シャバットが昨日の夕暮れから始まりました。
日没にキャンドルを灯して、そして祝福の祈り、出エジプト=
奴隷であった事から贖い出された事、神の元に神が引き寄せ
神の宝としてくださった事。そしてシナイ山で”永遠の婚姻契約”を受け取り神に属する花嫁として生きる事に招かれたことを皆で思い出す。
そして神が神の子らとされた人達全てに”シャバット”を代々永遠に守り祝うようにと書かれた箇所を読み、祝宴を始めるのが
伝統です。
そして次の日には神の言葉”トラー”を読む、学ぶ、考える時を
持ちます。大仕事や労働、掃除などしない、最低限食事のことなどして、そして家族とゆっくり楽しく交わり過ごす時間と
するのです。
神が神の子らに”神の記念日”を宣言しなさいと言われるのは
単にお互いに宣言するだけでなく、”全世界に向けて宣言!”
生きて宣言。
イスラエルの神が造られたオリジナルの記念日を生きて、
福音の中身、イエシュアの実態、そしてイスラエルの神の子らの
生き方を表しなさいと聖書には書かれています。
神の創り出したオリジナルの記念日を変える事は人間には出来ません。たとえ人間が変えたとしても、それは神は承認していない。イスラエルの神には属さないもの。それはイスラエルの神に属するものではない別物!と言う神の前ではそう言う
位置付けなのです。
もし神の創造、聖別された時=記念日を人間が変えるならば、
それはナダブとアビフの犯したズレの様に神が創造した通りの、説明する通りの、神の性質通りのものを世界に伝えてはいない事になってしまうのです。神の栄光、性質はそこから現れ出ない。
神の伝える神のオリジナルに創造された記念日、福音、
神の完了の業=イエシュアの性質を表すものはレビ記23章に
あるものであり、10の言葉の中に書かれている”シャバット”を
代々に渡り祝いなさいと言われることが中心である1年に渡る
神の創造された聖別された時=神が”わたし”の記念日と
紹介しているものです。
それらの記念日はユダヤ人だけのものさ!と言うのは、ユダヤ人が最初に全人類代表で受け取りその内容を教えられ、それを世界に伝えているのですが、世界中で国全体でこの記念日を祝う事をするのがイスラエル、ユダヤ人が主なので、ユダヤ人の祭りと
思うだけなのです。
アヴラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルの神とある通り、
アヴラハムは、全世界の民族の父とされた事実を通して
同じ祝福、福音が全世界の国民へ伝えられると神が言われた
通りに理解すれば見えると思います。
同じイスラエルの神の家の同じ神の子らは、同じイスラエルの神
が教える同じ記念日を祝うと神の直接語られた言葉が聖書には
書いてあるのです。その神の宣言を信じるのか、拒否するのかは
それぞれ個人の問題なのです。
別々バラバラの記念日など聖書には無い架空の教えであり、人が創り出したものが神オリジナルの福音を表す記念日ではない、
神がオリジナルに造られたもの、天から神が示した”火”
神オリジナル創造の記念日を祝う様に人はデザインされているのです。
聖別された時=神の暦の中に神の子らは生きる様に創造されて
いるからなのです。
礼拝と訳されている言葉、アボダの中心は神との親しい交わり。
その交わりの実態が神の家の食卓で表されています。
人には住まう家がありますね。家族の集まる場所はどこですか?
神の家も同じです。神殿と呼ばれますが家です。
そこは神の子らが集い生きる全てを教える場所なのです。
その家の中の奥の間、リビングルームにはテーブルがあり
その上にはご馳走があるのです。
な〜んにも無い食卓なんて寂しいでしょう。食べるものない。
宴会には食べ物、飲み物が付き物です。
”手ぶらで来ない”と神が言われて”ちぇっ!贈り物持っていかないとならないなんて命令されてる!”なんて思う意識は神が何を人に教え、伝えているのか見えなくなります。
神の家のテーブルの上には美味しいご馳走が乗り、それをみんなで頂く楽しい交わりの時です。食べ物の無い食卓など無い。
捧げ物をすると言うとピンと来ませんが、愛する人に差し上げ
たい大事な贈り物。その贈り物を大事な存在である方が
受け取って下さるその喜びを想像すれば理解出来ると思います。
大事な心込めた贈り物を受け取ってくれる=大事なあなた自身を神が受け取っている印なのです。欠け、ひずみのない完璧な物。
そして、実は逆で私達自身がその贈り物を通して、神に受け取られている事実を教えられているものなのです。
礼拝は、神の祭壇=神の家のテーブルに置かれる”コバーン”と
呼ばれる、”引き寄せる”と言う意味の捧げ物が中心!なのです。
これが礼拝の実態なのです。なんで?
