聖書の教え、別情報を教えられてしまった鎖国時代をくぐり抜ける | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今週木曜日25日の日没にはイスラエルで”プリム”が祝われ

ます。エステル記にその祭りの由来が書かれています。

 

イスラエル以外の諸外国にいる人達は金曜日の日没に祝うようですが、どちらでも良いのです。こちらはイスラエルとその日は

オンラインで繋がり、エステル記を読み、エステル記に登場する人物に扮装します。エステル王妃、モルデガイ、そして王と民衆=イスラエルと悪者=ハマン。ハマンはユダヤ人全殺戮を企て

<全人類殺人企てと繋がります>そして、自分がトップの座に

座り、世界を牛耳るプラン。でもこのハマンのプランは見事に

空中分解、飛び散ります。神が介入されたからです!

ハマンの名前が聖書朗読で出てきたら、皆楽器鳴らしたり、

鍋釜叩いたりと、騒音立てます。

 

そしてエステルやモルデガイの名前が出てきたらみんなで

声援を送るなど子供達にはとても楽しい祭りの行事なのです。

神の記念日=レビ記23章は全て楽しいもの!です。

神のオリジナルに造られた祭りなのに、それを律法なのだと言う異邦人達は、そう教えられたから考えもなくそう言うけれど、

酷くないですか?神に対して直接言ってみたら感覚的に分かるでしょう。あなたの造られた祭りは人を縛る律法なので、今は

ローマ皇帝が作った祭り、4世紀に死刑と重税と言う脅迫に屈したおかげで皆が祝う様になったので、あなたの作った祭り、

永遠に祝えと神が言われた祭りを捨てて、ローマ帝国創作の教えに乗り換えた伝統を継承して来ているので今は別物を祝っていますと事実通りに宣言して言ったら真実に気が付くかも。

 

祭りや祝いが楽しい事体験的に知っているでしょう?

特に神の記念日は全ての人、特に子供達に印象付けるために

楽しい、嬉しいもの!なのです。そして美味しいものを食べる

飲む!皆互いに祝福する、神を祝福する。これはどの世界でも

祭りや記念日は同じでしょう。

祝いには楽しい晩餐が付き物でしょう?どうして聖書を曲解して

教えられ続けているのか考えれば良いのです。呪いの律法=神の創造された記念日?その人間が定義する神の記念日が変だと

気が付かないほうが変でしょう?イエシュアは呪いの記念日を

祝うように人に伝えたのですか?イエシュアが祝っていたのは

異邦人が言う無用で終わり意味ない呪いの律法の記念日です。

今はローマ皇帝の作った教えの方が神より上になってしまったのです。神の永遠の教えを伝統的に否定している事実に

気が付かないだけなのです。

 

イエシュアもプリム、ハヌカを祝われていました。

今の世界と同じ、全く並行した歴史の出来事の繰り返しを

思い出させるものでもあります。私達の命を贖い出させるお方は、人ではない、国のリーダーではない、”神”ご自身が

乗り出してイスラエル=人々を数い出した歴史の記録でも

あります。

これは”ハヌカ”の祭りの由来である”マカバイ戦争" 異教の神々のシンボルや儀式をイスラエルの神の神殿の中に持ち込み、

汚し、そしてユダヤ人も彼らの異教神の要素と同調させ

汚される、ギリシャ帝国の侵害から神殿を取り戻した祭りと

同じです。しかもいつも!!!ユダヤ人側で戦うのは少数。

とても勝ち目ない!1973年のヨムキプール戦争も同じでした。どうしてイスラエルが勝つのか不明。神が介入し敵陣を退けた!それ以外説明出来ない、いつもそうです。最後の戦争も同じ。

世界中がイスラエルへ攻めて来る。でもイスラエルが神により

勝利する!

イエシュアも祝っていた祭りですが、これはレビ記23章にある

福音を表す預言的祭りとは違うものです。

エステル記にはイスラエルはこのプリムの祭りを祝うと書かれていますが、誰でもイスラエルの神の家に繋がれ、加えられた者はイスラエルであると聖書にある通り、世界中で神の子らはプリム

とハヌカも祝っています。

世界で一般のクリスチャンの中で教えられている教えの出所、

根拠は、完全にデスペンセーション神学の思想です。その人造の教えと言うフィルター、色眼鏡を通して聖書を考えていて、

オリジナルの聖書を終わり、無用、比喩的であるだけと否定して、人の教えが神の言葉を塗り替えている教えです。

イスラエルと異邦人が別物のグループと分けている教えですが、

それは聖書の教えでも真実でも何物でもない、騙しごとの虚しい人造哲学なのです。

それ聖書の事実ではないよ!と周りで誰一人言わないから

分からないだけなのです。聖書に書いてあっても書いてある通りに読まないのが正常な状態にされてしまっているからです。

 

トラーを知るユダヤ人ならそれは、”聖書では無い!”とはっきり言いますし、教えます。

今イスラエル出身でイスラエルに住み、5代先の先祖までずっとラビの家系であり同時にイエシュア信者である人達、救い主に

出会った人達が今イスラエルを拠点に大きな活動をしています。

 

