その2  永遠に変わらない神のオリジナル記念日 週一度の記念日 Shabbat | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

コロサイ2:16だから、あなたがたは、食物と飲み物とに

つき、あるいは祭や新月や安息日などについて、

だれにも批評されてはならない。

2:17 これらは、きたるべきものの影であって、

その本体はキリストにある。

 

食べ物、飲み物、新月、シャバット、祭り=イエシュアそのもの

それを生きる人たちの中からイエシュアそのものの性質が

現れ出る=天にある現実を地上で表す影なのです。

影〜移り行き消えるものと言う解説がありますが、

人の影はその人が存在する限りいつもその人の姿そのものを

映し出すものです。

影とは、目に見えない天の現実=イエシュアを地上で生きて

表すものを話しているのです。

それは、食べ物、飲み物、神が指定した人の衣食住の生き方、

そして新月、シャバット、祭り=イエシュアの業のそのもの

全てを表すものを地上で生きる人々を通して現れ出ると言う

意味なのです。

 

人は神の言葉を無視したので、死を招きました。

 

それは肉体的にも精神的にも、関係の世界にも、そして本当の

自分が誰かをみる目からも離れて別物を学習してしまった結果が

今の世界です。神の目から見る通りに見る事から飛び出した。

人を自分を歪めて見る、神の創造した本当の自分が誰か分からないから皆彷徨って、本当の自分探し、人生の意味を探し求め続けているのでしょう。

 

人は本来の姿にぴったり沿った性質の生き方に戻らない限り

自分探しの旅は永遠に続いてしまう。

本当の自分に出会って本物を生きる事に辿り着かないまま

人生が終わってしまうのでしょう。

 

出エジプト31:15 六日のあいだは仕事をしなさい。

七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。

すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。

 31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、

永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。

31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるし

である。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、

かつ、いこわれたからである』」。

 

イスラエルとは、イスラエルの神を信じる人全てを”

イスラエル”と言う代表名=大家族名で呼んでいるのです。

異邦人には関係ないと読む場合、聖書に書かれた全ては

イスラエルだけのもので、異邦人には関係無いと言う事になるのです。

 

エペソ2:11 だから、記憶しておきなさい。あなたがた=異邦人は以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼

ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、

この世の中で希望もなく神もない者であった。

 2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。

 

<近いとは神の只中に引き寄せられた1つの体=家族であると

言う意味です。腹=胎内=神の中に1つとされた。>

2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを

一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、

 2:15 数々の規定から成っている戒めの法則=人が作り出した

様々な教え=人に対して壁を作る、異邦人とは付き合わないと

言う当時のラビ達の教え、習わし=を廃棄したのである。

<モーセの五書を破棄したと言う誤解の解説を削除して

書いてある意味通りに読み直す箇所です。>

それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、

 2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして

神と和解させ、敵意=ユダヤ人、異邦人の間にあった敵意、=を

十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。

 2:17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。

2:18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。

 2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族=イスラエルなので

ある。

 

同じ家族は同じ記念日を祝います。別々の記念日を祝い、

ある人種だからといって神の記念日に招待しないなどと

聖書には書かれていません。

同じ家族になった、頭脳に割礼を受けた人達は誰でもイスラエルの神の同じ記念日を祝うと神が教えているのです。

それは同じ永遠の婚姻契約の中に加わった一大家族になったと

書かれているからです。

 

ローマ11:24なぜなら、もしあなたが自然のままの野生の
オリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、
もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

 

ヨハネ10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、

わたしの羊=ユダヤ人はまた、わたしを知っている。

10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、

わたしが父を知っているのと同じである。

そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

ヨハネ10:16
わたしにはまた、この囲いにいない他の羊=異邦人がある。
わたしは彼らをも導かねばならない。
彼ら=異邦人も、わたしの声に聞き従うであろう。
そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
 

神が永遠と言われたら永遠であり、テンポラリー、一時的と言う

意味ではないことは翻訳でも理解出来るものなのですが、

聖書に書いてある言葉の意味通りもその通りに読まないように

教えられ続けてしまえば、神の語る言葉の真理は様々に曲げられ

歪められ、別物の教えに混ぜられて本当は神は何と言ったのか

聖書に書いてあっても確信が持てないままになってしまうのです。

 

聖書に書いてある通りに読んでみる。神は最初から最後まで同じ性質の神であり、神が語られた教えは、最初から最後まで同じ!と言うシンプルな事実に気が付けば、神の語る世界の扉が開いて行きます。

 

第七日目が神が創造された週一度の記念日です。

来月末には、”仮庵の祭り”の一連の記念日、祭りを迎えます。

神が創造された世界、神が統治する世界が到来する事を

願い祈る日々。

 

Shabbat Shalom

 

 
去年の夏はロックダウンでどこにも行けない夏でした。
今年は色々な場所、自然がある場所に行きました。
車中から見える空、雲が面白い。
雲 空 全部神の天の現実を思い出させるものです。

 

空の色は神の御座の色です。肉眼で見ている神の国の御座。

雲が大きくてすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地 空 雲 

 

 

 

 

湖 水が澄んでいて綺麗。

 

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森の木々

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エルサレムの旧市街から友人がライブ中継してくれた時のもの。

割と人がいましたが、海外からの観光客はほぼ居ないそうです。

 

 

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