聖書の一番最初に、書いてある言葉は、
<創世記1:1 はじめに神は天と地とを創造された。>
この1節の中だけでも、色々な事が書かれています。
はじめにの箇所は英語だと<In the beggining>と書いてあり
"THE"=定冠詞が付いていますが、ヘブライ語では、その言葉が
ありません。ここは大きな疑問が出てくる箇所でもあるのです。
ある始まり。。ある始まりに関して書かれている。
分からない部分がある。しかも人間の頭脳の理解をはるかに超えた神の世界が書かれている。神が神ご自身の全てを語っても
人間には全く理解出来ないでしょう。だから、私たちが理解不可能、又は知る必要の無い事は書かれていないのです。
読んで行くと気が付きますが、神はいつメッセンジャーを作ったのか書かれていません。天使、御使いとは、ヘブライ語で
”メラフ”この言葉は、王、治めるなどと言う言葉と同じ文字を
共有しています。
神の言葉を運ぶ人達を”御使”と呼びますが、それがバプテスマのヨハネの様な人であったりします。他の箇所に登場する御使いは
人間ですが、どこから来たのか書かれていません。
しかも、民数記のバラムのロバが見た御使は、バラムには見えていません。天の領域の中に居るのでしょう。不思議な場面。
民数記22:23
ろばは主の使が、手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見、道をそれて畑にはいったので、バラムは、ろばを打って道に返そうとした。
時には、イエシュアが登場していると分かる箇所もあります。
創世記14:18 その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。
生まれも起源も何も無い。サレム=シャロームの語源と同じ
エルサレムの名でもある。メルキゼデク=メラフ=王 ゼデク=義。義の王=イエシュア
創世記 32:24 ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。
32:25 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
32:26 その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。
32:27 その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。
32:28 その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。<イスラエルの名前の意味>
サタンはどこからサタンになったのか。いきなり、エデンの園の
中にどうしてちゃっかり、神の言葉を曲げてアダムとエバを
誘惑する動物がいるのか?ちゃんと考えればたくさん
疑問が起きるのは当然なのです。学習には、疑問が発生するからです。
ヘブライの世界では、授業を受けた後、疑問、質問が何も無いと言う状態を、何も学んで無い!と言われてしまうのです。
自分の知らない事が必ずあるはずだから。無限にあるはず。
この聖書とは、”神に造られた人が神と人との関係の世界に生きる全て、契約の関係のコミュニテイ=大家族の生き方が書かれています。だから、トラー=婚姻契約以外を離れた別の教えなど
聖書のどの箇所にも書かれていないのです。
全部婚姻契約にまつわる関係の世界の中の事が聖書には、書かれているのです。一人だけでは無い、家族全体がシャロームで
生きる、神の創造のデザイン、人間の本当のエッセンス
生き方が書いてあるのが、トラーなのです。
トラーとは、ガイド=導き、インストラクション=指針
神の教えと言う意味なのです。それを、律法などと言う言葉に塗り替え、人の作った神学で2000年前に呪いの律法は死滅したと教えるので、神の語る真実におおいがかけれてしまい、
開かずの間に入るべからずで、聖書を読まない現象が起き、
教える人も周りに無く、何が書いてあるのかが分からないと
言う現象がこの何十世紀の間に起きたのです。
そして、代わりに人の神学が発達し、聖書のエッセンスをちょこっと取り出し、人の教えとミックス混ぜた教えが流通、簡単に
言うとそう言う事が起きたのです。
ここで書いてある”神”と言う言葉、日本語的にも分かる言葉だと思います。
神々に使われる、同じ”神”と言うジェネリックな言葉=名前だからです。どの神々にも当てはまる言葉で書かれています。
エロヒーム。エル=神の複数形です。
天とありますが、ヘブライ語では”シャマイム”異邦人異教徒達が
想像する”天”とは異なるものです。
ここでは、”THE" ハと言うヘブライ語の定冠詞が付いて
”ハ シャマイム”と書かれています。
空=天と地が一体となって繋がっている事が見える箇所です。
だから、古代ヘブライ人は、紺碧の空を見ると、直天の御座を
見ていると認識するのです。天と地が繋がっている。
この空の青は、ヘブライ語で書かれている”タへレット”神の御座の色と書かれています。
たくさんの事がこの1節に凝縮されています。
永遠から神の中に全てが造られている。
創造主は神だけです。最初に”エロヒーム”と言う言葉で神ご自身を紹介されていますが、その後からイスラエルの神の固有名詞、ユニークで独特、一番親しい名前でイスラエルの神を紹介されるのです。
この名はヘブライ語の四文字で表される言葉で、一番発音の
弱い文字で形成されています。יהוה 右から読んで、ヨッド
へイ、ヴァヴ、ヘイ。アヴラムが義とされた印として、
名前も変わりました。その時にこの神の特有の名を表す”ヘイ”の
一文字が挿入されて”アヴラハム”になったのです。
この事を教えられた時の感激。神は人に威嚇する様な、”俺様を見よ〜 仕えよ〜従え〜”そんな声のトーンで語られていない事が確かで、明らかだからです。
宗教の世界では、怒りの神、威嚇、罰を与える、そんなイメージを翻訳用語や、そして異教の神々を土台にする閻魔大王みたいな
その様なコンセプトが潜んでいるのです。もちろん愛の神と
言いますが、その裏では、”呪い、怒りの神”とか、神の言葉=
トラーを”怒りの神が与えた呪いの律法”なんて呼んでいるでしょう。何かが変だと考えた方が安全です。だからオリジナルに戻り本当は何が書いてあるのか模索が必要なのです。
人は気が付いて無いまま、自分の内側にある固定概念で、
イスラエルの神を考えているのです。特に異教の地に生きた
トラーに馴染みの無い異邦人の思考回路はそれが顕著なのです。
ユダヤ人の中にある創造主と、異教徒異邦人のコンセプトの中に
ある神が全く違うのです。
例えば、罪を犯したら恐れますよね。神に刑罰与えられると。
でもユダヤ人は何と考えるのか?”神の評判を汚す”世界へイスラエルの神を違う神像を与えてしまったと。日本語で言うと親の顔に泥を塗ってしまうと言う感覚の恐れなのです。
なぜなら、ずれても神は刑罰の様なアプローチはしないと
分かるからです。正しい矯正、コレクションはあるけれど、
怒りの刑罰では無い。しかも、最後の審判の時に何を言われるのかビクビクだけすると考えますが、彼らは”私の与えた命を
フルに満喫して生きたのか?”と問われる事も言います。
この様な考え、トラーを知らない異教徒には浮かんで来ないでしょう。
英語では大文字で”LORD"と書かれているのが、神の固有名詞で
書かれている、ヨッド ヘイ ヴァヴ ヘイで表される神の名、
ありてあるお方。’ehyeh ’ăšer ’ehyeh と言う、神の特有の性質、この方以外世界にこの性質を持つ様な神は居ないと言う
これは様々な意味がある名。名は実態を表す。
永遠から永遠に存在し、無から全てを造り、供給し、独自、自活
可能な唯一の存在etc etc
この神と、神々とが別物で、私達は他の神々の教えに混じったり
異教の神々の習わしに混じってはならない理由が書いてあります。
しかも、注意深く読んで行くと、なんと、ダビデも、ソロモンも
混ぜ物を取り入れて居た事が書いてあります。
高きところを取り除かなかったと。
これは、私達への警告でもあるのです。
記事が長くなると分かりにくいので、一旦切ります。
続く