユダヤ人から伝えられた。
イエシュア=ユダヤ人の長子。

 

続く