真理を知れば解放される | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今週久しぶりに友人と話しました。励ましや力を共有します。

時差があり時間帯が違う、皆様々な事を抱えて忙しい生活の中。

以前は話と言えば、遠方の人と話すのは電話だけでしたが

今動画通話、チャット、オンタイムです。

 

でもこの通信と言う手段もブロックされたらどうなるでしょう。

情報発信の内容も着実に制限されつつあります。

交通機関も、活動も全ての分野で確実に制限、ロックかけられる。。。。気が付いている人はいる。

 

カルタさんはあるSMSサイトから永久追放だそうですね。

情報コントロールの世界に気がつく。人に知られたく無い情報を知られたく無いグループがコントロールする。

悪が堂々と大手を振り闊歩する世界。闇そのものです。

正しいことをする、証言する人は消されて行きます。

 

ローマ帝国に読み取られない、知られない、危険な目に合わないために、トラーの内容、意味、言葉だけを知るユダヤ人にしか

通じない言葉で書き記した書、黙示録の様に削除されない言葉で書きますので”読者は読み取る様に”の黙示録の書の様です。

 

もし信仰の自由もやがて制限されこんなブログも書けない時が

確実に来るかもしれないので、知っている事実だけをクリアーに遠回しではなく、直接分かりやすく書こうと思います。

誰かに失礼、むかっ腹立つような内容かも知れない。

逆は無いですが。伝統の教えを語ることは良いけど、

逆は腹立たしいとされる現状。真実なのに語ることを禁じられ

続けてきた、オリジナルのヘブライの神の言葉、父の言葉。

永遠の愛の契約書。伝統で根付いた事と違うことを言えば

ローマと同じ宗教パトロールの検閲に引っかかるからです。

 

もっとも悲しみ嘆くべきことは、神の言葉=教えでは無いものが

神の教えだと伝統で語り続けられてしまっている事なのです。

 

だから神の言葉と違う教えに対しての抵抗!と訂正しないと

ならない!と主張したい。神の言葉は100%トラーしか無い。神の言葉の根幹を否定する人の教えが聖書では無い!と知り、

聖書=トラーを知ればそこには私たちの命をガードする、

1つ1つの永遠に深い真理、真実、神からの直接の人への教え、神により人へ伝えられている。それを捨てたら迷い出る。

今の世界がそれです。信じる者の世界でも何を生きて

どうガードしたら良いのか分からない。

 

人への批判では無い。そんなつもりはゼロ、それを回避したい

けど、でも両方は出来ない。

真実は人を傷つける場合があると書いてあります。

自分の信じている事と違うことを言われると、むか!いら!と

する人もいる。誰でも経験がある。否定された感じ、真実が

否定される感。本気で信じていることが、実は嘘?と

指摘されたら。進化論を信じる人に、創造論を語る、

地動説を信じる人に天動説を語る。それと同じです。

騙しの世界が真実と信じ続けたいのかどうか。

でも何が真実か真実は変わらないのです。嘘は嘘。真実は真実。

真実が嘘に、嘘が真実に永遠どこまで行っても変化しないから。

 

誰でも本当の事だけが知りたいと考えますが、

そうでは無い場合もあるかもしれないです。

特に嘘だと分かっても、自分の生活に支障をきたす場合、

その場合が一番変更、軌道修正が困難なのです。

 

私が記事に書いてある内容を、誰か個人に、聞く意思が無い

友人に話すことは無いです。分かる程度でしか、又は聞かれた

場合にだけ説明します。同じ真実を共通する友人の間だけ

安全に何でも話せるだけです。

これは神の知恵によるものでもあります。真実なのに相手が拒否

してしまえば、それ以上は話す機会が無くなってしまうから。

 

特に長い年月宗教の神学の教えを信じて来た、やって来た場合

切り替えなんて発想さえ浮かばないものです。私も同じでしたからその点良く分かるのです。子供の頃からずっと教えられて来た

から、何をどう感じ、反応、考えるのか分かるのです。

 

簡単に切り替え出来ないです。自分が信じている内容が聖書とは異なるものがあるとも疑問にも思わない。通じないし、拒絶するのがオチだから、時が来るまで話さないです。それぞれの時

真実を語る時を見極める識別力、知恵が必要なのです。

 

でも神の言葉の真実だけを繋げて行ったら、必ず神の語る永遠の真実、真理に目覚める、気が付くのです。後、真実を知りたいと言う飽くなき願望、探求があるのか無いのかでも違います。

その願望も実は、時満ちて神が与えているのだと思います。

真理を知りたい!と願望する人は、真理にたどり着くまで

安息しないです。それが研究者の心意気と同じです。

事実を発見するまで何年も研究、探求に費やす。

人は神のエッセンス=言葉=真理のDNAで綴られているから。

 

でもブログは、個人的に目の前で直接一方的に語るのではなく、私が書いている記事に少なからず興味を示してくださるが訪問し、一体何書いてるの?と思って、時間を割いてわざわざ

読んでくださると言う前提で書いています。

 

誰に対しての批判でも何でもないです。大事なことはただ一つ。

神の言われる真理を追求する事。これは人類への神から直接の

仰せなのです。それなのに、その神の言葉を異邦人信者は否定した教えに変えてしまいました。”神の言葉は呪い、律法、廃れた、恵の時代に入り、神の教えを生きる必要はもう無くなったのた”と。それが神の語った真実だと聖書に書いてない事を、大声で主張し続けて今に至るのです。その理由?聖書=特にパウロの書簡を完全読み違え、誤解しているからです。

