神の記念日 神の暦 時の中に歩む事は神の性質として成長する信仰の歩みそのもの | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の記念日を生きることとは、信仰の歩みそのものなのです。

新しくされた人=復活の命を頂いた人の歩みの中身です。

歩みとは、漠然としたものでは無いのです。

神の教え、神の教える言葉の内容、意味を実際に日々生きる

中で人は初めて成長し、以前の死んだ性質の自分を神の言葉に

照らし合わせ、ズレに気がつき、そのズレを脳回路から

離脱するプロセスを経る事が出来るからです。

 

そしてシャバットはその凝縮であり、1週間に一度の記念日。

この日を神の意図通りに取り扱い、祝い、神のシャバットを

歓迎して生きる人の中に神は共におられると約束されています。

そして、神は大事な事をその中で教え、体験させて下さる。

 

神の言葉をその日に読み、学ぶ事で神が祝福される事も

書かれています。

 

自分の信仰の歩みと同時に次世代の子供の事が気にかかりますよね。親であればこの創造主に繋がって安全に守られて生きて欲しいと祈る。自分が去った後この子らはすっかり忘れてしまうだろうかと思う。でもこの神の記念日の中で神が良きお方であり、

素晴らしい交わりの体験を神と人と共にする事が出来た子供らは

神の言葉、教えが素晴らしいと知った子供らは決してそこから

離れないものです。

 

神の記念日は全て、喜び、楽しみが中心です。

記念日や祭りは誰でもワクワク期待して準備し、待ち望むもの。

そして子供らを祝福し、神ご自身を祝福し、お互いの存在を

祝福する時なのです。

 

それなのに神のオリジナル創造の記念日に対して、意味が分からない異邦人は”呪いの律法の今はいらない祭り”と、ひどいことを神に人に対して宣言しているのです。

 

”どんなにイスラエルの神が良いお方か知るために!”とある。

それは実際に美味しいご馳走を食べて飲んで、楽しい時を

家族や仲間と過ごす中で、それを体験するからです。

神の言葉、教えを知り、意味を知り、そして新しくされた人を

生きることをする人達、家族は壊れないからです。

お互いの命をガードする事、自分を守り安全に生きる事

神の言葉にしっかり根付く人は、季節=神のモアデイムごとに

御霊の実を付けると書かれているのです。

 

それを人はすっかり忘れた状態で、チリジリバラバラ勝手な

方向に散って行った状態になってしまったのが今の世界の

現状です。

 

神の言葉や教えなんかいらない!神の言葉を生きる必要などない!自分のフィーリングや考えに合った生き方をする。

でもそれは神の教えからはズレているのです。

 

単純に戻る!神の教えられている事、教え、インストラクション

言葉に戻って生きることに戻ることが必要なのです。

それが本当の悔い改めと言う翻訳用語の裏にある意味です。

神の教えに戻る!と言う意味!神の永遠の婚姻契約の生き方に

戻る!それが本当の悔い改めなのに、この神の永遠の言葉を

無用!と教えてしまっているのです。矛盾だらけ。

 

神の言葉=教え以外に生きる何かがあるのでしょうか?

それ以外の何があるのでしょう?パワー?霊?

霊=神=言葉なのです。神の言葉は神ご自身であり、神の霊で

聖書は書かれているとある通りです。

神の言葉から人は全てを汲み出せる様に神がデザインされているのです。神=言葉=神ご自身=イエシュアだからです。

シャバットを造られたのは人間ではなく”創造主”ご自身!です。