シンプルな事実 神が創造された定めの日 シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人は一週間6日の間働いて7日目に止まる。

これは永遠の神の創造された人間が生きる道。

神が6日間の中で全てを創造されて、神が7日目に止まったから

人も同じ様に第七日目に止まるのだと神が人に伝えられた事実。

 

そしてこの日は、”印”の日と書いてあります。

なんの印か?人が神との関係の中にある”印”と書かれています。

結婚指輪と同じ。目に見える印。生きて喜び祝福を味わう記念日。

そして、その日は”永遠”に祝われる日であると書いてあります。

書いてある言葉は、神の言葉をモーセが口述筆記したもの。

神の口から直接出た言葉が、聖書となって人に与えられたのです。

もし人がイスラエルの神を信じる、救い主を受け入れましたと

決意したと言う場合、神の提示する生き方を生きる事に同意したと言う意味であるのです。聖書に書かれた事を知らずに、

気が付かなくても。。。

 

イスラエルの神、創造主を信じます、でもあなたの言うこと

無視します、勝手に生きて行きます、必要な時だけあなたに

助けを求めますから助けてねと言ったら、どんな性質の関係に

入るのか?言わずとも知れた結果です。人の世界では旦那はATM

と言うやつですね。

 

自分勝手な思い込みの世界に入るだけと言うことはイエシュアが語られています。

”あれもこれもあなたの名で一生懸命やりました”と言う人に、

”わたしはあなたを知らない=知らない=神が提示する関係の中にはあなたは居ないよ、知らない”とはっきり言いました。

不法と言う元のヘブライ語の言葉は、”神の教え=言葉、インストラクション、トラーに書かれた生き方を無視する”と言う

意味なのです。

 

もし神の言葉、教えには同意し生きませんと言う場合、神と

”疎遠”隔たりの場所、蚊帳の外に出た関係になるとあります。

そして神が修復してくれた本当の自分を生きる事が分からない

ままになる、だから成長もないし、御霊の実もならない。

 

イエシュアも言われた言葉でそれがクリアーに表されています。

神の造られた人間の生き方=それが婚姻契約=トラーに書かれていてそれを生きます!とイスラエルと少数の異邦人が同意した

儀式があったのがシナイ山での出来事です。

それがシャヴオート<ヘブライ語>ペンテコステ<ギリシャ語>の祭りとして祝われ続けている祭りの意味なのです。

 

神を信じている、関係に在ると言うことは神が提示した婚姻契約=モーセの五書のみにその事実の根拠があり、神の教えを生きる人が本当の神の家族であるとイエシュアも言われたのがそれです。

 

ルカ8:20 それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、

お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。

 8:21 するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言

聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。

神のみ言葉とは、”トラー”=モーセの五書の事を指して

イエシュアが言っていることはヘブライの世界の人なら普通に

理解している事なのです。聖書はどの箇所も100%トラーを

語っているのです。聖書は100%トラー=イエシュアを

どの箇所でも語っている事実にまず気がついたら早いです。

 

人が誰かと結婚したらそれはその相手と結ばれている

その証拠が婚姻届けで証明されますが、ユダヤ人の世界では

シナイ山で神が人と永遠不変の約束、契約を文書で提示された

様に”Ketubah"ケトウバと言う婚姻証明契約書を書き記すのです。その中には細かい約束事が書かれるのです。

婚姻関係を生きる上での事細かな約束、生き方、確認事項が

書かれます。そして、婚姻関係を汚す行為をした場合の内容、

罰金なども書かれるのです。

 

神との関係に入っている証拠と言うのが実は神が提示した

婚姻証明書=モーセの五書である事を多くのクリスチャンは

全く認識していないと思うのです。モーセの五書が終わりなら、

神との関係は解消されましたと言う意味になるのです。

 

理由は、聖書の事実を書いてあるその通りに教えられておらず、救い主が来たのは、神の婚姻契約を破棄するため終わらせるため、それが目的で来たのだ!と言う19世紀の人が編み出した

