純粋な神の言葉だと考えている教えは実は人の作った教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

伝言ゲームのからくりと同じく、全く同じく、最初に伝えられた神の言葉が純粋に現在まで保たれる事なく、途中で人により違う教えが混ぜられてしまった。

ある人々の中では神の言葉は純粋にそのまま保たれた!

それが残りの民の役割!どの時代でも神の言葉をガードし生きて、次世代へ伝える人を神が置かれて、神の言葉を純粋に保たれ、守られて今にいるからです。

 

誰がどう神の言葉を否定しようとも、解説し直そうとも、

オリジナルのヘブライ語聖書はずっと同じ意味で、一字一句、

瞳を守るがのごとく神の言葉を書き記して来たユダヤ人に手に

より今も保たれています。神の言葉が永遠不変である証拠を

ちゃんと神が保存しているのです。人間の主張や教えは、

神の言葉を決して塗り替える事など出来ないのです。

 

でもある人々の間では変形した神の言葉、教えと変えられて

しまったのです。その証拠に、神が永遠不変の神の言葉と説明しているのに、今ほとんどのクリスチャンは”神の最初の70%の言葉は無用、呪いの縛りの律法!と言うでしょう?疑いなく。

変だと気が付いてみて、聖書に戻り神の前に考え続ける。

どうして神の言う言葉と違うことを信じているのだろう?と。

答えは簡単なのです。”人間が神の言葉を変えて、神の言葉と違う

教えをして、それが広がって1900年近くも伝えられてしまったから、それが本当の原因!なのです。神が神の言葉を、約束を基準を変えない!神は嘘つきだとでも信じているのでしょうか?辻褄合わない矛盾に気が付いたら、目から鱗がどんどん剥がれ

落ちて神の語る真実が見えて来ます。

シナイ山で世界人類初、エデンの園から教えられていた、

神の言葉=同じ1つの福音=同じ永遠不変の神の言葉が

ヘブライ語の文字で書き記された教えを、全人類代表で受け取ったモーセ。それはイスラエルへ与えられたものですが、同時に

イラエルと共に神の言葉を信じて”出エジプト”して来た異邦人も共に同じ神の言葉を受け取った事が聖書に書かれています。

”あなたの中に住まう異邦人も同様に!”と聖書には書いてある。

 

イスラエルが代表。でも始めからイスラエルの中に、異邦人が

存在し、40年の荒野での神の声=言葉=教えだけを聞いて

奴隷の思想=偽の自己像=包皮離脱、神の目から全て見る頭脳に

切り替える旅の間、異邦人もイスラエルの12部族の中に混ざり

一緒にイスラエルの一部として数えられて居た事実で、

それが表されているのです。代表=長兄はイスラエル。

その大家族のトップがイエシュア代表。そしてその同じ家族の

屋根の下には、全ての人人種別無く、誰でも神の家に加わり、

神の造られた人間の本来の生き方を生きるコミュニテイに加わり生きる事に同意した人は皆同じ家訓を生きる!それが神の大家族の生き方なのです。普通の家庭でもそれぞれが好き勝手に生きて

良いなんて考えたら、それは崩壊家族の姿でしょう。

神の家に住まう、でも神の言うことは聞きたくない、その場合は、神から遠い存在のカヤの外!になると聖書に書かれてもいます。神の言う教えを拒否!夫の言うことなど無意味!聞きたくない!勝手に生きますと言う人の態度だから。夫に対する態度が

そんなものなら親しい間柄の関係は保たれないことは、普通の

頭脳で考えても分かるはずなのですが。

ヘブライ語で書かれた聖書は、神業のごとく、シナイ山から

神の口直接伝えられた言葉をモーセが書き記し、その後預言者達により聖書が一字一句正確にその通りに書き記されて純粋に

保存されて来たのです。奇跡、神業と呼ぶ以外に無い。

翻訳聖書では、聖書に書かれた内容を人が勝手に変更、文字や

言葉の意味を変えたり、文章を差し引いたり、勝手に聖書に無い

文章を付け加えたり、翻訳の意味を塗り替えたり出来ます。

1600年代以降、様々な思想、哲学、神の創造の事実、性質を塗り替える科学仮説、そして神の言葉から次第に離れて、

”人間至上主義”の思想に神学を編み出した人達は、人間思想に

多大に影響されて行ったのです。それは、神の言葉では無く、

”自分の考え” ”自分が見た幻” ”空想” ”夢” ”発想”を根拠として編み出した教え、考え出された教えなのです。

シンプルに言うと、神の言葉から益々離れる思想=人間人造宗教が出てくると、その辿る道は、必ず”神の言葉の真実から遠く、遠く離れて行ってしまう傾向は共通の要素なのです。

 

だから神は一点一画も神の言葉に手を付けてはならない!と

警告しているのに、人は神の言葉より自分の理由付け、

考え、発想に散って行ったと書いてある道を辿って来たのです。

 

その人間至上主義の思想に影響された人達の思想を引き継いだ

ダービーもその一人です。それらの思想を編み出す人達は

正しい原典聖書の学びや教育背景が無いと言う点も、一律同等の共通点なのです。フィニー、ミラー、エレン ホワイト

ダービー、スコッフィールド、皆ヘブライ聖書教育も、

それ以前の聖書教育も確かな土台、学びが無い。そして18、

19世紀の人間至上主義哲学思想に多大に影響されている。

 

