ローマ書、ガラテヤ書、コロサイ、エペソ、コリントなどなどのパウロの書いた書簡に対して、キリスト教の中で語られる解説
では、パウロがモーセの五書を否定しているがごとくにしか
語られているのを聞いた事がないと思いますし、元に日本語圏の教えではほぼ100%そう語られています。英語圏は別ですが。
シャウール<ユダヤ名>パウロ=ポロス<ギリシャ名>と言う
人物像が初めから歪められて解説されているからです。
歪められている=パウロはトラー=モーセの五書を否定した
新しい教えを編み出し伝えているとキリスト教の教えでは
解説されているからです。しかもイエスキリストは、キリスト教と言うトラーとは違う新しい教え宗教を作ったので、その宗教に改宗したパウロは、サウルからパウロへ改名したと教えられま
したが、それも空想話でパウロの生まれ背景を聖書から読み取らない、只の人の作り話です。
作り話、憶測、推測が聖書の真実のごとく語られ続けているのです。パウロは最初から2つの名前があるのです。
パウロがトラー=イエシュアの教えを捨てて、ローマ西洋宗教に改宗するなど天地がひっくり返ってもあり得ない事実です。
イエシュアは、モーセの五書を否定した新しい教えも作ってないし、教えてもいないし、生きてもいません!
モーセの五書=父の教えを否定削除も破棄もしていません!
”ウルトラマンタロウウルトラの父を撃退する家族紛争の巻”は
聖書の事実ではないと言うのが聖書の事実です。
トラー=神の教え、言葉=父の言葉=婚姻契約=モーセの
五書とは違う教えなど聖書のどこにも1度たりも登場しません。
書いてあると言うならば、それは聖書に書かれた内容を読み違えているだけです。不適切な翻訳や、聖書に書いても無い文章や
言葉を挿入して意味を変形している翻訳と、そして人が解説する
神の言葉を否定した教えを土台に考えているのが、
聖書とは違う解釈をする本当の原因なのです。
トラーを否定する、イコール神ご自身=イエシュアを否定する
事であることに、クリスチャンの世界では全く気が付くことが
無いと思います。イエシュア=トラーと書かれている事実を読み取っていないからです。神の言葉を破棄するためにイエシュアが
地上に来られたと言う教えを聞き続けて、このガラテヤ書に
書かれていることもその思想に沿って解説されてしまっている
からです。
パウロと言う人物が誰なのか?と言う事を聖書から知らないと
ならないのです。神の使徒は神のトラー=モーセの五書を否定
する別の福音を語る人であるならば、神から決して使徒として
任命などされない!と言う聖書の中、神の教えの重大事実を
知って置かないとなりません。
当時1世紀のユダヤ人の世界を知れば、神の使徒でありユダヤ人であり、当時のトラー学者の中でもトップクラスであったパウロが神の使徒として、世界へ神のヘブライのトラーを正しく伝える役割をなぜ与えられたのか分かります。
パウロ=ユダヤ人でありパリサイの中のパリサイの子であり、
生涯トラーを100%支持し、イエシュアを救い主として受け
取り、そしてユダヤ人の社会、国会=ユダヤ人議会でラビ達の前で、パウロは100%モーセの五書を支持し否定などしていない!とその事実を何度も宣言している通り、パウロはモーセの
五書、神の言葉の一点一画のどの箇所も一度たりとも否定した事など無い事実が、クリスチャンの世界で語られることもなければ、パウロがトラーを生涯教え、生きた事実を教えられる事が
すっぽり抜けているのです。神の言葉の事実では無く、律法は廃れて破棄されたと言う人間の作った教えを信じているからです。
パウロは話す相手により、手を変え品を変えコロコロ教えを
カメレオンのごとく変えて行く様なパウロ像を勝手に作り上げて
しまっているのです。
それは、すべて注意深い原典聖書の記述から書いてある意味通りを学ぶ、聖書の学びをしない事、人の教え=神学を支持し、
永遠不変の神の言葉を否定している教えを聞き続けている事。
人間の教えとは何?マルキオンやダービーは、救われた人は、
聖書を読む必要などない、福音書に書かれた山上の垂訓さえ生きる必要もない!などと説いた教えを土台にしているその教えです。神の言葉は終了と言う意識が常に根底にあるからです。
ユダヤ人は律法で滅び、異邦人は律法を破棄して勝利した!など反聖書的教えを普通に説教の中で語る人々の教えしか聞かされないからです。聖書ではない、ただの人間が考えた思想の教えを
聞かされている!と言う事、聖書の事実と矛盾する事に気がついた人は神の言葉の真実を理解出来ます。ここに書いてあることも鵜呑みにしないで、聖書だけに戻り何が本当に聖書に書いてあるのか、自分の目で個人個人が聖書からだけ確認してください。
神は神の言葉を通して聖霊により必ず神の永遠不変の言葉の真実を確証させて下さいます。
神の言葉は変化したと神がいつどの言葉で語っているのか?
