今、今日現在、イエシュアが復活、昇天されてエルサレムにて
弟子たちが次の都上りの祭りのシャブオートを迎える準備期間であり、同時にこの過越からシャブオートの祭りまでの日々は、
復活の命にされた実態を生きる、考える、思い巡らす、新しい人として日々行動する回想の日々なのです。
これは今2021年の今日のこの日も全く同じ”神の暦”=
神のデザインしたレッスンプランの中に歩む日なのです。
義の道を歩むとダビデが詩篇23章で言った意味は、
神のデザインした命のサイクル=1年の中のサイクルを生きる、
それは神の記念日から記念日に渡り神の言葉=教え=声の下に
居て神から様々に教えられるその祭りを巡る暦=天の万象が巡る様に、その中に生きる事義の道とは、新しい命=復活の命で生きる事に切り替え続ける歩みの内容をダビデは語っているのです。
もし神の言葉=教え=声の下に来て、神の言われる言葉を聞く
なら、神の語る教えの周波数から外れないで、神の教え様とする
内容、意味をキャッチするなら、神が今この日、この時自分に
教えようとしている事を理解する事が出来るのです。
そうしない場合はどうなるのか、義の道=木の年輪の様に
毎年毎年義が増し加わる生き方=成長が無いまま同じ状態で
生きる生き方に留まる。前の年と同じパン種=ハメッツ=
要らないもの=罪を次のサイクルの年も同じく繰り返しをする。
何も成長、何も学ばない、同じ状態で生きる。
繰り返す理由は、脳回路=肉の目に神が教える教えの割礼を受け続けないまま生きて行くからと言うシンプルな理由なのです。
見よ!全ては新しくなった!と言われたのは、本来の自分、
神の似姿にされた人が取り戻されている!と言う事実を与えられている!と言う事です。
でも、受け取った新しい人を生きるには、古い人=主と共に死んで葬られた人の中に眠っているパン種の数々が実際に自分の
記憶、思考、頭の中にあるから、その邪悪なパン種に気がつく
旅路が肉の目を切り替える、頭脳に割礼を受け続けるプロセスなのです。
これが荒野の40年のイスラエルの旅路で表されているのです。
そして、神の記念日から記念日を新しい人を常に意識しながら
注意深く生きる事で表されているのです。そして祭りは次の年にも同じく巡ってくる。命のサイクル=義のサイクル=神の記念日から記念日を生きる事で表されているのです。
神の記念日の意味は、以前は聖書を読みながら全く理解していませんでした。記念日さえ内容も意味も全く分からないままでした。
それは礼拝とか記念日とか、自分の宗教体験や、教えられた事しかしらないまま、西洋宗教の教えの世界が聖書の語る事実であると誤解していたからです。聖書で神がなぜ礼拝とかシャバットや
祭りがあるのか、ちゃんと教えているのに、その事実を本当には
知らなかったからです。聖書に書いてある、本来の意味や意図を本当の意味を教えてもらえなかったからです。
教える人も知らなかったからです。
聖書に〜しなさいとか、〜してはならないと書かれているのは
単純にそれは神が造られた神の似姿の人間の性質であるから
そうする、神の性質にそぐわないからあなたはなになにしない。
これこれするのはあなたの性質だからそうするのです。
これこれすることはあなたの性質では無いからそれらをあなたはしないのです言う事。言ってみれば単純にシンプルな理由!
なのです。神に喜ばれるために、えこひいきされて特別な恵、
祝福もらうためにあれこれするなんてそんな理由では
無いのです。
その前に、私達は永遠の中から既に永遠無限の祝福をもう頂いて得ているのです。
人間的に考えたらそれはこの世の富であらわされると考えると
思いますが全く別の世界の話です。
でも同時に私達の必要の全ては与えられる、天の無尽蔵の蔵から
与えられる。そこから”繁栄の神学”と言う誤解した教えを生み
出す人達がいて、この世の繁栄を主張しますが、それって全く
他の宗教と同じ肉の思考回路から考えているイスラエルの神に
繋がると言うのがどう言う意味なのか理解していない、
異教神、異教徒思想で考えている教えなのです。
そして信じる者は艱難の時代には、お先に携挙され、この世とは
おさらばですと言う思想も聖書には書かれていない思想神学発想です。これは19世紀に出現した様々な思想、哲学から生まれた
当時のクリスチャンたちが編み出した教えによるものなのです。
聖書で神が言われているのは、何でしょう?ノア、ソドムと
ゴモラ、エステル記の記録など読んでも、私達は艱難に合うのは免れない事なのです。何事も無い時代もあり、とんでもない時代も一緒に通り抜けなくてはならないのです。良い時も悪い時も
両方経験する。
その時代に置かれていると言うことは、意味があるのでしょう。
地の塩、世の光、破れた戸口に立つ人達。この暗闇の世界を
神の光、命、実態を生きる人達でガードし、治める事をしなくて
はならないからです。
イエシュアも言われた通りです。この世に在っては艱難がある。
でも既に勝利はイエシュアにより保存されている。悪は必ず
最後には滅びる!それが結末です。その中で主に信頼する
ものは守られると言う約束があります。
地上で神が望まれるその時までちゃんと守られるから大丈夫
なのです。そして、時が来たら瞬間移動するだけ!