聖書とは全く相反する教えを聖書の教えであると信じさせられてしまっているからです。

ウルトラマンがウルトラの父を退治するために来たと言うあり得ない話と、同じ内容の事をその教えは主張しているのです。

神の言葉を神が終わらせる否定する?非聖書的な教えなのです。

 

1700年代から1900年代は多くの思想、哲学、偽科学信仰が編み出された時代で、同時に非聖書的な教えがたくさん

編み出された時代でもあります。宗教の世界では第二大覚醒と

呼ばれています。同時に人の思想、啓蒙主義、実在主義、

ヒューマニズム、人間中心、そして現代ではニューエイジなどに

繋がる思想が編み出され続けました。

 

ダーウインの進化論もその時代に現れたものです。

神ではなく、人間中心思想、偶然の産物。無神論の世界、この人間思想哲学が信仰の世界にも影響し、神の言葉を退けないがしろにする思想が、信仰の中に入り込んで来たのです。神は力、

神の力を引き出して利用する!と言う教えも出てきました。

 

それが神の言葉をないがしろにする思想となり、19世紀の

デスペンセーション神学を編み出した人達、その思想を継承した人達は、聖書はパウロの書簡だけ読めば事足りる、それどころかいや創世記からマラキまでごとくではなく、クリスチャンは

福音書も読まなくて良い、クリスチャンは聖書の教え、

ジーザスの教えを生きる必要は今無くなった、なぜなら今は恵の時代と、その神学が編み出された当初そんな教えを主張したの

です。恐ろしく非聖書的教えです。通りで神の言葉を学ぶとか

生きることがないがしろにされて行ったわけですね。

 

今は詳しく書きませんが、デスペンセーション神学の元になる

思想はウイリアム ミラーやダービーが発明したものではなく、

元はカトリックの人の手により意図的に作り出された教えです。

 

マルチンルターが主張した様々なカトリックの間違いの教理を

指摘する宗教改革に対抗するために意図的に作った教えなのです。

それは、”反キリスト”説、人間が神の立場を取るものでは無い

それが反キリストだとルターが主張した事を錯乱するために

作り出した教え、カウンター リフォメーション=反宗教改革と

言われる教えなのです。

詰り、反キリストは今存在するのではなく、この世の終わりに

出て来るものですからと、プロテスタントに信じさせるために

作った教えが元なのです。これは詳しくは又別の記事に書きます。

つまり、法王は反キリストではありませんよと言う事を信じさせるためのもの。それが雪だるま式に大きくなり、隠れた再臨や、

人種により何度も救い主が再臨すると言う空中携挙説、

ウイルアム ミラーが率いる会衆の中にいた15才の少女、

マーガレット マクドナルドの幻、夢を土台としたものなのです。19世紀まで誰一人そんな教えなど主張しない、聖書とは

異なる教えであるものなのです。

 

それは別としても、どうして再臨が人種により2度もあるなど

聖書に書いても無い事を本気で信じるのかその方が不思議な

事なのですが。

その神学も時が経つにつれて、その神学があまりにも道=

神の言葉=教えを外したものなので、少しずつ軌道修正を

し続けて来たのですが、元々の思想の土台が聖書=神の言葉の

真実ではないのです。ピザの斜塔の土台と同じ。土台=非聖書を撤回しない限り修正出来ない。只の人の発想、幻、現象を神から掲示されたと思い込んだ人から受け継いだ思想が人から人へ語り継がれ雪だるま式に人の教えが付け足されて行ったものであるのです。

なので、一旦人の教えであるものを削除して、

聖書だけ今読んでみれば何と書いてあるのか分かるのです。

 

日本でメインのメデイアでは決して流されたり、取り上げられたり、話題にもならない、アップされないニュースがありますが、アメリカの不正選挙の実態、内容はアメリカと言う国単独で

やった事ではなく、世界の国々がプランし関わったものであった事が次々暴露されています。今大きな裁判がされていますが、

日本のニュースには本当のことは微塵も語られないし

嘘の情報ばかり勝手に流されているのです。

 

