聖書に書かれている本当の意味を知るにはヘブライ語言語の意味に戻る以外にない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

詩篇1:2 このような人は主のおきてをよろこび、

昼も夜もそのおきてを思う。

1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木時が来ると

実を結び、その葉もしぼまないように、

そのなすところは皆栄える。

 

黙示録22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から

出て、

22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、

その木の葉は諸国民をいやす。

 

ヘブライ語の聖書の中身は最初から最後まで、意味が一貫して

書かれているので、どの箇所も同じ意味で響き渡り、

エコーするのが、手に取る様に見えます。

そして、聖書のテーマが理解出来ると、全ては神の教え、

神が創造された本来の人間の性質を生きる全て、それは個人でも

コミュニテイでも、国全体でも、そして神に造られた創造物に

対しても、そして衣食住の全てにおいても、人が生きる全ての

領域に於いての生き方の内容が書かれているのです。

 

神の預言者の役割、預言書に書かれている預言者が神から託されて話したメッセージ、託宣の言葉は、全て”神のトラー=教えから

離れて生きることをしている人達へ”、神のトラー=婚姻契約に

書かれた生き方に戻れ!と言う事なのです。それを悔い改めと

言う翻訳で表されますが、悔い改め=シュヴァー=神のトラーの

生き方に戻れ!と言うのが聖書に書かれた本来の意味なのです。

そしてその他の書、諸書を”詩篇”と言う言葉で表されて呼ぶ事を

しますが、トラー、預言書、詩篇と書いてある通りに、

それらは神のトラーに書かれた知恵、実際生活の中で

どの様に生きるのか?が書かれた書なのです。

だからパウロが様々に書簡で解説している内容は、トラーの実際の性質、生き方を、諸外国、それぞれの場所に生きて居た人達の

生活の中で起きた問題に対してどの様に対処し生きるかを、

トラーの教えから全て解説しているのです。

1コリント13章も、トラーに書かれた愛の詳細を短く、

タイトル=愛の性質を言って、トラーに書かれたその詳細を知り

生きなさいと教えているものなのです。

 

考えたら分かります。神は人を創造しました。神に創造された

人の生きる全ては、神からだけその生き方を漏れなく全て神から

教えられる必要があるからです。

なぜなら、神がデザイナーであり、神が造られた人間の設計図=

ブループリントは神のみが知っているからです。

人は何を食べて、何を食べてはならないか。

人は何を生きて何を生きてはならないのか、神に全部教えられる必要など無いと考える場合=神の言葉は現代無用と本気で神の

教えでは無い人の教えを信じるなら、即座にズレ=神の目から見た的外れ=罪を頭脳に肉体に取り込んでしまうからです。

 

どんな事をして生きたら良いのか、どんなことをしてはならないか、生活の細部に渡る全て、そしてコミュニテイの中での生き方国全体に及ぶ、政治や憲法、軍隊をどの様に作るか、

どの様に戦うかまでトラーには全て書かれているものなのです。

 

だから、”一羽のスズメさえも主は愛したもう”と賛美歌の歌詞に

あるのは、イエシュアが”一羽の鳥さえ主の許しなしには地に

落ちない”と言ったのは、神は創造物の全てに対して、神の考えを

人に解説しているからです。人が神が創造された世界をどの様に治めるのかを、神が教えているからです。トラーの詳細を

読んだ時、神はなんて慈愛に満ち、人の生きる全てに注意を払って下さる創造主なのだと感動せずには居られなくなるものです。

 

申命記22:6道端の木の上または地面に鳥の巣を見つけ、

その中に雛か卵があって、母鳥がその雛か卵を抱いているときは、母鳥をその母鳥の産んだものと共に取ってはならない。

 7必ず母鳥を追い払い、母鳥が産んだものだけを取らねばならない。そうすれば、あなたは幸いを得、長く生きることができる。

 

親鳥と、雛鳥の両方の世代の命を同時に絶ってはならないと

教えているのです。全て命を継承する事、ガードすることに

繋がっています。

そして人が住む家に関しても、書かれています。

それは全て”命”を保護することに関しての教えなのです。

 

22:8家を新築するならば、屋根に欄干を付けねばならない。

そうすれば、人が屋根から落ちても、

あなたの家が血を流した罪に問われることはない。

 

翻訳では、元の言葉が別の言葉に置き換えられたり、

意味が失われるので、元の意味が見えないと言う難点、

デイスアドバンテージがあるので繋がりが見えにくいのです。

 

詩篇1:3にある、と言う言葉は、他の箇所で栄光と書かれている意味とは別の意味の言葉です。日本語翻訳だと”栄”と言う

漢字を使っているので栄光と、栄などと訳されている言葉は

同じ意味と思いますね。

栄光と言う翻訳の裏にある元のヘブライ語には、いくつか違う

言葉で表されるものなのです。

 

