今週の日曜日16日の日没から火曜日の日没まで、
春の締めくくりの都上り祭り=シャヴオートの祭りです。
ギリシャ語でペンテコステ<第50>と呼ばれる祭りです。
これは神の創造した三大都上りの祭り=過越、
シャブオートそして秋の仮庵の祭りの中の1つであり、
春の祭りの過越の祭から50日目、七回のシャバットを
7週の中の神の時のサイクルを過ごして迎える祭です。
もうすぐ穂を数える7週間が終わります。
春の祭りが終わると秋の祭りに向けてのサイクルが始まります。これは福音の中心でもあります。詳しくは後々順を追って書いて
見ます。私達個人のそして神のこの地上で設定されている
時とぴったり重なるものです。
7と言う数字を繰り返し神の記念日の中で神が伝えている、
使われていますが、それは”完結” ”完全” ”完了”を強調を意味する数字でもあり、シャバットの第七日目と同じ、神が全てを
完成して止まった記念日とも繋がるものなのです。
人の生きる性質そのものを表しています。
目に見えない領域と、目に見える物理的な領域両方同じく
ぴったりマッチしているのが神の創造のデザイン。
聖書に繰り返し出てくる数字、特に”7”は全ての中心であり
聖別された神の”時”=神独自創造の暦を表すものでもあり、
神の業から全て、神の創造された時を生きる事=
命のサイクルが表されているものです。
神の創造が完了して後、後から付けたしや訂正修正する状態は
全く無い!完璧な創造を神が終えて、終了した後の第七日目を
神と人と創造物全部が共に祝う週一度の神と神に属する人との印、証でもある記念日が神が創造されたシャバットなのです。
この記念日は永遠に同じ変わらない。
だから人が主張する神の言葉が変化すると言う教えが初めから
聖書に基づき不真実であることはヘブライ語言語の中で
クリアーに記されているのです。シャバット=止まる!
何も後から付け足す必要がなくなって完成!だからです。
神の言葉も神の性質上途中で変わらない!後から付け足すもの
付け足し変更する業も何もない!神の言葉は完全!だから途中で神の教えや言葉を変える必要などない!それが神が語る真実!
人がこの日を変えても神は永遠に変えない。このシャバットこそ
神が人との関係を結んだ証拠、印と神が言われているから。
神が定めた特別な会見のどの日も神は変えない!
神は真実だけを語るお方であり、嘘つきなお方では無い。
だから人に対しても嘘=偽りを語るなかれと教えているので
しょう。嘘=神の性質ではないから。二枚舌=イスラエルの神では無い性質、同時に神の造られた神の性質通りの人がする
生き方では無いと教えています。
神の永遠不変の性質に反する事=嘘偽り=途中で約束を
すり替えるなどする神と言う解説は、イスラエルの神ではない
異邦人思想で異邦人が異教の神々を想像して、解説している
だけなのです。
神=言葉=神は約束をどの部分も変えない!
それが聖書=神の人に伝える言葉の事実なのです。
イエシュアが戻られたらシャバットを中心とする、神が創造した祭りを、再来以降は全世界が共に祝う様になる!と神が預言された事実が聖書には書かれています。
そして新しい時代はエレミヤ33章にある通り、全ての人が
頭脳に神のトラー=婚姻契約が刻み込まれている状態、意識、
全ての人が神のトラー=神の国の教えを生きる!時が来る!
新しい契約とは別物の契約ではなく、神の国に生きる人全員が
”神のトラー”を頭脳に刻み神の関係の中で本当に知り、その教えを生きると言う状態で、再更新される同じ婚姻契約=トラーの
話をエレミヤも、イエシュアも過越の晩餐で弟子たちに
されたのです。
どこが違うのか?神の国に生きる人の状態、意識が違う!
