人間が作った思想 哲学 神学を繰り返し言う事で   神の言葉だと信じ込んでしまった経緯 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

情報の刷り込みとは凄い作用があるのだと思います。

嘘も100回言えば本当だと信じ込まれてしまう。

嘘が風化すれば全部真実だと言う事にされてしまう。

 

神の言葉=聖書もその様に異邦人達の間で取り扱われてしまい

今に至るのです。異邦人=イスラエルに、神の言葉に、神の契約の命に何も関係がなかった人達は神の言葉が何かと言う意識が

薄いのです。イエシュア=神の言葉=トラーと言う事実を聖書を読むだけで繋げることはしないでしょう?

ヨハネは、イエシュアイコール=神の言葉、

トラー=モーセの五書と書いているのです!!!

パウロの様に幼い頃から、先祖代々トラー=神の言葉を言語に

書いてある通りを学び続けた背景が全く無い異邦人により

聖書に書かれた事とは違う教えが語られて来てしまったのです。

 

その一番は”神の言葉は途中で変わったと言う嘘の教え!

異邦人は現代は神の言葉を生きる必要が無い恵の時代に入った

と言うマルキオン、ダービー、スコッフィールド、そしてそれらの教師の教えに信奉する人達で唱えられるプロパガンダを

神の新しい啓示、新しい教えであると信じされられて

しまったのです。

 

律法、呪い、廃れた、破棄された、無用、怒りの神、

恵の神、呪いの時代、恵の時代、旧約聖書、新約聖書など、

そんな用語で神の言葉を表されてしまっている。

神の言葉の永遠不変性も、神の言葉が1つ、永遠から永遠に

変わらない、イエシュア=肉体を取ったトラー、

アルファでありオメガと神が言っているのに

人の教えのプロパガンダや人の定義する神の言葉で、

それらの教えを聞く人の意識を支配し、

偽の教えで取り込み、洗脳する、凄い作用があるのです。

 

昨日アップした動画にある通り子供の頃見たコマーシャルや

歌のフレーズや様々な事、意識の中に刷り込まれたものは

本当に消せないもので、記憶の中にずっとあるものです。

ボケたとしても、子供の時の記憶は脳の中に存在します。

 

まして神の言葉に対して、虚偽の教え、人が作った聖書とは

異なる教えを信仰の始めから刷り込まれてしまったのですから

これを覆す、正しい教え=神の言葉の真実に戻すのは困難です。

いつも最初に聞いた教えに引っ張られ続けてしまう!

周りのクリスチャンも皆そのダービ思想を信じている。

毎週コンスタントに聞き続ける教えも2000年以降は変わった別の恵の教えと言う教えを聴き続けているから、それが聖書の

本当の教えだと思ってしまう。日本語圏には、オリジナルの

ヘブライ語聖書を原典聖書に書いてある通りに教える教え、

永遠不変の神の言葉と言う正しい理解をする教えを語る、

聞く機会が無い。

 

神の語る真実と真実の点と点だけを繋げて行か無い限り

人の教えなのに、聖書にも書いても無いのに、

それが神の教えと言う洗脳から脱出出来ないのです。

 

人が作った神学が語る内容は聖書とは違うものだからと、

意図的に神の真実な言葉、教え、情報に切り替え続ける

必要があるのは、嘘の情報で支配された思考回路と記憶!を

変えるためなのです。

その作業が必要なのです。でも、何が人の教えで、何が神の言葉なのかの区別も出来ない事が問題なのです。なぜなら、聖書に

書いても無い教えが神の教えと教えられているからです。

 

いや聖書を本当に学ぶ教育が異邦人の世界には本当に無い。

ところどころかいつまんで読むと言うことはしますが、書いて

ある通りの意味をそのまま教えられた事は無い、最初から最後

まで言語で書かれた意味通りをちゃんと教えられ続けて読む、

学ぶと言う事をした事のある人は殆ど無いと思います。

 

それが聖書が分からない、神の言葉の事実が見えない

本当の問題の原因、根です。

普通の人はヘブライ語なんて分かる訳ないです。だから教えて

くれる教師が必要なのです。導き手が居なくてはどうして

分かり得ましょうか?収穫は多いが働き手は少ないとイエシュアが言われたのはその通りなのです。なぜなら異邦人に教えられる

熟練した知識を持つ人、熟知した教師=ユダヤ人達が世界へ

散るには時間がかかるからです。

 

聖書を書いてある通りに正しく知る事をしない限り、

神が語る言葉の本当の真実が見えて来ないからです。

パーシャルフリーズと言う言葉も日本の中にありますね

半分冷凍。それと同じで、半分嘘、半分本当。嘘の部分は、

人の教えで塗り替えられている神の言葉では無い違う教え、

そして半分は神の言葉が語る永遠の真実。

 

福音は神が説明している通り1つしか無いのです。神の言葉は

歴史の途中で変わらないのです。殆どのクリスチャンは神の言葉は2000年前に廃れた、破棄されたと教えられていると思うのです。だから廃れた箇所の70%の聖書など殆ど学ばない。