既に私達はこの世に在ってこの世のものではない=神の中に居る
天の現実の中に居る、感じないけどそれが事実であることが
聖書には書かれているからです。
昨日は”ホロコーストを覚える日”でした。クリスチャンの世界では余り聞かれないと思いますが、1月にはホロコースト記念日がありました。去年は今住んでいる国のイスラエル大使館主催の
記念行事に職場代表として参加させてもらいました。
各国の大使が集まり、その後に軽いレセプションもありました。
<主人と同僚家族に一緒にくっついて行っただけですが>
イスラエルの大使とユダヤシナゴグのラヴィにそこで初めて
お会いして夕食にも招かれたりしました。
ロックダウンの前の出来事なので。
ロックダウン以降、イスラエルにも他の国にも出入り出来なく
なりましたが、そのおかげでオンラインでイスラエルの仲間の
グループと週のうちほとんど色々な学びや祈りや行事で画面を
通して会い、話たり分かち合う機会に恵まれています。
昨日は”ホロコーストを覚える日”1940年ワルシャワのゲトーが設置された日です。聖書の暦では第一の月=ニサンの月の27日に
なります。1943年5月13日、終息するまでになんと国内のユダヤ人で生き延びる事が出来たのは8%程度であったそうです。
昨日は、勇敢なユダヤ人達がどの様にユダヤ人の隣人や子供達を救出したのか、その人達の事について友人がプレゼンテーションをしてくれました。人のために命や財を投げ打ってたった一人でも助ける!と決意していたユダヤ人達。そのやり方は、偽の身分証明書など偽造したり、その国の言語が話せたりと色々ありましたが、本当に勇敢だと思いました。その背後に神が存在していた事は間違いないと思います。異邦人の中にも、そう言う人達が
いました。コーリーテンブーンや杉原千畝さんなど数多くの人達が神の声を聞いて、人としてどうすべきかの行動を取った。
イスラエルでホロコースト記念館に行った人はその光景を
思い浮かべる事が出来ると思います。
昨日プレゼンテーションしてくれた友人も初めてホロコースト
記念館に行ったのは、アメリカのワシントンD.Cにある記念館
だったそうです。そしてユダヤ人なら誰でも家族の中で
ホロコーストを経験している人が居るのです。
生き延びた子孫達が今いるユダヤ人であるからです。
彼女の家族も祖母一人が兄弟の中で生き延びて、
アメリカに移住してその後イスラエルに帰還したそうです。
ホロコースト記念館を通る時、入ったら出口に行くまで出れない
構造になっています。そしてその中を通る時パニック状態に
なってしまう!と祈ったら、”神は良いお方である、神の憐れみ、恵みはとこしえまで”と唱えながら行きなさいと言われた
そうです。
ユダヤ人の中には、直接ホロコーストを経験していない世代も
必ず欧米に住めば迫害を受けていて、そして肉の記憶の中に
祖先のホロコーストの記憶が染み付いて、今もパニック障害などの影響を受けている多くの人がいるのです。
こんな惨事なのに、どうして?どうして?神の憐れみはとこしえまで?神はひどいお方だ〜と思うのは簡単です。どうして?
分からない。どうしてこんな事?と思う事が今この時も世界の中で起きている。堕胎により闇に葬られるたくさんのまだ生まれ
ない子供達、イスラエルでも堕胎が認可されているその事に
何も感じない鈍った意識。
そして、世界の闇の中で子供達が苦しめられ、虐待されて行く。
子供だけではなく、世界が狂った方向へまっしぐら。
悪が善、善が悪とされ、神のデザインが否定され、醜いものに
歪められ、めちゃくちゃな方向へ向かっている。
続く