そんな事聖書のどこにも書いてありません。
永遠不変、永遠と言われたらそれ以降に書かれていることも
同じく永遠なのです。永遠という言葉の意味が途中で、
テンポラリー、一時的に変更になどなると言う発想、空想は
神の教えでは無い、異教徒の世界、異邦人思想が考えるのです。
何が霊的戦いの中心か気が付いて下さい。
エデンの園の出来事と同じ!神の言葉を薄め、価値を低めて
神の言葉は重要ではないと人間に思わせる事です。
人から神の言葉と言う鎧兜を奪ったら、攻撃し易いでしょう。
絶対的価値基準、神の教えが揺るぎ、騙し易い、神と疎遠な関係を生み出し神を疑う様になります。
イスラエルの神とは別の神像を作り出して、別物の意識を刷り込まれてしまいます。
人が神の言葉に聞く必要がない、自分で考えて納得した方を
たとえ神の言葉と相反しても良いと言う思想を蛇が放り込んだこと!神の言葉から意識をそらすこと!これが敵の最大の作戦で
あり、人が神の言葉から注意を外らせたら、偽物を意識の内側に
放り込み、神を疑い=神の言葉は真実ではない、途中で変わる、神の前から隔たりが出来て、神の内側の外側に飛び出すからです。
ガラテヤは特に3章の中に書かれている意味を、ゆっくり
忠実にパウロが書いた本当の意味を紐解き、噛み砕いて考え続ける必要があります。大きな大きな塊のゲンコツ煎餅なので
ちょっとずつ噛み砕いて消化する必要があります。
別の教えに色塗られて曲解されて解説されているパウロの言葉
書簡だからです。
翻訳聖書の世界と原典聖書の内容の違い、そしてパウロの居た
時代の宗教世界の仕来りや、事情、ラビ達が編み出した
口頭トラー=聖書とは関係無い教え=別の福音が蔓延していて
それに影響されていたガラテヤの人たちの神の言葉に対する
誤解、混乱と意識問題をパウロが正している事を前提に読んで
みてください。
そして、ガラテヤ3:10に書いてある内容を異邦人はこう考えて
います。
神の教え=トラーに書かれた教えの1つでも間違ってはダメ!と神が命令している!コケたら呪われる!!!と考えているのです。
だからその恐怖の呪いから解放しにイエシュアが来られたのだ〜とすれば、その人の教えの中では辻褄が合う教えに聞こえますよね?でもパウロの書いている意味を取り違えています。
1世紀当時のユダヤ人、今現在でもそんな事考える方が変であると、トラーを知る人なら知っています。ユダヤ人はクリスチャンの様な考えを神の教えに対してしません。
アダムとエバさえ完全なる人として作られたのにコケたでしょう。
最初から神の教えの中に人がこけたらどうするか!の備えが
モーセの五書にはちゃんと書かれていることに気がついて聖書を読んで下さい。永遠の中から人がずれることを知っている神は
その助け舟もちゃんと用意していると聖書に書いてあるのです。
神の前にずらずら書かれた掟リストをこなす意識で神の教えを
語るのがクリスチャンの世界の教えなのです。そんな事、神が
要求などしていないのです。人はコケると神は最初から知っているから、全ての救済策をも用意していると言う事実から目を逸らさないで神の語る通りを受け取るのです。救済策=イエシュアが
書かれているのです!トラーには。
神の教えからずれたら、呪われる=そうでしょう!ズレ、罪を
やらかした時の体験を思い出せば誰でも分かるでしょう。
そして、トラーに書かれた軌道修正、悔い改めと言う翻訳ですが
悔い改めとは神の教えに戻り、神が提示する正しい修復の仕方を
して、関係や状態を元どおりにすると言うことなのです。
イエシュアがされた業が神殿の祭壇の上での神との会話の中で
語られている事実をクリスチャンは教えられていないのです。
同じイエシュア、同じ福音、同じ救い、贖い、許し、恵、祝福が
トラーには書かれているのです。
それをしない人は呪われる=神と人との隔たり、神の臨在から
離れた状態に陥るよ!と聖書の意味通りに読んでください。
10節でパウロが言っているのは、人の教え=改宗儀式をして
神の義を得ようとする行為は、神がトラーで教えている信仰に
より義とされている行為とは違うから、呪われる!=神の真実な関係や、意識から外れていると読めば理解出来ると思います。
そんな事しても神の前には無意味、神の教えを誤解して隔たりを
生むだけだよと言う事をパウロが話しているのです。
”トラーを行わない者は呪われる”とは、そして救われた人は、
トラーに書かれたこととは違うことをする人は、
呪われる〜神の臨在から遠くなると言うことです。
クリスチャンの世界では、トラーを生きる人は呪われた生き方であるなどと、聖書とは全く違う解説をしています。
トラー=神の教え、インストラクションを行わない人は、霊に
導かれていない、神の言葉を生きる事をしない人であると言う事なのです。これは例を出して後で説明してみます。
神の言葉は鎧兜、プロテクトガードなのです。
もしずれたら、その時の軌道修正もその中に含まれているでしょう?だから完璧にやれないなら怒りをぶちまけるぞ〜!!!など神が言っているなんて異邦人の様にユダヤ人は考えることさえ
しないのです。神の言葉は蜜の様に甘く!とあるとおりに
受け取っているからです。
続く