人の作った教えと神のオリジナルの教えとの違い  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日は週一度の神の創造された記念日シャバットでした。

 

第七日目のシャバットなどと言うコンセプトも、その日をどの様に祝うのか、過ごすのかも教えられた事もありませんでした。

 

昇天以降は、復活を記念して曜日は日曜日になったと教えられ

ましたが、それはローマ皇帝が勝手に変えたと言う事実を知らない人に教えられたので、そうかと思っていました。

 

そして復活した日がいつなのかも本当は定かでは無いのです。

なぜなら、イエシュアは過越の祭りで処刑されたのですが、

その年の過越の祭りがいつの曜日に開始したのかも分からない。

第一の月の15日が始まる、14日の日没からと言うのが分かる

だけ。その日が何曜日か分からない。

 

そしてシャバットは祭りの週に多くて3度=祭りの最初と最後は

曜日関係なくシャバット=止まる日。そしてその7日の中に週の第七日目がある可能性があるから、何曜日かも本当は定かでは

ない。もし仮に日曜日に復活しても聖書の暦で日曜日=土曜日の日没から、日曜日の日没に復活したとしても”シャバット”=

週一度の記念日=第七日目は不変である事実があり、

そしてシャバットは復活だけを強調する記念日ではないからです。

そんな聖書に書かれた神の解説した記念日の意味を、

私は13年前まで聞いたことも、考えた事も、教えられた事も

ありませんでした。

安息日と言う翻訳用語は聞いたことがありますが、

元のヘブライ語では”シャバット”=止まると言う名の神が創造し

神が名付けた記念日があるのです。

その日は名前通りその記念日の性質を表しているものでもあります。

止まる=なぜ?神が6日の間全ての業を完了して、7日目に

止まられたから、人も同じ様に、神の性質に造られた者として

6日の中で労働し、7日目を神との関係に繋がれている印の

記念日として普段の労働=特に日々の糧を得る仕事や労働を

止めて祝うと神が人に週一度の神の記念日の性質を

教えられているのです。

 

このシャバットこそ福音の中心でもあり、人の生きる性質

そのものでもあり、神が造られた全てからのみ人は生きる様に

造られている。

 

神が人と関係を結んでいる証拠でもある契り=婚姻証明書なるものと同じ、証拠としてその記念日がある。

イスラエルの神に繋がれ、神を愛する人は神の教えを愛して、

神の設けた週一度の祝宴に参加し、神がどんなに良いお方か、

神の前でお互いが喜び楽しみ、そして関係を育み、又は修復する機会として与えられているものなのです。

 

世界が壊れているのは、本来神がデザインした顔と顔を合わせる

関係から外れて、疎遠、現代は擬似のサイバーとの関わりで

正真正銘の神の創造された本物の関係の中に生きることが

何かを分からないで彷徨い出ているからです。

 

神が創造した=わたしの記念日と神が人に伝えている、週一度の

記念日は誰がどう変更しようとも、理由付けしていつでも良いとかなんとか主張しても、神がシャバットは第七日目と言った

日なのです。神が創造された記念日に人が意義申し立てするなんて本当におかしな反抗的な行動だと気がつかないとならないのです。

神の言うことを無視すると言う行動が意味するところは何か?

と本気で考えたら良いのです。どうして神が伝える永遠の真実

教えが終わりであり、拒否したいと思うのか?

誰からその意識を刷り込まれたのか?

それは全部人=ローマ=神の国、神の記念日、神の国の人々、

神の教え=言葉を生きることを”バン”禁じたからだと言う

事実に目覚めたら良いのです。

神の言葉を終わらせ否定する教えとは、まさに4世紀のプロパガンダ=嘘にずっと乗せられて現代まで引き継いで来た思想なのです。

この日の重要性は聖書を読めば、神が神の口から何度も

何度も重ね重ね厳重にこの日をガードして祝い、喜び楽しみ

生きてと言われて、それをないがしろにする代償は死に

値するとまで書いてあるのです。

うわ!神は怒りの神?ひどい神??そうでしょうか?

神が全世界の創造主であり、そのお方が人に伝える全てを人が

神が言われた通り、神の目線で聞くなら真理を理解出来るのです。ずれた解釈は誤解を生むのです。

 

善悪の知識の木から食べるなら、必ず”死ぬ”と言われた事と

同じなのです。人は神から伝えられたことを無視することの

代償をすっかり忘れて違うことを取り入れてやってしまう

落とし穴に気がつかないとならない警告でもあるのです。

神が言われたらそれが真実!と言う事を人間がズラしたので

今の世界の現状が訪れたのですから。

 

シャバットを失う、ないがしろにする、それは私達から

命奪うものだから神が厳重警告しているのです。

 

神の言う事を無視してないがしろにする代償は大きいのです。

神が伝える全て100%は私たちの命がデザイン通りに保存されフルに喜びを享受し味わい生きるためだからです。

 

それは神が仁王様の様に怒り顔で睨んで人が服従するかどうか

見張っているからではなくて、神の言われる重要な教えを

無視する事は人の命を損なう事、死とは物理的な事と同時に

”隔たり” ”乖離” そして破壊を生むことでもあるからです。

 

