出エジプト31:12 主はまたモーセに言われた、
31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、
『あなたがたは必ずわたしの安息日=シャバットを
守らなければならない。
これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしで
あって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、
知らせるためのものである。
神の国の民、全国民、神の国の国家の記念日であり
神の国の国民全てを神が呼び出し、神が創造された
オリジナルの”シャバット”を祝う様に神は最初から人へ
伝えているのです。
出エジプト31:13が書かれる迄、シャバットが無いと
考えてしまうと思いますが、そうでは無いのです。
全世界の創造物が6日の間造られたのです。
そして全ての創造物が完成した後に人が最後に造られたのです。
6日目で全ての創造の業が完了して、初めて全ての創造物が
揃って迎え祝ったのが第七日目。
全世界の創造物と、人と神でこの第七日目を祝ったのです。
人が初めて神と共に体験した日が、第七日目=シャバット=
止まる日なのです。
創世記2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、
そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。
神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って
休まれたからである。
第七日目=止まる。第一日目から第六日目=労働日と神が人に
伝えています。神の暦では1〜6日の間に働いて、
7日目に止まる、それが神の創造された暦なのです。
シンプルな事実。
この日は、神が人と関係にある証拠の印として人に与えられ
代々に渡る”印”詰まり永遠不変、変わらずにずっと永遠に神の国
ではシャバットが祝われるのです。
神が造られた日に神の招きに応答して神の意図通りに祝う事を
する人の中に神は居られ、特別な関わりをして下さると神は
約束されたのです。
そしてこの日に”神のトラー”を読む事で、祝福されるので
イエシュアが居られた時代も、同じシャバットを第七日目に
祝ってそしてトラーを学び、語りこの日を過ごして来たのです。
そして昇天以降も、神の記念日、わたしの記念日と
神が紹介するどれ一つも変更などされてはいないのですが、
クリスチャンの教えの世界では神が神の記念日を変更した事に
なったと教えているのです。でもそれは聖書の事実では無い。
聖書に書かれていない、人が創作した伝説を信じているのです。
私の記憶では、”神が記念日を変えた”とは教えられず、
昇天を記念して安息日が第7日目から第1日目に変更されたと
教えられた事を記憶しています。
神の記念日の内容、曜日変更は聖書の事実ではなくて、
ローマ・カトリック教が4世紀に神の記念日を変更する事に
決めてしまった後、伝統にのっとりシャバットが
変更になったとされてしまった事実は、カトリックの教典にも
はっきり質疑応答の形で記されて誰でも閲覧、読む事が
出来るのです。
宗教の世界、それはユダヤ教であれキリスト教であれ、
なぜ〜〜教と呼ぶのか。それは神の言葉以外に人の教えが
付け足されてしまったものが付随してしているからなのです。
私が体験して来た事、教えられて来た事を話しているだけなのですが、キリスト教の教えで聞いた教えは、聖書とは違う数々の
教えがあるのです。
何が違う教えなのか、それらはオリジナル聖書、ヘブライの世界のヘブライ思索で聖書が書かれている事を知るまで、
100%全く自力では気が付く事が出来ませんでした。
聖書の記述と人の教えのどこが違うのか聖書から知るにつけて、
うっすら変だと思っていた内容が全く聖書の教えでは無いと
言う絶対的神の言葉の証拠に基づき確信にどんどん変わって
行ったのです。
本物=オリジナルに照らし合わせて、付け足しの言葉や造語翻訳や不適切な翻訳、聖書に無い言葉や文章挿入などに気が付けば
オリジナルに書かれている内容が違う事は誰でも確認出来る事
なのです。
でも信じた最初、一番最初に疑問に思ったのはなぜ安息日が
曜日変更になったのか?と言う事でした。これは人の教えを
