私達神の性質に似せて造られた人間は、毒を頭脳に体内に
閉じ込めてキープして生きることは出来ないと言う神に言われた
事に直結します。
”わたしが聖であるから、あなたも聖ではないとならない。”
これはレビ記11章の食べ物の教えの中で言われた言葉でも
あるのです。
神の性質に似せられた人は神が禁じた食べ物を食べてはならない!永遠不変の神からのクリアーな教えです。
神の言葉、教えが永遠であると神が伝える通りに受け取る人には
神からの警告が私達の命を守るものであると理解出来るはずです。
でも神の言葉を否定して良いと考える異邦人には全く分からない、道徳的な事とは何も関係無い教えですが、どれほど神が
汚れた動物を食するのを忌み嫌うのか預言書にもしっかり何度も
書かれています。
ユダヤ人が異教徒と同じく汚れた動物を食した事、
それは神の目にはもっとも忌み嫌うべき事で、
その為にも異教の地へ捕囚された事実があるのです。
第二次世界大戦中のドイツに居たユダヤ人も異教徒の様に
汚れた動物を食していた人達が居たのです。
これは目に見えない霊的な教え、創造の最初に言われた
神の忠告がクリアーに見えるものでもあると思います。
そして反芻する動物の意味でも人はどう生きるのかが分かると
思います。
反芻する動物で表されているものは、咀嚼したものを胃に送り
込みまた口の中で咀嚼するこれを繰り返します。
そして、牛など4つの消化器官を通りながら食物が発酵されて
行き栄養が体に蓄積される構造になっています。
牛について調べてみましたが、実に神の創造は完璧だなと
思う事実でした。
環境の中から、目、耳を通して頭脳に飛び込んで来るものを
人は口で味わい、咀嚼し、神に属する考えかそうでは無いのかを識別して、神のものでは無い考えは吐き出す、これをしなくては
ならないのです。
アダムとエバがあの日あの時に神から言われた事を、
今自分の立っている場所で、日々同じあの日あの時の神が言われた同じ神の声を聞く事に戻る作業でもあるのです。
”あなたは何を食べて、何を食べないのか?”
アダムとエバは神に食べてはダメ!と言われたものを食べたのです。
人はそれを繰り返し続けていたら死に直結します。
死=神との隔たりの場所に飛び出てしまう事でもあります。
自分が誰かが分からなくなる事でもあります。
命を繋ぐ、保つ、保護する行為は食べる事です。
噛む=吟味する事。
人は何を食べて、何を食べないのか。
人の中に取り込めるもの、取り込めないもの。
これは、口で咀嚼する、イコール頭脳で咀嚼することに
繋がる事です。
神の口から出る1つ1つの言葉、神の教えを食べて生きているのか、それとも人の作り出した神の教えではない教えを食べて
生きているのか。
人の作り出した嘘を頭の中で繰り返しリピートして生きるのか?
あなたは神に何を言われて、教えられているのか?
それを生きる選択をしますか?
創造の最初から同じ永遠不変の神からの同じ教えを、教えられているのです。それは100%全て自分の命を保護する為です。
神が造られた動物、食べ物は人間にフィットしているものです。
環境汚染、体に取り込む毒で人はアレルギーになったり
胃が弱く食べられないと言うものはあります。
それは又別の問題なのです。
続く