出エジプトして来た時は、まだ”善悪の知識の木の実”を食べた
代償、以前の状態=記憶を引きずり、神の目から見ることに
全てを切り替えない、肉の目を引きずったままだった。
その状態が違うと言う話をしている。
シナイ山で初めてトラーを与えられた時の人々の状態とは
違う!と言っているのです。
モーセの五書は終わり!なんてとんでもなく神の真理からずれた
話など神がする訳ないのです!それこそその人間創作の教えこそが、別の福音を作り出しているのです。
異邦人が勝手に創作した教えを通して聖書を解説されてしまっていて、それだけを聞き続けて来たので、聖書の事実が隠され、
聖書の内容をとても誤解して聖書を読んでいることに、
聖書の事実だけに戻り考えれば、神の永遠不変の真実=教え=
トラーが変わらない永遠である事実に気が付けます。
人の発想=教えは神が伝える事実とは違うことを解説している
だけです。だから証拠である神の永遠不変の言葉だけに戻り何が神の伝えている事実、真実なのか一人一人が真剣に確認する
必要があるのです。
神の記念日、祭りは全てこの”シャバット”から祝う様に
デザインされています。
そして神の暦、記念日は、創造の性質、神に創造された暦、
創造物、人の命のサイクル、イエシュアの業を表すものでも
あります。
創世記からマラキまで、この時代も同じイエシュア=救いを
トラーから知って生きていた人たちが記されています。
多くのクリスチャン同様、私は古代の人達には今とは同じ救いは
与えられていなかった、使徒2章以降初めて”神の霊”が下り、
そして新しい救いが与えられたのだと聖書とは違う教えを
教えられてそれを信じていました。
人は最初に教えられた事を真実だと思ってしまうのです。
それが嘘、フェーク情報でも。
最初に聞いたニュースが真実だと思うのです。
それらは全て刷り込み=インプリンテイングと言う効果です。
生まれたての動物が初めて見た”物体”を母と認識してしまう
それと全く同じ作用なのです。
誰かが語る教えが聖書の事実にぴったりな内容であり、神の意図通りであるならそれは真実ですが、神の言葉がどの箇所1つでも
現代はもう終わりとか、神の言葉を人間が否定する事、昇天以降以前とは別の教えが出て来たとか、人種により神の教えは違うとか、別の福音、別の教え、別の契約があると語る教えは神ではない、1000000%異邦人=西洋人が主に作った人造の教えであり、聖書とは何の関係もない!聖書の事実でもない!と聖書に書かれている事実、イスラエルの神の性質から、はっきりと個人個人が聖書=永遠不変の真実な神の言葉から確認して、認識してみれば良いのです。
それが嘘とまことの最初の見分け方の大きな重要なポイント
であり、内容の詳細が全て分からなくても、本物の神の教えか
人の作った混ぜ物のコピー品なのかの簡単な見分け方でも
あるのです。
神が語るのは永遠に同じ福音!神が人に伝える生き方は
同じ神の永遠不変の教え=トラー=言葉なのです。
太古の時代にはまだ人としてイエシュアは地上には来られていな時代ですけれど、永遠の中から存在する神=イエシュアの実態は最初から聖書に記されていて、神の神殿でもそれが表され、
荒野では火の柱と雲の柱、そして荒野を着いて来た水を生み出す岩としても表されています。
エデンの園から世界の四隅に流れ出ていた水はイエシュアそのものを表しています。世界の四隅に流れ出て、人と共に常に一緒に
着いて来た。どの場所にもイエシュアは存在する。
イエシュア=生ける水の上を運ばれてこの地上を歩む。
イエシュアの中に居る。この世にあったこの世のものでは無い
その事実がちゃんと絵画的実際に物理的なことでも教えられて
いるのです。
トラーの中にはイエシュアそのものが書かれています。
本物の人間の生き方、神のデザインが書かれています。
神の業はトラーの中に書かれている。
トラー、預言書はわたしそのもの!イエシュア=ザ トラーと
イエシュアが言われた通りに認識し、知って生きていた古代の
残りの民はどの時代にも存在するのです。
現代よりももっと深く神=神の現実、神の業、神の言葉、教えを知り、神のトラーを固くガードし命溢れて生きていた人達。
使徒2章以降、初めて復活の命を得て神が初めて人の内側に住み
初めて完全なる救いの事実が与えられたのでは無い!のです。
それは西洋人の思考回路が考える神像であり、ヘブライ思索で
書かれたヘブライ語の聖書とは異なる思想です。
神は永遠から永遠に同じ!神の言葉も永遠に同じ!
神=言葉!だからです。性質は変わらないのです。
イスラエルの神に対してまで進化論、ポケモンの世界で
語っている西洋人の神学の教え。
進化、変化する神。進化、変化する神の言葉、福音!と
教えているでしょう?西洋宗教の教えは。聖書じゃない!と
気が付かない場合は、人の教えが神の言葉にすり替わっている
事実に気が付けないのです。
イエシュア=救いは永遠から存在しているお方であり、
人は始めから神の中に住まい、生きる様にデザインされて
いるのです。神から切り離された人々を、イエシュアの業=
代価を払い生ける水が流れ出て、失われた場所まで来て
下さって、別離の場所から神の中へ連れ出して、
神の中に再び引き寄せて戻して下さった。
続く