なかなか本題に辿り着かないままイントロを書いていますが、
歴史の中で、聖書=神の言葉、教えが誰により変えられ続けて
しまったのか、その事実をはっきり知ると見えてくるものが
あります。
日本ではまだそれほど普通の人は感じないと思いますが、
今の世界の出来事、病気、その対策の危険、そしてあの国の本当の実情や、世界は誰により繰り回されているのかの裏事情の真相を話すために動画や記事やブログを投稿している人達は、
多大な規制、制御をかけられているので、
はっきりコントロールに気が付いています。
黙示録と同じ、ヨハネがトラーを知るユダヤ人だけに
しか通じない”コード化”した言葉、隠語で黙示録を書いた理由と
全くぴったり重なります。
トラー=モーセの五書=ヘブライ聖書を知らない人達=
ローマ帝国の監視、身に迫る危険を回避するために、
ローマ政府には決して通じない、バレない、彼らには意味の
通じ無い言葉で、トラーに書かれた内容を黙示録に
書いているからです。
だからモーセの五書=トラーを知らない人が読んでも、
意味が不明な箇所がたくさんあるのです。分かった様で実は真相がはっきり見えないと言うのはそれです。
ヘブライの聖書を知らないからです。
パウロの書簡は、多大に誤解された解説に塗り替えられていて、
人間思想=神学思想=ダービー思想を信じる人達が、ダービーの
教えを根拠に聖書とは異なる意味で解説しているので、その中身は聖書では無い事を解説しているのです。だから、聖書に書いてある事実通りに聖書に書かれた通りの原文を読み直す、
解説し直せば、神の言葉は100%トラーを語っている事に
誰でも気が付けます。
人の教えに固執しないなら!神の語る真理が分かります。
”あなたは神の言葉、教えを退けて、人の教えに固執するのか?”
マタイ15:3にあるイエシュアの警告が現代の今の自分に同じ様に言われている事を認めるなら、神が神の語る永遠不変の神の言葉の真実を教えてくださいます。伝統で語り継がれた人の教え=思想、神学に固執するなら神の語る真理、真相は影響に闇の中で、人の思想を神の教えだと勘違いして別物を生きてしまう
ことになるのです。
その前に、どうしてその様な思想が出てきたのか?
1700−1800年代の哲学思想、宗教思想を調べると、
皆全て互いに影響し合い、繋がった思想、そしてそれらは幻想、
人の発想、考えで繋がっている事を発見します。驚くべし。
人は人の思想に影響され、自分に合う納得いく説をいくつか
取り入れては、自分思想宗教を作り上げて来たのです。
ミックス=混ぜ物の教えです。
そして、それ以前に1世紀以降、聖書に書かれたユダヤ人
イエシュア信者や、異邦人イエシュア信者が現代の様な教え、
神の言葉を破棄して、新しい教え=キリスト教と言う教えを
生きていたと誤解していると思いますが、それは聖書の事実とは
異なる事を知らないとならないのです。
聖書とは異なる、でも聖書の教えと誤解されている人の作った
思想=教え=神学のエラーは何か?の指摘は必要なのです。
嘘は本当と信じたら、それらの教教えは、
神の真実に出会う妨害でしか無いからです。
そして、神の言葉を退ける事こそが神に対しての冒涜で、
人の教えは神の教えとは異なる、どんなエラーの教えなのかを
探り、知るのは、神の仰せ、教えなのです。嘘を本当なのだと
偽る違和感、気持ち悪さは、真実に気がつけば出来なくなって
しまうからです。
1世紀当時のユダヤ人、異邦人のイエシュア信者は、
100%モーセの五書を生きていた事実が聖書には
書かれています。
私は、福音書以降に書かれているのは、古い教えとは違う別の
新しい教え、そして古い教え=聖書の最初の70%は終わり、
古い祭りも終わり、それは律法!古い呪いの律法である神の
言葉を今は生きる必要が無くなった?
恵の時代には不要な神の言葉。そしてなんでも自由になったと
教えられました。今までの神の祭りは終了、呪いの律法!
昇天以降は日曜日礼拝、クリスマス、イースターを神の仰せで祝っているものだと、聖書にも書いても無いことを信じていました。ペンテコステって、呪いの律法、終わったはずの神の祭りの1つで、しかもその祭りは、”モーセの五書=婚姻契約”を受け取った記念の祭りなのに、聖書の事実と全然辻褄合わない教えを
聞いても、全く関係ない!聖書の事実に基づき考えない!