トラーは呪いの律法で破棄された?それでは一体クリスチャンは何を生きるの?福音書以降の教えを生きる?それって100%

トラー=モーセの五書=初めの愛=婚姻契約の詳細の内容で

しか無いと気が付いていないのです。別の福音、別の教えは無いと書いてある通りだからです。

 

神に逆らっている行動、主張、発言だとも全く気が付かない。

そして福音書〜黙示録にはトラー、それに付随するコメンタリー=預言書、諸書しか書いてない事実に完全盲目で新しい教えが

出現したと唱える。それはトラーを知らないからそう考える。

実はイエシュアの教えは100%トラーしかない、聖書は

100%どの箇所もトラー=モーセの五書=イエシュアを指して語っているのです。変えられた新しい教え、福音は無いと、

どれだけのクリスチャンが気が付いて知っているのでしょうか?

 

クリスチャンが福音書〜黙示録を読んで、トラー、預言書だけが書いてあるなどと見抜けないと思います。新約聖書だけを読む様に教えられてトラー読まない、ヘブライの聖書に書いてある

内容、意味を教えられる事が無いからです。

モーセの五書を書いてある通りの意味でちゃんと学んだ事が無いから、気が付けないだけなのです。

ユダヤ人でトラーを熟知していれば、福音書〜黙示録を

ヘブライ語で読んだら、そこに書いてあるのは100%

トラーだとすぐ気が付けるのです。

聖書を書いてある通りのヘブライの書の中身の教育が全く欠けていたと言う事実に、ヘブライ語聖書を手ほどきして下さる数々のユダヤ人教師に出会って初めてその事に気が付きました。

1世紀以降、ユダヤ人の聖書教師,パウロの様な教師=お家元を

ローマが、西洋が追い出したので、ヘブライの書、神の言葉を

知り、生きる実践をするお手本である教師が居ない状態に

なって、西洋人流の別の教えに変身したのです。

 

聖書に何と本当は書いてあるのか?この1点だけが

何より大事な事。人が神の言葉の真実を曲げて、変えて作った

教えは、神の言葉を覆い隠す、障害物、妨害の壁だから

なのです。

伝統で語り継がれた人の言い伝えの教え、哲学、思想ではなく、純粋、ピュアに、神の言葉が私たち人類、神の大家族に何を

伝え、何をガードし身の安全を確保し、互いにシャロームを

保ち、生きるのか。神が教えている事を知る事が何より大事

だと信じています。

 

歴史の長い間、神の言葉が曲げられて来た事実があるのです。

カトリックから枝分かれしたプロテスタント、ルターも同じ

意識だったと思います。こんな教えは聖書とは違うじゃん!と

言う様々な中世の時代に造られた司教達の人造の教えを伝え、

生きさせる事に反骨精神翻した!

でもルターは、神の言葉、教えの元、根元に完全に戻る軌道修正をしなかったのです。トラーを知らないから出来ないと言うのが本当の事実です。そこまで聖書を理解していなかったからです。

 

しかも最後は神のトラーに反発し、そしてトラーを生きる人達

ユダヤ人達を抹消する事が神の御心と言う本まで書いて、

ヒットラーにホロコーストを起こさせる手助けをしてしまったのです。

神を愛しながら、同時人は神に対して一番逆らう、神が一番忌み嫌う事が何かを知らないまま、気が付かないまま、神に対する

正義をしていると思いこみ、やってしてしまう事があるのです。の理由の根拠は全て、トラー=神の教えを本当には知らないからです。ユダヤ人が何に対して抵抗していたのか全く気がつかないルター。トラーを知らないからです。

混ぜ物の教えは、とり除け!と神が言われる”高き所”の礼拝とは、神が一番忌み嫌うものです。聖書に書かれている姦淫の罪とは、異教の神々の教え、シンボル、慣わし、しきたりや神の言葉とは違う教えを曲げる、別物の教えを作り、それらイスラエルの神に属さない異物を神の言葉の中に一緒くたに混ぜこぜにして

生きる事!やる事、人に別物を教える事!だからです。

 

これが預言書の警告でもあり、私達現代の信者への警告なのです。違う教えを生きることへの抵抗、その事に対してユダヤ人が抵抗していた事なのです。イエシュアに抵抗していたのでは

無いのです。神の教え=言葉を捨てて、別物の西洋人が作った

混ぜ物宗教の教えを生きよ!それに抵抗していたのです。

何が神の忌み嫌うとされる事なのかに気が付き始めたら、

暗闇の部屋に光が入り聖書が語る毒蛇が飛び出すとは何なのか

っきり見えて来ます。

 

その書は”ユダヤ人と嘘”と言う本。クリスチャンの世界では

ルターはヒーローとして伝えられるだけで、晩年にした大きな

落とし穴を指摘される事は無いからです。

 

神の言葉、教え=トラーに戻ると言う一番大事な軌道修正が

信仰の世界に無いまま今に至るのが事実なのです。

でも世界の残りの民はそれに気がつき、大きな軌道修正をして

いるのです。

今の世界と同じ、信仰の世界の神の教えに戻る軌道修正

大きなリセットが、神の言葉に応答する一人一人の中で

確実に行われているです。神が人に語り、神の言葉に応答する

準備の時が満ちた人達を促しているからでしょう。

 

 

 

 

 

続く