詩篇1:3で書かれている言葉="栄”とは、"ツアラ”と言う言葉で突破する、良い、有益、影響、効果を与えるetc と言う意味

がある言葉です。
 
そして、כָּבוֹד ”カヴオド”=栄光とは、”重い” ”量る”と言う意味があります。
父と母を敬えと書いてある”敬え”も同じ”カヴオド”です。
父母の言う事、生きる実態通りに受け取る”計る” ”測る”
と言う意味です。尊敬すると言う意味もあります。
でも父母がもし神の性質通りを生きてない場合、それらの行動
言動に人が悪影響を与えられないものでもある教えです。
どんな事か?”毒親” ”あらゆる意味での虐待をする親”に育てられ
虐待する親の奴隷になりなさいなんて神は教えないのです。
自分の身を守る知恵をも神は教えているからです。
そして上に立てられた権威に従いなさいと言われて、何でも
かんでも考えず、識別もせず、盲目的に上に言われることに
奴隷の様に無条件に服従するならば、本当に敵の餌食になって
しまうのです。神に言われたことを”量る、測る、計る”
神の言葉の重さ通りに匹敵する理解をし、受け取り、生きると
言う事に繋がるのです。それは命をガードする事に繋がります。

 

つまり父母がする神の意図通りの事を受け取り敬う。

もしそうではないならば、意味がない=重さが無いから自分は
それに影響を受ける事をしないと、それらを切り捨てると
言う意味にもなるのです。
重さ=神の意図からズレたら、神の目には羽同様に価値の無い、
軽いものになると言う意味です。
この言葉一つ取ってみても、神の言葉を薄める教え、神の言葉を
神の意図、価値通りを理解する事を教えない事、
神の言葉をどの箇所も無意味、無用、ないがしろにする教えは、
神の言葉、教えでは無い神の言葉を正しく意図通りに量る=
重さに匹敵する通りにしていない事に、ヘブライ語の言葉で
語られている意味を知るだけで気がつけるのです。
神の言葉、教えの全ては、”命をガードするため” 人を批判したりケチをつけるためなどと考えては見えない事です。誰でも神の
言葉や教えに敵対する考え方、生き方をするならば必ず
その代償を自分の内側に招くのです。
 
この世の中にはたくさんの偽物、混ぜ物、騙しが満ちていて、
どこに行っても常に大きく響き渡っています。耳を澄まして
神の声を聞き分けなさいとエデンの園の初めから教えています。
命に到る門は狭く、滅びに到る門は広いとイエシュアも
教えている通りだからです。世界は神の真理=教えでは
無いものが流通しているからです。見分ける、識別する。
 

1列王記 19:10 彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を

捨て、あなたの祭壇をこわし、刀をもってあなたの預言者たちを殺したのです。ただわたしだけ残りましたが、

彼らはわたしの命を取ろうとしています」。

19:11 主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。

風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。

19:12 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられな

かった。火の後に静かな細い声が聞えた。

 

世界に流れている聖書とは異なる主流の教えは、大きな声で

大通り、メインストリームで大手を振って宣伝され、報道され

語られ続けています。ある部分は真実でも、神の言葉を否定する内容全ては神から出たものではなく、人が創作した教えなのです。2種類の種を混ぜてはならない、別の種類の糸で衣を作ってはならないと言う教えに繋がるのです。

混ぜたら、聖書に照らし合わせない限り、真実と嘘の見分けが

出来なくてなります。いや聖書に書いてあっても聖書の教えの

方を薄める、歪める、否定した解説を人はしているのです。

そう言うことがまかり通り、1世紀後半から現在に至るまで

されてしまえば、人の教えにマッチしない事は、全て聖書の

神の言葉を薄める、否定するという考え方で解説をしているのです。これに気が付いたら、グレートリセットをする事のスタート地点に立つ事が出来るのです。

 

呪いと訳されている言葉がありますが、

異邦人の世界で想像する呪いと言う意味とは異なる言葉です。
呪い=神の前に軽い意味の無い存在になると言う意味があるのです。
詰まり、神の目からズレた生き方は、”カヴオド” 重さが無い
軽いもの。軽い、重い、価値が計られると言う事です。
計量した時に、例えば金でも軽いものは安い、重いものは
高価な値になるから理解出来ます。
 
イエシュアが言われた、神の言葉を少しでもないがしろにしたり、付け足し削除する様に教える人は、天の国で一番小さい=
軽いもの=意味無い、無価値な存在になると言う意味にも
繋がるものです。マタイ5:19
 
 

 

 

続く