励ましもらうために適当な箇所だけ読むと言うのが主流。

それどころか聖書を殆ど読んだことも無いと言う人は

北米にもたくさんいるのです。

無用=廃れ、呪いの縛りの教えの律法と教えられたら、そんな今無用なもののどうして読まなくてはならないの?と考えるのが

妥当だからです。そうダービーもそう教えた。福音書も読まなくて良い、神の言葉は生きなくて良い。パウロの書簡1、2読めば事足りるのだと教えた、その人の教え、プロパガンダ通りに

その後なって行ったのです。

これってイエシュアの言葉に照らし合わせるとこうなります。

マタイ5:19 

それだから、これらの最も小さいいましめ<トラー=神の教え、
言葉>の一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これ=<トラー=神の言葉、教え>おこないまたそう教える者は
天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
 
イエシュアを信じる一人一人は、神の口から出る1つ1つの言葉=トラーで生きる、イエシュア=トラー=命のパン!
そして人に神の教え=言葉=生き方を生きて示す地の塩、
世の光として生きると信じているのではないのですか?
人の教えと聖書が矛盾していることに気が付いて、神の言葉を
読んで見て下さい。
 

神の家族は1つと神が人に伝えている。救い=イエシュアは

人が創造される以前から、居られるのです。永遠から永遠。

神が造られた”時と空間”に神は縛られる存在だと信じているの

ですか?イエシュアの贖い、救い、完了の業は。永遠の中から

存在するのです。同じ救い!同じ聖霊が住まい!同じ祝福、

同じ様に神との関係の中に人は入れられていたのです。

 

2000年前に初めて現れたのでは無い事実がちゃんと聖書の

創世記から〜ずっと書かれているのです。それを神学の教えで

人が聖書を読まない、ヘブライ語で書かれた聖書を教える教師が

異邦人の世界では全く育成されない環境で、人の作った神の教えを塗り替える神学を聞き続けたら、違う教えが神の言葉だと

誤解してしまうのは必然的産物。

旧約聖書とか新約聖書とか、律法と言う言葉を今意識的に

言わない、記事に書かない理由は、それらの言葉を繰り返し繰り返し使えば使うほど、誰かの意識の中に聖書=神が語る言葉の

正しい意識情報とは違う教えを刷り込み洗脳してしまうから

やめなくてはと考えました。

便宜上打ち込み不要、短い言葉、解説不要で楽なので使いたいですが、それでもやめました。

神の言葉の書に対する嘘のタイトルや名前で呼ぶのは不適切だと

考えているからです。新=良いもの、優れたもの。旧=古い、

要らない、新しいものの方が優れていると考えるからです。

 

1世紀にイエシュアがイスラエル=地上に来られて初めて

”隠されていた福音”が人類に示されたとか、初めて神から直接

介入の”贖い” ”救い””許し” ”恵” ”祝福”がイエシュア昇天以降与えられたとか。それまでは全部”仮”。神殿での様々な儀式や

神のオリジナルの記念日もみんな仮のものと神学は教える。

 

使徒2章のシャヴオート<ペンテコステ>の祭り

<クリスチャンの世界では、この祭りは無用、呪い、廃れた

終わった祭りと言うトラーを与えられた記念日>

で天から降った=聖霊が人の中に降ったとか。

それまで仮の救い=仮のイエシュアしかなかったとか。。。

<イエシュア=ヘブライ語で”救い”>

そして、イエシュアが来られる以前の人はみんな地獄に行った

とか言う教えもありますね。ひどい神ですね。それって。

 

デスペンセーション神学の教えでは、7つの別の救い=

7つのイエシュアがあると教えられていますが、

それって7種類別のイエシュアが居るって言っているのです。

イエシュアって孫悟空みたいに複数に分裂するのか。。。

聖書の教えでは無い!と聖書から気が付いて下さい。人の思想

ダービーさんの空想、幻、思い込みは聖書の語る真理では無い!

ヘブライ語の意味に戻すと本当に辻褄合わない事が

はっきり見えて来ます。

 

そして、使徒2章以降、これは1世紀以降に出て来た置換神学の教えですが、ユダヤ人は退けられ、異邦人が”新しい別の契約”を受け取った代表者となったと置換神学は教えます。

でもその教えは聖書のどこにもそんな事書いてません。

デスペンセーション神学は、ユダヤ人への契約は有効であるが

異邦人には関係の無い教えと教えます。

婚姻契約が有効であると言う部分は正しいですが、異邦人には

無関係と言うのは聖書の教えでもなんでも無いダービーの

思想なのです。真実と嘘が混じっているのです。エデンの園の

蛇の言ったやった事と同じ。半分嘘、半分本当。手口はずっと

同じ=混ぜ物の教えを神の教えかな?と信じ騙されてしまう。

何が聖書で何が人の教えなのか、ごちゃ混ぜになっている教えを、一掃し、神の言葉の真実だけに置き換える作業を自分の中

し続けて行けば、初めて神の言葉が語る真理、真実が浮かび

上がって来ます。

 

続く