ユダヤ人=古臭い呪いの律法に固執して生きる人たち。
異邦人クリスチャン=新しい教会と言うグループ=今までの神の
言葉、教えとは違う別の新しい教え、恵の生き方を生きる人達と言う人の教えの固定概念を持っていると思います。
私はそう教えられて来て、そう信じていました。
でも聖書には、モーセの五書以外の神の教えは無いのです。
昇天以降も変わらず同じ神の教え=トラーを皆生きていた事が
使徒行伝〜黙示録までの中に書かれています。
もちろんイエシュアが地上で生活した間も100%トラー=
モーセの五書=父の言葉以外は語らない、生きていない。
別の新しい教えなども教えるなどあり得る訳もない!
それが聖書の事実です。
使徒5章〜7章の出来事をじっくり読めば分かります。
そして、”教会”と訳されている言葉は、聖書の言語に書かれた
言葉では無い創作造語翻訳用語なので、この言葉は聖書の初め
からずっと書かれている、群=会衆=カハール=エクレシアと
言う同じ神の家族の群と言う本当の意味、意識、概念を表さない言葉です。そして、イエシュアが来られる以前とは別のグループと言う意識を持たせるには効果大の聖書には無い別の言葉なのです。なので教会という別物グループ出現と言う思想を、元の本当の意味=エデンから黙示録まで同じ1つの家族と言う本来の真実な意味に戻して考えてみてください。
まず使徒5章の中での中で議論されているのは、何か?です。
ペテロがパウロ、ステパノなどがどうしてイスラエルの国の
議会、裁判所で証言しているのか?イスラエルの議会=
サンヒドロンとは、トラー学者である又は祭司達により構成されているもの。
そして、イスラエルの国の憲法はモーセの五書”なのです。
彼ら祭司やトラー学者が一番気にしている事は、使徒達、パウロなどがモーセの五書に反した教えをしているのではなかろうか?と巷の噂で聞いて懸念していると言う事なのです。
使徒 6:10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、
それに対抗できなかった。
6:11 そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは
彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
6:12 その上、民衆や長老たちや律法学者<トラー学者>たちを煽動し、
彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
6:13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、
「この人は、この聖所と律法<トラー=モーセの五書>とに
逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、
モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
6:15 議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を
注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。
十把一絡げに皆同じことを考えているとは言えないので
見えて来ない部分があると思いますが1世紀当時も、トラー=
神の教えを教え通りに受け取り信じ、生きている人がいた。
その反面、イエシュアがおられた1世紀当時も、一部のトラー
学者達が推進していた教え=彼らの伝統で編みした教えを、
朝起きてから夜寝るまでの全ての行動を、彼ら人間が編み出した神の言葉とはズレた教え、伝統の教えに沿って生きるべし=
それが神のみ旨にかなう生き方だと本気で信じていた人も大勢いたのです。
それらの教えを考えた、初めの動機は正しくても、それが神の
言葉の真意から逸脱してしまって、本末転倒、神の言葉の意味、
意図が反映しない人を縛る教えになり、それこそ律法主義的
生き方になってしまう。する、するなかれの”おきてリスト”
をこなす意識。これこれをしないと神の前に認められないと言うそんな意識に人をさせる教えを編み出してしまった。
これは宗教の中にある落とし穴なのです。
神の教え=言葉の真理は人を自由にする。
でも人の教えは人の意識を縛り不自由にする。
自分たちはやらないくせに、人には負えない重荷=伝統の教えをやらせる事を課していたとイエシュアが正されている事でも
明らかです。
イエシュアが正していた事、議論していた内容は、古い教えを
生きる事=トラー=父の言葉を生きることに反対しているのではなく、人間が考えた教えで人を縛る事に対して、それは神の言葉
教えではないだろう!と正していたのです。
ここの点をクリスチャンの世界では大いに誤解して解説されているのです。モーセの五書=トラーを生きることをイエシュアが
否定するために地上に来られたと。もしそうなら、ここの使徒5ー7章に出てくる人達が懸念していた”偽物救い主かも?”と言う事になるのです。まさしくクリスチャンの世界で語られている
ローマ皇帝が発令した命令=トラーを捨て新しい教え=ローマ
皇帝の考えた教えを混ぜた新宗教に切り替えよ!もしイエシュアがそんな教えをしているとするなら、それはトラー=神の言葉とは異なる偽預言者の教え!となるだろうと言う当時のユダヤ人、
祭司達、トラー学者達の当然の懸念が現実となるのです。
神の言葉を否定する事、神のどの言葉の部分でも手をつけたり
終わりと宣言するなら、それは神に対しての最も酷い冒涜で
あり、自分が神の座に座り神の言葉を定義する立場に逆転し、
それこそ死に値する罪と聖書には書かれているからです。
異邦人の中には全く無い意識〜神の言葉を変形するなかれ!と
言う警告が完全に頭上を通り過ぎているのです。
彼らは使徒達、ペテロやステパノやパウロが、モーセの五書を
捨てて生きよと言う別の教えをしているのでは無いかと思われていた事に関しての祭司達の懸念を払拭、弁明しているのです。
だからステパノは議会で、トラーをずっと要約して、イスラエルが辿った歴史、そして救い=イエシュアがどう現れるかの
短い解説をしているのです。トラー、預言書に書かれている
その方=それは誰でもが知るトラーに書かれた”救い主”、
その内容を短く話しているものです。
その目的は、ステパノもトラーに反した教えなどしていない
トラーに書かれたイエシュア=約束の救い主だと言う証明を
するためです。
トラー、預言書に書かれた”約束の救い主”がイエシュアである事それを議会で証言している下りなのです。
5章から7章まで全部そっくり読むことが必要です。
使徒を始めめから終わりまで読む。
ステパノの証言です。
使徒7:51 ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。
あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、<預言書を書いた預言者達>今やあなたがたは、
その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
7:53 あなたがたは、御使<預言者=メッセンジャー>たちに
よって伝えられた律法<モーセの五書=トラー>を受けたのに、
それを守ることをしなかった」。
7:54 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、
ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
そしてその前の5章では、祭司達の中で目が開かれた人は、
イエシュア=トラー、預言書に書かれた約束の救い主=正しい
お方である事が分かったと書いてあるのです。
どの時代もエデンの園から神の言葉=トラーを理解する人は、
同じイエシュア=同じ救い、同じ福音の実態を知る。分からない人はどの時代でも真理に盲目のまま。これはどの時代でも、人種でも同じなのです。今も同じ。
使徒5:33 これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、
使徒たちを殺そうと思った。
5:34 ところが、国民全体に尊敬されていたトラー学者
ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちを
しばらくのあいだ外に出すように要求してから、
5:35 一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
<ガマリエルはパウロのトラー学者=先生です。そして神の言葉に立ち返ることをしている事が書かれています。>
5:36 先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように
言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、
全く跡方もなくなっている。
5:37 そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされて
しまった。
5:38 そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
5:39 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼす
ことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことに
なるかも知れない」。
神から出た真実では無いものは自滅し消える。でも神から出た
ものなら滅ぼす事はできないし、そんな事に加担するなら逆に
神に対して反逆し知らない間に神を敵に回す事になるだろうと
書いてあります。
続く