クリスマス、イースターは異教徒でも世界中どこでも誰でも祭りとして祝っていますね。
神のオリジナルの記念日は神の言葉が永遠不変と信じる人だけで祝われる祭りなのです。神の子らの大きな特徴、印!神との関係にある印の祭り!と聖書には書いてあるのです。
そして歴史の中でも4世紀にローマ・カトリック教の前身と
なる、ローマ新宗教が造られるまで、形として正式に
ローマカトリック教など存在していなかったのです。
イエシュアがパウロがキリスト教、ローマ教を作ったと本当に
勘違いしていると思うのです。ローマ宗教の教えは人間が作
った宗教である事は聖書から、そしてローマ皇帝のイエシュア
信者やユダヤ人そして少数の異邦人への迫害を知れば分かる事
です。
彼ら1世紀以降のイエシュア信者はカトリック教の教えを
生きていたのでは無いのです。100%預言者や、イエシュア、
使徒やパウロ達と同じヘブライの聖書=モーセの五書を
生きていたその事実に戻して聖書に書いてある通り正しく
考えないと、聖書の真相は見えないのです。
なぜイスラエルの神の教えが、ローマ=西洋色の宗教になり、
ヘブライ色、詰まりユダヤ人=イエシュア=今もユダヤ人
イエシュア信者達や少数の外国人イエシュア信者達が生きている
神の言葉=教えと違う教えを、4世紀以降生きるのが主流に
なってしまったのか?
それは、ヘブライ色、ヘブライルーツと決別!!!とローマ皇帝が決めて、別の新しい教えをローマ皇帝が作り、モーセの五書を生きることを弾圧!死刑をもって禁じられ勅令を出したから!
それが本当の事実なのです。
今も同じですが、言論の自由が弾圧されたら、普通は黙りますよね。黙らされると言う方が合っている。そして影で真実を話す。
影で真実を生きる。それです。ユダヤ人はどこに行っても
家の中では、神の永遠の教え=モーセの五書を生きている。
異邦人は神の教え=モーセの五書=婚姻契約=神の教えに
生きることに全く根付いて無い人種です。
だから、ローマの教え=混ぜ物の宗教に簡単に迎合したのです。
いやマカバイ戦争の時代、ユダヤ人もギリシャ帝国の異教の神々の混ぜ物の教え、汚れた動物=神の家、神の祭壇に相応しくない豚を祭壇に捧げて食べたりする事に迎合した人達も居たのです。
でも殆どのユダヤ人は混ぜ物の教え=偽物の教えに抵抗して、
深く静かに潜行、散って行ったのです。それが事実なのです。
だからそのおかげで、私達は、ヘブライ語聖書をヘブライ人の
教師に習う、教育の機会が全くなかったのは、それが理由なのです。全部西洋人による、西洋思想神学による、翻訳聖書の西洋人が考える思想で解説=聖書として教えられてしまったのです。
ユダヤ人は黙らせられたからです。
そして、ヘブライ色ある教え、モーセの五書に書かれた人間の
生き方=イエシュアや使徒、パウロ達が生きていた教えを
”語るなかれ!” ”教えるなかれ!” ”生きるなかれ!”
”神のオリジナルのシャバットや祭りを祝うなかれ!”とローマが
言った教えを、現代のクリスチャンも教えられ、信じている。
そう言われたら、神の言葉がなんたるかの意識が薄い異邦人は
命がけで禁じられたものを生きたり、教えたり、祝うわけないのです。死ぬより生きてローマ皇帝の神の言葉を変えた教え=
代替えの教え、モーセの五書=神の言葉を無効とする教えを
生きて、主日礼拝、クリスマスやイースターを生きた方がまし
だからです。
まあ同じイスラエルの神を信じているんだし、汚れた動物食べ
ようと、神が禁じられた事をしようと、神の前に口で謝れば済む事だしと考えれば、自分の中の不協和に決着つくのが
異邦人の意識だからです。
それどころか、それほど異邦人は、始めからトラーを知らない
ままなのです。最初から聖書の中身を知らない人々だからです。
1世紀以降の信者はユダヤ人が殆どです。ユダヤ人はトラーを
幼い頃から丸暗記する教育が家庭でされている。でも異邦人は
トラーを全く知らない、自分の手元に聖書も無い、パウロの様なトラー教師もいない、聖書を語るのは、西洋人の司教のみ。
彼らの唱える西洋宗教の教えのみ。
この様な負の連鎖が、真実な福音が伝わる妨害となって
別の宗教として伝わってしまった真相なのです。
トラーを知らないなら何が聖書=神の教えか分からない。
それが中世のカトリックの中の逸脱した様々な教えを教えられ
生きていた事の原因なのです。
続く