1世紀のイスラエルは、ローマ帝国支配下にあり、イエシュア
昇天以降のローマ帝国、ローマ皇帝ネロによるユダヤ人達への
迫害がありました。これを、皇帝ネロのクリスチャン達に対する迫害と教えられると思います。
ローマ皇帝が脅威に思っていたのは、メシアを信じる人達が
”再び来られるイエシュア 、王の王が統治する!”と信じて居た事
です。ヘロデ王の懸念、不安と同じ。
ギリシャ語では、クリスチャンは、クリスチアノス。
これをヘブライ語の元の言葉に直して行くと、クリスト=
メシア=油注がれた者=メシアに付く者。
イスラエルで1世紀当時、クリスチャンと名付けられたあだ名、
呼び名は、ヘブライ語の世界では、”その道”=ハ デレフ又は、ナザレ派と言うユダヤ教1つのセクト=一派だったのです。
しかも、1世紀当時のキリストに付く者たち、メシアニック
ジュー、ユダヤ人もその中に加わった異邦人も、もれなく誰でも100%、実はトラー=モーセの五書を変わらずに生きていたのがイエシュア信者なのです。1世紀のイエシュア信者はほぼ全てがユダヤ人だったのです。ユダヤ人が主流。そしてそのユダヤ人達の中にほんの極少数の異邦人信者が加わっていただけなのです。
ここで、注目するべき点があるのです。聖書に登場する人達、
聖書が閉じられた後の1世紀当時のイエシュア信者達、
又は救い主を信じない普通のユダヤ人達も、全てもれなく
100%、神の言葉=教え=トラー=モーセの五書を同じように以前の生活と変わらずに、生きていたのです。メシアニックで
あっても、救い主を信じないユダヤ人でも、1世紀当時彼らの
生きている内容は100%トラーです。
これが現代のクリスチャンの信じている内容、生きている
内容、生活スタイル、神が造った記念日と異なる、違う所です。
彼ら1世紀の信者が祝っていたのは、シャバットであり、新月、そして春と秋の都上りの祭り。現代のクリスチャンが祝う
日曜礼拝やクリスマス、イースターを聖書の中では誰も祝って
いないのです。1世紀以降大分経った後も。
彼ら1世紀のイエシュアを救い主と信じる人達は、現代の教えで言い換えれば、モーセの五書を生きるなんて、不信仰で不届き者呪いの律法を昇天以降も生きて、恵を無駄にした生き方をして
いるのだ〜!と言う事?1世紀当時の人達、ユダヤ人、少数の
異邦人信者達は皆神の契約=教え、言葉=モーセの五書は
永遠不変と言う事実を神の言葉に基づき知っていたのです。
神の言葉を破壊、破棄することはすなわち、神の言葉に基づけば、死に値する罪、信者としてはあり得ない罪、神への冒涜罪
だからです。
日曜日礼拝やクリスマス、イースターは4世紀以降に出てきた
ものであり、しかも現代の様な形で定着した祭りになったのは
本当に近代、19世紀以降なのです。しかも、清教徒達など
それらの祭りを祝わう事を反対していたし、アメリカでも
祝ってはならない法律まで作られていたのです。
それがどこでどうして様々に変わってしまったのか?
男の子には割礼を授け、神の教える生き方を生きて、神の教える衣食住、ライフスタイルを生きていたのが1世紀の
イエシュア信者達なのです。
現代の神学が唱える様に神のトラー=モーセの五書は廃れた、
呪いの縛りの律法をイエシュアが終わらせたのだ〜などと言う人
考える人など、誰一人も居ない世界の話が聖書に書かれているのです。
聖書に書いてある通りに読めば、細かい内容は把握出来なくても誰一人モーセの五書以外の別の教えや福音を生きてないことは
明らかに書かれています。
ではどうして、1世紀、聖書に書かれた使徒やイエシュア信者と現代とでは、日常で生きている内容、信じている内容が違うのか?と言う点に、疑問を持たなくてはならないのです。
聖書の時代と現代とでは、教え、信仰の内容が異なる理由は、
歴史の中の政治的な弾圧です。政府に禁じられたら、明らかに
バレる方法でやれない、やめないとならない。密かにガード
し続けて行く。そして、私達が見聞きして教えられて来た西洋人創作の神学は、1600年代後半から、1800年代、様々に
出て来た哲学、思想、科学の仮説などに多大に影響されつつ
誰かの思想を、次の誰かが受け継いで、思想のバトンタッチが
受け継がれ別の教えがどんどん生まれて行ったのです。信仰の
世界、神の言葉の中に人間思想哲学が入り込んて来たのです。
これは、聖書の翻訳の中でも見ることが出来ます。