アメリカでスコッフィールドにより19世紀に造られた

”注解入りリファレンス チェーン バイブル”の様に

聖書の教えとは違う人の思想で聖書を読み解く、紐解く解説を

聖書のページの隅々まで入れてしまった世の中に出回っては

ならない冒涜的な聖書を作った人です。その教えに賛同し、

それが新しい時代の預言者の語る神の教えだと信じた人達。

特にアメリカで大爆発し20世紀に浸透しました。

ほぼ全員が異邦人であり、ヘブライ語聖書の教育も何も無い

人達により語り継がれてしまった聖書解釈なのです。

 

これはイスラエルでもやった同質の誤りであることが、

聖書に記されています。イスラエルは神の言葉を純粋に保存し

生きて、世界へ地の塩、世の光として教える役割の代表として

選ばれましたが、大分失敗を重ねて来ました。それらの失敗や罪、ズレの数々は預言書に書かれていますし、その他歴史書=

歴代誌、列王記、サムエル記などの中にも詳しく書かれています。

様々な箇所に、異教の神々の教えと混じり合った罪が書かれて

います。それが”高き所”を取り除かないままの状態と短い言葉で記されています。

高き所とは、異教の神々の礼拝場所です。そこには偶像も異教の神々の祭壇もある。それをイスラエルもやっていたのです。

だから、”モレク神に子供を捧げるなかれ”などの預言者の警告が

あるでしょう。

モレク神に自分の生きた子供を生贄として捧げてしまうのです。

その思想、偶像礼拝思想の根です。自分の一番大事にしている

ものを神の前に犠牲として捧げる事が神を愛する証拠!?

この思想、気が付かない間にクリスチャンの教えの中でも教えられているものなのです。その出所は、”モレク神”に自分の命と引き換えれる程大事な子供を差し出す意識です。あなたの大事な

もの捧げなさいと言われた事ある人はいると思います。

混ざる〜神の言葉に、人の教えを入れてイスラエルの神を礼拝し

日々の生活の中で混ぜ物の教えを生きる事、これらを”姦淫の罪”

と呼んでいるです。

なんで姦淫の罪?それは、神との関係は夫と妻”婚姻関係”として

聖書に書かれてるからです。

だからクリスチャンも”神様からのラブレター”と聖書を指して

言うのでしょう?聖書は”婚姻契約”の形態で書かれているのです。申命記などは、古代の中東近辺の支配する国と属国との関係

王と臣下の関係、契約書です。

神が人間を理不尽の支配するのではなく、”保護” ”擁護” 
守りと必要の全てを供給するその関係に入る弱い立場の臣下は、

その国に生きるには、王の示すその国の生き方に沿って生きる

事に同意する必要があるからです。それが”契約書”として

残っているのです。

申命記などは、その古代の中近東に実際に存在した”条約書、

契約書”形態、そっくりそのままのスタイルで書かれたものなのです。そしてどうして婚姻契約と呼ぶのか?その契約書の中身に書かれた用語で、その契約書の性質=婚姻関係を生きる詳細を

表しているからなのです。

 

4世紀のローマ教は本当は造られてはならない、世の中に出回

って信奉されてはならない教え、宗教だったのです。

他の異教の神々の宗教なら簡単に区別が付きます。

でもイスラエルの神の言葉、教えの中に、別の要素=自分達の

地場宗教=太陽神信仰の教えを混ぜる。神の言葉、教えを捨てて、神の言葉は無用として生きる事を禁じる。自分達の新宗教の教えに変形してしまったのです。ヘブライの聖書に書かれている

生き方をする事、教える事、シャバットや祭りを祝う事を国の

法律で禁じたからです!それが今現在も継承されて、だから

オリジナルの聖書の中身を教えない、生きない!それが本当の

原因なのです。ローマ帝国、ローマ皇帝の教えに忠実に生きる事が今も継続中!それが真実!神がそう教えたのでは無い!!!

 

そして、神のオリジナルの記念日を変えて、別のものにした。

人が作った宗教なんて神の前に大罪であり、無用物なのです。

人に必要なのは、神の純粋な言葉だけ!神のトラー=教え、

インストラクションで人は生きる様に造られているのに、

たくさんの混ぜ物=人の教えを混ぜた宗教を人が作って

しまったのです。

4世紀の新宗教、その後、トラーを知らない新宗教の西洋人

司教達が中世の歪んだ教えを編み出して行ったのは、

プロテスタントの人なら知っていると思います。

ルターは、カトリック教会と言う組織が認定する事が真理では

無く”聖書のみ!”が根拠と考え、カトリックに反旗を翻したのです。でもルターも残念ながら、オリジナルの聖書を知らない、

教育の無い人だったので、後に神に対して大冒涜的な行為をして、ヒットラーにホロコーストをする思想を与えてしまった張本人になってしまったのです。ユダヤ人が抵抗していたのは、

イエシュアを信じることに対してではなく、西洋人が作り変えた混ぜ物=異教の教え=神の前に罪である事を生きること!

神の教え=言葉=トラーを捨てて生きよ!と言う命令に抵抗していたのです。それがルターには理解出来ない=神の言葉の本当の意味=オリジナル聖書を知らなかったから!です。

 

1700年代以降、様々な思想、哲学が生まれました。

調べて行くと、ニューエイジや、クリスチャンの世界で語られる思想、例えば”繁栄の神学”やその他のムーブメントの中に

それらの神の言葉では無い思想が多く入っているのです。

この時代の思想、哲学は人間至上主義、理性主義、全てが人の

思想が中心です。聖書=神の言葉から遠く遠く離れて行った事に

拍車がかかった時期でもあります。

 

現代のキリスト教の中にある思想や、ムーブメントも

この時代に出てきた人の思想が取り入れられています。

 

続く