刷り込まれ無い先入観の無い人が読めば同じ疑問を持つのです。
そして日本語訳の聖書を読んで見ても、安息日は7日目である事
しか聖書には書いていないのです。
聖書のある箇所を誤解した人の解釈で聖書を読んで、神の記念日や教えは人の意見で仕分けられる、又は神が昇天以降に変えた
証拠であると解説していますが、それらの解説は聖書に書かれている本当の意味を全く読み取ってない、もしくはダービーの教えの様な、人の創作した非聖書的教えを通して勝手に聖書の記述を曲解した解釈をしているだけなのです。
もしも、聖書に神の言葉=教えが変更、神の記念日が変更した
と書いてある事実があるのなら、ぜひコメント欄にてその事実が
書かれている箇所を教えて頂きたいと思います。
ヘブライ語聖書には神の言葉が変更、神の記念日は変更可などとは書いてないので、翻訳聖書の間違いか、又は人が読み間違えている、もしくは神学の教えを通して変更無しなのに変更されたと思い込んでいるだけだなのです。
カトリックの司教さんも同じ事を発言していました。
もし安息日=シャバットが変更になったと聖書に書いてあると
言うなら、それが事実なら1000ドル差し上げますから
お知らせて下さいと言っていました。
カトリックの司教さんが安息日を変更したのはカトリックと宣言している動画
英語なので自動翻訳にしたら大体意味が分かると思います。
シャバットをガードして生きよと何度も何度も神の直接語られた言葉が聖書に書かれている意味は、シャバットを失うことは
人の生きる生き方では無い危険な状態にされされてしまうから、神はシャバットをガードせよ!と強調して教えているのです。
詰まり神の記念日を生きる事は人の性質、生き方であると
書いてあるのです。
神の記念日の意味を学び、実際に生きて行くと理解出来る事が
永遠に続いて行くのです。
なぜなら、神の暦の日々を生きる。シャバットからシャバットへ
新月から新月へ、祭りから祭りを生きる1年の神の暦のサイクルは、まさに神に贖われた人の命のサイクルであり、
人間の命のサイクルだからなのです。
だから神を知らない人でも、朝起きて夜寝る。
1週間は7日の暦で生きているのです。神を知らない人でも
特別な祭りや記念日を生きて、誰かと準備し地域の仲間との
共同作業で連帯感や絆を深めたりする体験をしているのです。
この祭りが別の神々に捧げられた違うものであるのですが。
月、星、太陽は季節=神のモアデイムを司るために造られたと
神が人に教えている事を全く知らなくても、天の万象は神の
暦=特別な日を知らせる天の光として造られている事実は
変わらないのです。
神の言われた通りを分からなくても生きてみると、
数々の発見を連続して、永遠に続けて行くのです。
シャバットに神が言われた通りをガードして生きる人の中に
神はその中に特別な方法で現れると神が約束して下さった。
それは神が言われた事を生きる時にだけ体験するものなのです。
カナの婚礼でイエシュアの言葉通りに水を運んだ人だけが、水が
ワインに変わった事実に遭遇、体験したとあるのと同じです。
神の言われる通りをしないと言う決断は、神の与える祝福を
見逃し、失うと言う状態にあるのです。
人間の世界でもアポイントメントの日と日時を守って誰かに会うのにどうして神の指定した特別なアポイントメントの日とは
違う日にそれをするのかと言う単純な疑問を抱くのです。
神が言われた事を無視するとはどう言う愛?
どの日も同じと神が言っているのだとパウロの書いた書簡を
完全に誤解している教えがありますが、
神の記念日は人の意見で仕分けして良いなどとパウロが教える訳がないのです。レビ記23章はPDFで不変。変更不可。
わたしは祝うとか祝わないとかその人の嗜好、好みで仕分けるなどと言うそんな議論も存在出来ない神の言葉の領域なのです。
祝うものであると神が人に伝えている、永遠に代々祝う
神の国に加えられたら、同じ契約に加えられたとある通り
同じ生き方、同じ記念日を生きるとパウロも教えているのです。
”わたしの記念日”と神が言われる言葉を否定する人達が
勝手に神の記念日が終わり、祝い記念日も変更、日時も変更
になったとローマの教えを継承して言ってるだけの事なのです。
神のオリジナルの特別な記念日を神は強調して祝う様に
人に教えているのです。
それが聖書に書いてあっても神の記念日の事を喜び祝うと
言う意味で書いてあることに気が付けないだけなのです。
続く