ギリシャ語訳=五十人訳が出来た頃には、ギリシャ思想が
聖書の翻訳の中に入って来た。イエシュアが生まれる以前の
時代です。だから、翻訳では、霊、魂など別々の言葉で訳されていますが
ヘブライ語の中にはそんな言葉は無く、1つの言葉で表されて
います。つまり1つ=全存在丸ごととして書かれていて、
ギリシャ思想の様に分裂されたコンセプトは無いのです。
人間至上主義、理性主義、神では無く、人間の理由づけ、
人間の理性が中心。そしてその中で、ダーウインや、ニュートンなど、神の創造の事実とは異なる科学思想が生み出されて行ったのも同じ時代です。これは18、19世紀にどんな思想が出て、信仰の世界に影響を与えて行ったのか知る必要があるのです。
神が神の言葉を変えたのでは無く、最初から政治的理由で支配国から、イスラエルの神のトラーを語る事、教えること、生きる事を重税や死刑をもって禁じられた事によります。
そして、4世紀には、ローマ帝国のユダヤ人への弾圧が収まった理由は、時の皇帝、コンスタンチヌスがトラーの教えを削除して、ユダヤ的特徴、つまりイスラエルの神の家の子らの独特な
特徴として神が造られた印であるもの、生き方を完全に捨てたものに作り変えた時の新興宗教を造ったからです。
その新しい宗教に参加すれば弾圧は無いとしたからです。
その新宗教は、4世紀当時の大衆信仰=太陽神の教えを混ぜた
もので、大衆にいち早く受け入れられるためにそうしたものでも
あるのです。だから偶像や異教の神々のシンボルもたくさん取り入れられている。異教の神々の寺院、バシリカを彼らの宗教の
寺院とした。政治家として、皇帝として大衆支持は必要だから。やりやすい様に新宗教をオリジナル作り変えて作った。
ユダヤ色=イスラエルの神の言葉や生き方は独特すぎて
異教の神々の国の人たちには異物でしか無いからです。
国の法令です。今の世界でも理解出来ます。鶴の一声で自分の
生活を支配され、行動の自由がなくなる。上の言う通りに従うしかない。そして言論の自由もなくなる。やがて信仰の自由も
何もなくなる。当時の人は、迎合しても、同じキリストを信じるのだからいいのさと異邦人は思う。これがニュウーノーマル。
でもユダヤ人は異教の神々、偶像やシンボル、別物との混ぜ物の教えになど迎合出来ないので散って行き、深く静かに潜行し、
自分たちの間だけでオリジナルをガードし続けて今に至るのです。
これは過越の晩餐の儀式の中にあるものでも分かります。
彼らメシアニックユダヤ人がどうやって神殿無き後、
メシアニックの信仰を継承して行ったのか手がかりになるものでもあるのです。これは又別の時に説明したいと思います。
だから、神の記念日、シャバットや祭りがローマの手により、
人の教えにより、別のもの、日程に変わってしまったと言うのが
本当の理由なのです。
これをクリスチャンの世界では、昇天以降神が神の言葉、記念日を変えたと解説します。それは聖書の真実では無いのです。
ダニエル7:25の警告、預言は逆を伝えています。
神に逆らう者=神の言葉=トラー=教えと神の時=記念日を
変えると書いてある通りのことがローマにより4世紀にも行われたのです。
そんな神の言葉、記念日や教えが変わったのだとイエシュアが
言う訳ないし、言ってもいないです。神の記念日はイエシュアを
表すそのものズバリだからです。
イエシュアは逆をずっと伝えています。
神の言葉の一点一画も手をつけるなかれ!神のトラーを
ないがしろにし、捨てる様に教えるものは、天の国で
一番価値の無い軽い存在になるとイエシュアが言われています。
マタイ5:19 それだから、これらの最も小さいいましめ
神は永遠に祝われるべき印、永遠の印=神が人との関係の中に
入った証拠=決して途中で神が放棄しない証拠の印なのです。
聖書に書いてない、全く根拠の無い事、プラス神が神の言葉や
記念日は永遠と人に伝えている言葉を無視、素通りしているのです。だから、神が神の言葉、契約、記念日を変えたと解説します。いやモーセの五書が呪いで終わりなら、神の言葉をどの箇所もなんでも変形して教える事は出来ます。
なぜなら、神の教えは、モーセの五書は終わりなら、神の教えは
モーセの五書以外の他のどこにも記されて無いからです。
神の教え=モーセの五書を否定する事は、神のオリジナルの教えを否定し別の教え、別の福音に変形していると言う事なのです。
続く