出エジプト31:16
ゆえに、イスラエルの人々は”シャバット”を覚え、永遠の契約として、代々シャバットを守らなければならない。
17これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしで
ある。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、
かつ、いこわれたからである』」。
ここに書いてある通り、シャバットを神が創造し、設けられ、
人々と祝う記念日としたのは、神=わたしとイスラエルの人々の間の印であるからと書いてあります。
何の印?神と神の人々が、神の婚姻契約の中で結ばれている印である日と言う意味です。
シナイ山で与えられた”婚姻契約”を祝うのが、シャブオートです。何を祝っているの?
神と人が神がシナイ山で、今までエデンから口頭で伝えられてきた神の教え=トラーを直接指で書いて、永遠の揺るがぬ証拠、印、保障証として、神自ら石の板に文字で刻んだものを
モーセを通して全世界の民族に教え、生きること、その契約書を渡したあの全世界に轟いた世紀の婚姻儀式。
それがシャブオートの祭り、ペンテコステなのです。
聖霊初降臨節では無いのです。シナイ山でのペンテコステなど
直接天が神が地上に降りてきた。もっとすごい事だったのです。
その婚姻関係を表す契約書を破棄する、終わらせたのだと唱える
人間が考えた教えは、神との関係=婚姻関係を終わらせると言う教えなのです。トラーが終わりならイエシュアも終わり。人と神とは何の関係でも結ばれていないと言う意味なのです。
人が婚姻契約書を破棄したら、それは離婚を意味するのでしょう。
人の創作した教えは、神との隔たりの意識を挿入させる、
神が変化し、気を変える不安定な神と言う意識を与えています。
神の性質とは異なる事を言うとは、神に対して偽りの証言を
他者にすることになります。それはやめないとならないのです。
ちゃんと聖書の事実からだけを考えて。神が人に何を言っているのか、伝えようとしているのか、教えているのかだけを考える。
それらしく聞こえる人の教えを挿入しない。
神は使徒2章で、別種類の婚姻契約書など渡してなどいません。
神の指が出てきて、別の石の板が与えられて、内容変更の契約を与えられたと言う事実が記述されていますか?
太古から同じ”婚姻契約”同じ福音。同じ教え。
エレミヤ31章と、イエシュアの過越の最後の晩餐で、
イエシュアが語られた新しくされる契約とは、あのシナイ山の婚姻契約が再更新されると言う意味です。
子羊、過越の子羊の血で贖われた人達=出エジプトで訳も分からずに新生体験も分からないまま、肉の意識=奴隷の意識のままで付いて来た人たちの意識とは違う、全ての人の頭脳に腹に割礼がされ、義とされた実態を生きている。その人の中に、トラーが
書き込まれているその状態である人達が参加する”婚姻契約”の
生き方。
契約の内容は”トラー”=同じで、参加する人の意識が変わり、
人数が加えられ続け、再更新し続けられる同じ契約。
新しい契約=シナイ山の婚姻契約が再更新される
言われたもの、婚姻契約の中身は同じです。永遠に変わらない。
だからその婚姻契約が永遠に変わらない印=神と人との関係が
婚姻契約で結ばれた人達には永遠普遍である印の日と書いてあるのです。
そこで、翻訳を読んで、”イスラエルの人々”と書いてあるから
イスラエルの人だけですよね〜と考えるでしょう。
翻訳ではイスラエルの人々とありますが、ではヘブライ語では、何と書いてあるのでしょう?
17 ベニ ウベン ブネイ イスラエル
オウト ヒイ オラーム キイ
シシト ヤミン アサ ヤウェイ
エット ハ シャマイム ヴァ エット
ハ アレッツ ヴ バヨム ハ シャヴイイ シャバット
ヴァイナファシュ
ここで注目です。”わたしのイスラエルの息子達”とわたしの間に
永遠に置かれた印とあるのです。
息子だけ?では娘は関係ない訳?て事になるでしょう。
ちゃんと考えれば、真実を繋げれば異邦人でも分かります。
イエスさまは誰?イスラエルの神の家、天の家の長子、初子、
子羊でしょう?父を表す=長子でしょう?
ヘブライの世界は、長子とは父の実態を表す代表なのです。
初穂=復活の命。イエシュアに繋がる人は全て、イエシュアの
神の家の家族に繋がれていると書かれているのです。
誰でも神の言葉=トラー=み心を行う人は神の家族、兄弟姉妹、母であるとイシュアが言われたのはそう言う意味です。
イスラエルの神の息子=長子に繋がる人だと書いてある事に気がつけますか?人種、性別、時代なんて関係ないのです。
イスラエルのわたしの息子達とは、イエシュアに繋がる全ての人
その代表の代名詞で、ベニ イスラエルとヘブライ語では
書いてあるのです。
西洋宗教神学は、聖書を1つと見えてないのでそう教えないの
のです。異邦人、イスラエル、時代ごとに別の教え、契約が
あるのだと主張し、トラー以外の契約書もこの世に存在しないにも関わらず、本気でその都市伝説を信じ込んでいるのです。
理由?エペソ2章です。
異邦人は、トラー=神の婚姻契約とイスラエルの国籍と関係なく生きてきたから。イスラエルと言う肉の生まれでも無いので、
イスラエルの神と遠く離れ、トラー=元の聖書を学ばなかった
人種だからと言う単純な理由、当然な理由なのです。
家長、長子とは、ヘブライの世界、聖書では、家族の代表です。
アヴラハムは、全人類の父でしょう?
アヴラハムがあの時代に出会ったイエシュア、大祭司=
メルキゼデク=義の王に繋がる人類の父でしょう?
時空を超えて、神が同じである、イエシュアは時空を超えて永遠からどの場所にも時にも存在している。同じ救い贖い、義、
祝福、恵み、助けを与えられて生きている事、聖書の最初から終わりまで至るところに書かれているでしょう。
そのイエシュアに繋がる人は、全て”イスラエル”の大家族に繋がっていると書かれているのです。
人の教えが神の言葉を曲げ、同じ記念日、シャバット第七日目が
変更、神の記念日が終わった、神の教えが終わったと教えているのです。なぜ?エペソ2章です。
シンプルに書いてある通りに読めば分かるでしょう。
イエシュアもパウロも弟子達も、1世紀のイエシュア信者も
コリント、コロサイ、ピリピ、ローマの異邦人イエシュア信者も
同等にシャバット、過越、仮庵の祭りを祝い、トラーを
生きていた事実に目が開かれれば、神の言葉はどこの箇所でも
どの時代にもどの人種に対しても変化していない事実に気がつくことが出来ます。
シンプルに、シャバット、祭りは人のために造られた日。
神に造られた命を造られた周りに置かれた家族、親しい人と
喜び、楽しむ、神がどんなに良いお方であるのかを知るために
造られたと書かれているから。
Shabbat Shalom