神との顔と顔を合わせる関係の中での親しい交わり!それが
礼拝の実態であり、皆が集う神の家、神の家の子らの生き方
神の子らの家の特徴である祝宴なのです。
それが地上での天の神の国をそっくり映し出す国として神が
選ばれた国、イスラエル。その都=エルサレムにおいて
表されて神の家を通して人々に教えているものなのです。
神の家の中に入れる人のあるべき状態、聖別された状態が何で
あるのか、それはモーセの五書に細かく書かれています。
これは折々書いて行きたい内容ですが、全ては神の記念日を
巡り、聖別された人の実態を神の言葉に根付いて実際に生きる
ことを通して教えられているものなのです。
だから汚れた動物は神の家のテーブルの上には捧げられないと
神が言われているのです。
聖別の意味を動物を通して教えられているからです。
そして汚れたものを実際に人も食する様には造られてはいない
のです。聖別された人は、聖別されていない汚れたものを取り入れないと言う教えとぴったり繋がっているのです。日常の食べ物を通しても聖別の意味を神は人に教えているのです。これは今
書きませんが、実際に食するに適していない動物、汚れた=
タメーな動物の性質を調べると否定出来ない、全て神の創造の
賢さ、合点が行くものです。
陸と水の掃除機、毒を吸い込む役割として造られている動物は
内側に毒やウイルスを取り込み、そして解毒をしない、毒を
がっちり内側に溜め込む性質の動物だからです。
私達人間も内側に毒=ズレを溜め込む性質には造られていない。
だから、夕暮れまでに和解しなさい、誰かと仲違いしていたら
コバーンを祭壇に捧げる前にその兄弟と和解しなさいと
教えています。
毒=罪は私達の内側、存在の性質を破壊するものであり神に
属する性質ではないからですね。
人が生きるサイクル=時は神がデザインした命のサイクルの
神独特の暦があるのです。人の命が生まれるのもサイクルがあります。成長にもサイクルがあります。
人は神の造られた暦の中を生きる様に造られているからです。
その暦は、神の定めた時=季節と翻訳にはありますが、
神の定めた時と言う意味であり、神のモアデイム=祭りと言う
意味なのです。神の祭り、記念日を司るためなのです。
そのモアデイムを司るために天の万象、月星太陽が造られたと
神が人に説明しています。
4世紀以降新興宗教をローマ帝国皇帝が作るまでは、もれなく
誰も神のオリジナルのシャバット、祭りを、異邦人さえも祝っていました。それ以外に無いからです。
いや19世紀になっても、アメリカ移民した人達も、神の創造
したオリジナルの記念日を以外を祝うことを拒否し、人が作った
祭りを祝う事を禁じる法律まで作り、オリジナルに徹していた
異邦人、イエシュア信者達が居た事実を多くの人は知らないと
思います。ヨーロッパでも同じなのです。
今の様にレビ記23章の神の記念日は語られもしない、
祝われもしない様になったのは本当は近代の事なのです。
もちろん中世のローマ・カトリックは彼らローマ帝国が作った
別の教えや記念日を生きることに完全に切り替えていましたが。
とにかく聖書の事実だけに戻り考えれば神が伝える真実が見えてきます。問題は人の教えや伝統で語り継がれ受け継がれ祝われた
別物が聖書だと完全に誤解されているだけなのです。
都上りの祭りも福音、イエシュアがされた業を表しています。
1週間には7日間あり、神は第一日目から第6日目に創造を
されましたね。
第一日目に休んでから創造開始したと書いてないのです。
第一日目は労働第一日目!なのです。止まる日では無い。
”シャバット”とは止まると言う意味の神の記念日なのです。
人は第一日目〜第六日目の間働いて、第七日目を止まる、休む様
に神は造られた事は聖書の最初に書いてありますね。
人は第一日目に止まり、第二日目から第七日目を働くと聖書には
書いてないのです。翻訳聖書ではそう書いてありますか?
神が全ての創造の業を完成して止まられた事を祝う記念日と
神が言われているのです。
これを人間が曲げても神のオリジナルの暦は変更は無いのです。
ではどうして変わった曜日に週一度の記念日を変更しているの?
歴史の途中でローマ帝国が作った記念日に切り替えたから
オリジナルの記念日を祝うことを死刑を持って禁じたから。
その結果異邦人は神のオリジナル記念日を祝わなくなって、
それが伝統で浸透したからと言うのが本当の理由なのです。
自分で聖書の事実だけに基づき考えたら神の真実が見えてきます。人の作った伝統を異邦人の世界では周りの皆が継承しているから、神の記念日が歴史の途中で変わったと誤解、錯覚しているだけなのです。聖書にも変更された事など書かれていない。
誰も神のオリジナルでは無い記念日など祝っていない。
神オリジナルの暦に人間が手をつけてはいけない理由は
神の伝える教えが見えて来なくなるからです。
神の栄光、性質本質が現れ出ないから!と神が警告しています。
ナダヴとアビフの犯した罪を思い出すことです。
ヤロベアム王の罪と同じです。神の創造、オリジナル、
神の伝えた中身を変えてはならないのです。
続く