今はハイテク時代でワイファイで票を読む機械を海外からも

操作出来るのです。そうすると、こんな事が起きたのです。

Bさんに130%の票、Tさんにはマイナス130%投票。

そんな事あり得るわけが無いのですが、それを聞いてまさに

人が神の言葉を腐敗、破壊して来たのは正にそれと同じだと

思いました。

 

聖書には”永遠に変わらない神の言葉、約束” 永遠に変わらない

神が書かれているのに、人の教えでは歴史の途中で変貌する神と

時代ごとに別の教えを提示する神と言う教えにされてしまったのです。本当にこれは人間が勝手に主張した作り話なのです。

 

人が開発したインチキ読み込み機械を通しているのではないので、自分で聖書を読んで神は永遠に変わらない、約束、契約を

決して撤回しない、永遠から永遠に変わらずに愛、誠実、恵、

許し、憐れみ祝福、に富と神が説明している通りを信じれば

良いわけです。人の教えではなくて。

 

細かいことは分からなくても、書いてある通りに読んでみれば

真実に必ず気が付けます。

永遠と書いてあるのに、”一時的”とか時代により違うとか

今は神の言葉は異邦人には関係ないとか終わりとか、そんな人間が変化、進化する進化論みたいな嘘、勝手な読み込みをするのを自分でやめれば良いのです。

これは意識的努力が伴います。人の教えが脳回路にびっちり

蔓延っているので、書いてある事をまっすぐに読めない状態に

なっているからです。だから意図的に、書いてある通りを宣言し

自分に言い続けると言う事をして人の教えを削除していけば良い

のです。

世間に主流長年の伝統で語り継がれた教えでもそれは神の言葉の

真実と異なれば単なる作り話、人の思想だと気が付けば良いのです。

そして永遠と書いてあるのに、一時的とか一時停止とか

将来は元に戻るとか、人種により別だとか言う教えと

神が人に語る”永遠に不変”と言う言葉を比べてどちらが本当?

と自分で聖書に書いてある通りを読み、考えれば答えはすんなり明らかに分かるはずです。

 

この神の言葉に対する腐敗隠蔽工作、破壊、嘘に世界は目覚め

英語圏では人が編み出した神学が聖書では無いことを多くの人が語りますが、日本語圏では殆ど見ることは出来ないのです。

正しい情報が少なすぎる。そして大元に書かれたヘブライ語聖書を紐解くことが殆どされないままなので、人の作り出した教えが聖書だと思ってしまっているだけなのです。

でも、そんな複雑な事では無いから真相は聖書に戻れば

誰でも分かる事なのです。

 

神の家の子らには、神が与えた特別な印が数々あります。

シャバットはその中心、代表です。それなのにどうしてそれを

捨て、人が作った教えを生きるのか?考えてみれば良いのです。

なぜならシャバットはイエシュアそのものを表している

中心だからです。神が与えた全てからのみ人は生きる!と言う

基本中の基本。そして神との関係に入っている証拠の印

神が人に教えられたのですからその通りを受け取り、

そして神が言われた通り、このシャバットを大事に汚さず

勝手に変更せず、神が言われた通りを生きる!と言う事を

してみれば良いのです。

 

Shabbat Shalom

 

出エジプト31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日=

シャバット=第七日目を覚え、永遠の契約として、

代々シャバットを守らなければならない。

31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。

 

イスラエル=イスラエルの神を信じる全ての人はイスラエルの神の家族に加えられた。

 

申命記5:12安息日=シャバット=第七日目を守ってこれを

聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。

 

5:14 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、

はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

5:15あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、

あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこから

あなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。

マタイ12:8人の子は安息日の主である」。
24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。

マルコ2:27また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。

 

2:28それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。

ヨハネ7:23
もし、モーセのトラーが破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
 
ヘブル4:9
こういうわけで、安息日=シャバット=第七日目記念日
休みが、神の民のためにまだ残されているのである。
 
使徒18:4
パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。
 
使途15:21古い時代から、どの町にもモーセのトラーを
宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。