画像で見る春の預言的祭り 過越からシャヴオートまで | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の記念日は全部イエシュア=福音を表しているものです。

全て預言的、地上でも実際に起こる内容のものです。

春の祭りは、地上で既に起きた預言的祭り、出来事です。

 

子羊の血を鴨居に塗る。

神の言葉を受け取りその通りにした人達は、イスラエルも異邦人もその家に死が来なかったのです。

エジプトの初子が打たれた=次世代に偽の神々の教えを継承させない、断ち切ると言う意味でもあるのです。

イスラエルの初子=イエシュア=次世代に神の国に属する人達のエッセンスを継承すると言う意味です。

これを過越と言いますが鳥が木から木へ飛び交う様子の言葉とも繋がり、覆うと言う意味にも繋がっているそうです。

 

語源の意味は色々ありますが、この過越の子羊の血はもちろん

イエシュアの血を表しています。子羊の血と言う言葉を

言う時に、それはこの過越の子羊の血をさして語っているのです。神のなされた業は同じ。同じ性質を子羊で、イエシュアで

表しているのです。

 

そしてその夜、家の中で種無しパンを急いで作り食べて、

寝ずの番をして、その鴨居に塗られた血の戸口の間を通って、

人々は自由へと脱出したのです。

全部”新しく生まれる”=義とされた事実は、神の側で用意した

ものである事が目でも見ます。

 

エデンから出て、本物のイスラエルの神から飛び出て、

偽の神々、偽の人生目標、虚しくレンガを積み上げて、

偽の主人、偽の自己像を生きて奴隷だった。

 

 

そこから脱出。贖い出される。

エジプトの初子の死。10の災い=エジプトの10の神々への

裁き。

イエシュアが処刑される前の晩、”過越”の祭りの晩餐を

祝い、その中で贖いの杯、マッツア=種無しパンを食べて

弟子たちにイエシュアが処刑される意味を伝えたのです。

でもこの時には弟子たちは次の日の出来事の一連は

理解していなかった訳ですが。

 

 

過越の晩餐の前に、”足”を洗い合う様に教えられました。

新しくされた人でも、この世の旅路を歩く時、

泥が付いてしまうからですね。義とされた人でも

ズレが付着する。互いに足を洗い合いなさいとイエシュアが

教えられました。

 

出エジプト12章。パン種無しパンを作り急いで食べてエジプト脱出。

 

 

マッツア=種無しパン=ハメッツ=要らないものが

そぎ落とされたと言う意味、ハメッツ=罪を意味するものです。

 

そして、地上で永遠の中からある”贖い”=代価を払って

買い戻された事実、復活の命を得た事実を示して下さいました。

 

 

 

 

 

 

復活の命は初穂で表されています。初穂=初子=イエシュア。

 

エジプト脱出し紅海に面して、約束の地カナンを目指すのですが、その前に逆戻りして8日間、バアアルツフォン=偽の神々=

北の神々を意味する見えない所に隠れていると言う意味の場所に

面するそして、ピハヒロテ=自由への入り口と言う名の場所の間に宿営させられます。敵に向かって逆戻り?

この場所には意味があります。出エジプトした=奴隷から脱出しても、又奴隷の思考回路、生活スタイルに戻ってしまう危険を

警告しているものでもあります。救われたのに、神の教えではなく、人の教えに捕らえられて人の教えの奴隷に逆戻りになってはならないと言う意味でもあります。

 

 

 

その後、紅海へ面した場所に来ます。エジプトが追いかけて来るのにもう逃げ場はない!皆泣き叫んで喚いて居るのです。

でも、モーセが言った言葉。

出エジプト14:13 

モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。
かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救=
イエシュアを見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを
見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。

 

紅海が割れてイスラエルと異邦人のために奇跡が起こされました。これはその後この近隣の諸外国で大きな噂になりました。

皆にこの出来事が知れ渡り当時の人達は皆知っていたのです。

 

 

そして出エジプトして”スコテ”と言う場所に導かれます。

秋の祭りの仮庵と言う意味のヘブライ語です。

秋の祭り=スコートはこれから未来へ起こる預言的祭りです。

そして、仮庵の祭りは、イエシュアが来られた後にすぐに全世界と一緒に祝われる記念日としても書かれています。

仮庵=スコートは、イエシュアの中に住まう事を表しています。

全部神の言葉、祭りは福音であり1つに繋がっています。

出エジプトした後に向かった場所が”スコテ”。

贖い出された人達が住まう場所=イエシュアです。

 

仮庵

 

そして、シャヴオートを迎えるまで、7週を過ごします。

これは、新しくされた人=義、イエシュアの実態を受けた人達は

奴隷の思考回路は離脱するための日々です。

7週。大麦=初穂に繋がる人が初穂=イエシュアに相応しい

思考回路神の目から見る事を日々訓練、練習し続ける日々。

そして”婚姻契約”を受け取る日を迎える準備期間でもあるのです。過越から50日目がシャヴオート=週複数形なので、

ギリシャ語ではペンテコステと読んでいます。

 

シャヴオートは新しい収穫。小麦の初穂を祝う祭りでもあります。婚姻契約を受け取る。過越では種無しパン。

シャヴオートでは新しくされた天のエッセンス=イエシュアの

エッセンスを入れらた人として迎えるのです。

だから最上の小麦粉の中にパン種=義とされた、イェシュア=

神のエッセンスを入れた人を表すパンを焼いて神の前に捧げるのです。神のエッセンスで膨らんだ義とされた人。

 

婚姻契約を受け取る日。使徒2章はその再来です。

全世界の人にも同じ様に神の救い、贖い、約束、保証、祝福、

恵、全てが同等に与えられている。この婚姻契約に参加する人

もれなく、イスラエルの神の国の共同相続人であると神が宣言しています。

 

シナイ山の山頂、雲の中に天と神が降りてきました。

使徒2章よりすごい出来事です。使徒2章はこの祭りを

祝っているのです。全員が神の栄光、声の轟を聞いたのです。

 

小麦の収穫を祝う。初穂を祝う。

新しくされた実態が成長した印。

 

 

 

 

そして、新しくされた人は全てを神の目から見る学習の

”旅路”に導かれるのです。

 

神を中心に囲んで12部族と異邦人はお互いを神の栄光=神の

視点、視線から見る様に、神のミシュカンを取り囲んで

40年宿営しました。この40と言う数字も意味があります。

これは又別の時に。

 

 

雲の柱と火の柱に導かれて。

 

 

 

 

ヘブライ人が、聖霊と火のバプテスマと聞いたらこれを

即座に思い浮かべるのです。