どの国の生まれ、どの国の国籍だろうと、イスラエルの神、

イシュアを信じるとは同じイスラエルの神の国の国民とされたとあるその事実を信じるなら神の言葉の永遠不変性を信じるべきなのです。

アヴラハム、イサク、ヤコブの神 イスラエルの神と紹介されているでしょう。

それは、神が代表者を通して結ばれた契約の全貌が今も有効で

あるからなのです。

イエシュアに出会い救われたとは同じ”契り”の中に、同じイスラエルの羊、同じオリーブの木に繋がれたと言う意味。同じ1つの

家族とされたと書かれています。エペソ2

同じ相続を神から頂いてるという事実がある。

同じ神の暦、同じ神の教えを生きる同じ家族!だと書かれてるのです。オリジナル聖書には。。。

 

クリスチャンの教えの世界は、オリジナル聖書には基づかない

教えがたくさん取り入れられてしまっているのですが、

その事実に全く気がついていないのです。

聖書に全く基づかない、根拠も無い教えを聖書だと考えていますが、それらはローマ帝国=ローマ皇帝が作った宗教の教えや

記念日、ローマ教、カトリック教が作り出した教えが

教えられてそれが神の言葉=真実だと思っているだけなのです。

 

そしてオリジナルの聖書の中身を排除する様にローマから命令

されて、神のオリジナルの教えを無効とする教えをローマ帝国、

ローマ皇帝が作り、浸透させるために推奨した歴史の事実さえ

クリスチャンの多くは知らないからだと思います。

 

ローマ教の作った教えや、慣わし、しきたり、そしてローマ教の

記念日は聖書に基づかない、宗教文化の産物であるのに

それらが聖書であり神が言った、作ったものとされていますが

それは聖書に基づけば”人間に創作”されたイスラエルの神が

造られたオリジナルのものや、オリジナルの教えとは

異なるものなのです。

 

今日5月2日、日曜日は、東方教会では”イースター”の記念日です。クリスチャンのグループでは、毎年春分の満月にちなんで

すぐの日曜日と設定されています。今年は4月4日、日曜日。

 

聖書のオリジナル、神が創造された記念日では、過越の祭で

始まる7日間の種無しパンの中で復活の命を祝う”初穂”の日が

あり、初穂=復活の命にされた事実を穂が成長する収穫で表す

7週を、次の都上りの祭り、シャヴオートの祭りまで過ごす事がオリジナルの神の教え、そして聖書に出てくる人々、イエシュアや使徒やパウロが昇天以降も同じ神の永遠のオリジナルの記念日を祝っていた記述でも知ることが出来ます。

 

この違いを聖書を読めば分かる様になっているのです。

4世紀以降西洋人により造られた様々な教えや記念日は聖書に

根拠のある出来事もありますが、実は神の記念日として祝う様に言われていない。

シャバットも曜日変更などしてはならない。いつどこでどう誰と集まるのかは全く自由ですが、それは神が指定した記念日では

無いのです。

 

そして祭りの日付も人=ローマが彼らの習慣にちなんでが

決めたものであるのです。

クリスマスも12月25日、そして東方教会は1月6日と別々の日であり、聖書にはクリスマスと言う祭りを祝う仰せさえ書いてないのです。しかも冬にイスラエルで馬小屋で寒すぎて

過ごせない、羊飼いが野宿などしない時期であり、

誕生された時期も全く違うのです。

 

もちろんイエシュアが地上で誕生された事実は記載されていますが、永遠の中に存在する神の地上での記念日を祝う様には

デザインされていない。いや神のオリジナルの記念日の中で

実はそれが分かる所があると思います。

 

誕生日を祝うと言う習慣が古代ヘブライには無いものでも

あったのです。

 

私達異邦人は、まず最初に代表として選び出された大家族の長で

ある”イスラエル”と言う同じ1つの家族に接ぎ木されたと

聖書では説明しています。

同じ家族は同じ”神の同じ永遠の教え”を生きる。

これが神が与えられた”婚姻の契り”=モーセの五書の中で

詳しくクリアーに書かれているのです。

 

同じ相続を得た人達、それはイスラエルであれど、異邦人であれど全く同じなのです。相続の量や条件は違いますが=これには

説明が必要ですが、イスラエルが二倍=長男が二倍の相続を

得る理由は、他の家族全員に何かあった時、責任を負う、分け与える役目があるからです。相続を独り占めするためにイスラエルが選ばれたのではない事は、”アヴラハム”を通して全世界の民族へ同じ祝福が与えられるためとはっきり書かれている事実でも

分かります。

 

だからイスラエルの神を”アヴラハム、イサク、ヤコブ、

イスラエルの神”と神が紹介しています。

異邦人も”イスラエルの神”に繋がれた同じ家族の一員と

されたのです。その人達は、神の婚姻の契りに書かれた生き方をして神の記念日=暦も同じ様に相続し生きる様に神が人に教えている事実を知らなくてはならないのです。

 

 

続く