主にイスラエルに居るユダヤ人達に向けて、トラーとイエシュアが同じである事!をヘブライ語で伝えているのです。

そして諸外国で、アメリカなどでユダヤ人達は教えますが、

その時にははっきりとトラーを知らない、神学の教えを聞き続けたクリスチャン達に、神学の教えは聖書では無いよ!と言い

聖書の真実を聖書=ヘブライ聖書=オリジナルの神の言葉から

聖書通りを正しく教えます。やっと本物到来の時代が来たのです。当然なのですが神の言葉の真実が2000年近く封印されて、神の言葉が別の教え=人の思想、教え、神学にすり替えられ続けてしまった!その偽情報の伝達がリセットされる時が

今来ているのです。

 

人々が真実を求める、神の言葉の真理に目覚めて目が開かれて

行っているからです。なぜなら、人は神の真理=言葉で綴られ

出来ているから。私たちの性質は神のものとは異なる嘘は拒絶、真理だけを受け取る、それが本当の神に造られた人達の

エッセンスそのもの、私達の成り立ちそのものだからです。

自分では無い臓器を理屈なしに自分の体が拒絶するその反応と

同じなのです。別物を植えつけられたら縛られ苦しくなり

行き詰まるからです。多くの人は分からないけど感じている

でしょう。宗教の教えの中にはそれ以上先に解放が無い、

行き止まりを感じている多くの人がいるのです。

 

聖書=神の言葉の真実の点と点だけを繋ぎ続けて行く作業を

している人達=異邦人が大勢いるからです。

今まではユダヤ人だけの間で語られていた神の言葉の真実、

今ユダヤ人の中には1世紀以降より最も多くのユダヤ人が

イエシュアに出会っているのです。

 

その中にはラビ達も当然います。公には聞かされませんが、

トラーを知る人達が本物の救い主に出会えば、正しい聖書

正しい教え、解釈をする人に異邦人達が教えられれば、誰でも

真実に気がつけるのです。私たちは人間の教え=神学と言う

フィルターを通して別の福音を聞いて来てしまったので、

その真実に気がつくまで、相当時間がかかるのです。

 

時間=神の言葉の真実だけに忠実にずっと聞き続ける、聖書を

読み続ける、神の言葉の真理の中だけに留まり考え続ければ、

嘘の教えの鱗、縛りの縄目が剥がれるからです。真実の点と点を

繋げる作業無しに真実には気が付けないのです。

1、2のジグゾーパズルのピース繋げただけでは全体画像が

見えないでしょう。それと同じなのです。

 

問題は混ざった教え=置換神学や、デスペンセーション神学や

そして神の言葉は終わりだとかユダヤ人だけのへ教えだとか、

異邦人には今は無用の呪いの縛りの律法の神の教えだとか、

聖書の真実では無い教えだけをコンスタントに信仰の始めから

聞き続けさせられてしまう環境の中にいるから、神の言葉が永遠不変であると書いてある真実に気が付けないだけなのです。

神の言葉は蜜の様に甘く、人を生き返せる!と言うのと、神の

言葉、教えは呪いの縛りの律法という定義がイコールでは無い

こと聖書に書いてあっても気が付けないのです。

神の言葉は1つ!一貫して同じ!その聖書の事実に盲目だから

真実が見えないだけなのです。

 

特に日本語圏はそうです。真実な情報が無い。あっても半分は

人の神学の教えを混ぜたミックスな教えしか無い。

英語圏は全く別です。

問題は聖書を書いてある通りの意味、内容通りにだけ教えると

言う訓練を受けた正しい教師がいない。人の思想を聖書で語らせる教えは無数にどこにでも、たくさんあります。聖書の一節だけ取り出して、何とでも聖書を通して自分の思想=聖書では無い教えを語らせることは誰でも出来るのです。進化論を教える教師は

ノーベル賞級の学者かもしれない、でも神の創造の真実を知らない、語っていない!それと同じ事なのです。神学の教えに優れ、翻訳聖書は知っていて、この世界の知識に溢れている知識人、

常識人、善良な人かもしれないけれど、オリジナルのヘブライ語聖書を知らない!ヘブライ思想で聖書を読む世界を学んでいない!聖書の真実を語っていない!それが大問題の根、

聖書が見えない、聖書では無い教えを気が付かないまま

解説しているシンプルな原因なのです。

 

神の言葉の中に人の思想挿入は完全に無用、いやしてはならない事であり、聖書の事実だけに戻る時に、神の語る純粋でピュア、

本物の福音を聞く場所、”わたしの声の中”に居て”わたしの声=

本物の羊飼いの声”を聞く周波数の下に来れば、神の言葉の

真実が聞こえます。

イエシュア=本物の羊飼いはトラーを語っていることに

神学の教えだけを聞いている場合は気が付けないでいるのです。

 

なぜなら、偽情報にコンスタントに触れ続け聞いて刷り込みされてしまったら神の言葉が曲がって聞こえて来るのが正常になってしまうからです。

イスラエルへの教え、異邦人への教え=2つ別の教え、

別の福音、別の契約、2つ別の記念日、祭り、7つの時代に置かれた7つ別の違う教え、別の義の基準!それ聖書の教え、

聖書の真実ではない!

それは”ダービー教”と言う新興宗教の思想の教えです。

そんな教えは聖書にはない、19世紀まで無い、いやその教えの

下地は1世紀後半から既に出現し、ずっとトラーを知らない、

聖書を本当には知らない異邦人=西洋司教達により、自己流解釈とローマ帝国の政治的圧力と言う環境の元作られて来たものなのです。

 

 

続く