不可思議?ミステリー?神秘主義?隠された奥義? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

​​​​​太古、古代には隠されていた神の奥義が、現代ではその詳細が

明らかにされる様になりましたと言う教えがあります。

でも、聖書を書いたヘブライ人達、預言者は現代の人よりも

ずっと深く救い主を知っていたのです。

そして、神の言葉の教え、インストラクションの内容を理解して

神の言葉を生きていたのです。

 

現代の主流な教えは、2000年以降は新しい教え=イエシュアの教えに切り替わって、以前の教えは終わったと言いますが、

聖書とマッチしない教えです。なぜなら、救い主は、

神=言葉=イエシュア=肉体を取って現れた神の言葉=トラー

と言う意味だからです。

 

しかも、彼らがトラー=預言書=イエシュアが来るその事を

同じくこの目で直に見たいと願っていた事が、ちゃんと聖書に

記されています。しかも、アヴラハムなんぞ直接イエシュアに

会っています。モーセや他の預言者もそうでしょう。

ダニエル達も同じです。

 

ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を

見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。

 8:57 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、

「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。

8:58 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。

 

ノア、アヴラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、エレミヤ、イザヤ

ダニエル、へゼキヤ、ゼカリヤ、マラキetc 全ての預言者は

イエシュアに出会い、神から直接救い主に関しての詳細を聞か

され、幻を見せられ、それをトラー<モーセ>、預言書、諸書に書いたのです。

 

でも直接その日をこの地上で迎えることはなかったと言う事

です。

私達も救い主に1世紀のイスラエルで直接は出会っては居ない。

同じ事なのです。古代の人達は過去から現在の人達は過去へあの1世紀のイエシュアの事実=永遠に存在する神が地上に現れた

事実を見ている事は何も変わらないのです。

 

現代でも、ある人は救い主を知らないし、創造主を知らないまま

生きています。

詰まり、個人個人の神との関わりと、神の言葉を神の意図通りに

知り、理解して、生きているのかどうか、神との関係と神に与えられた自分と言う人をフルに生きてるのかいないのか、

それは一人一人、個人個人の人生の旅路、ジャーニーの質に

より違うと言う事なのです。皆同じでは無いでしょう。

 

神の言葉をそのまま理解してどんどん奥へ進んで行くと言う事

が全ての鍵でもあるのです。

マタイ13章にもある4つの地のたとえ話で語られている内容にも繋がるものです。どんな頭脳、意識、状態、態度で神の言葉を

聞いて、そしてその真意を受け取っているのか?いないのか?

そして実際に本当に神の言葉を神の子として日々生きているのか

いないのか?と言うのがイエシュアの問いです。

 

誰でも神の言葉=トラーを生きる人が、民族、肉の生まれを

超えて神の家族であると

イエシュアも言われた通りだからです。

 

マタイ12:50

天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、
わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

 

神は太古には真理、奥義をひた隠しにしていた訳では無いのです。だから19世紀に突然編み出された人が解説する突如と

現れた聖書解説=ヘレニズム思想の哲学神学は、神が現代に

なる迄隠されていたのではなく、ただの人の思想、仮説。

預言者でも無い人を通して、現代に神の言葉の真理、奥義が知らされた訳でもないのです。

誰かの考えた思想=聖書とは異なる思考回路なのです。

 

神の言葉の中に全ての真実が書いてあり、それを個人個人が

知るに至るか至らないかだけなのです。

 

神は古代では人に奥義を隠していたと言うこの思想は、

ギリシャローマ、ヘレニズム思想から来るものでもあります。

 

ヘレニズム思想の中には、アレゴリーと言うものがあります。

ある事柄や、人物や、シンボルに秘密を隠している。

ヒントを発見し意味を解読すると言う様な。

 

でもヘブライの世界は違います。

イエシュアが語られている”たとえ話”はあたかも、秘密主義か

禅問答の様に訳が分からない様に聞こえますね。

 

その理由は簡単です。現代の外国人、トラーを知らない、

古代の時代から遠く離れた異邦人には、ヘブライの世界で

語られているイエシュアの教え=当時の人にははっきり

理解出来た言葉や、慣用句や、語られている内容の意味が、

現代人にとっては意味不明であると言うことだけなのです。

 

日本人だったら誰でも分かることが外国人には分からないと言う

事なのです。だから、様々な聖書の土台を理解する情報やヘブライ思索や言葉の意味を知る必要がある事は避けられない事実なのです。

 

しかも現代でも、人が使っている言葉の意味が分からなければ

何の話をしているのか分かりませんね。

最近閉じこもり生活なので、家で色々なレシピに挑戦しています。それでネットの記事を読んでいて、”ホケミ”を使って作りましたと書いてあったのを読んで、考えてしまいました。

 

”ホケミ”てどんな物?どんな材料?東南アジア系の調味料?

などなど。でも便利ですね。ホケミと検索したら、ありました。

ットーキックス”この短縮造語なんですね。な〜るほど。

 

”タナック”と言う言葉も造語ですが、ヘブライ語聖書を学び始めて初めて聞いた言葉でした。教えて下さっている先生が

もちろん説明してくださいましたが。

トラー、ナヴィーヴ、ケトウビーム。

トラー、預言書、Writings=諸書と言うヘブライ語の頭文字を

とって、タナックと言う造語をユダヤ人ラビが作って、ユダヤ人の世界はタナックと業界用語で、トラー、預言書、諸書を

指して言うのです。

 

翻訳の世界では、”旧約聖書”と名付けられて誤解を招くタイトルになっていますが。

旧、古い=悪い、今は不要、アップデート必要、無用などなど

聖書=神の言葉に対して違う意識を擦り込んでしまっています。

 

旧、新訳聖書とは、人が作ったタイトルであり、聖書は本当は

1つで丸ごと、創世記から黙示録まで全部ひっくるめて

同じ聖書なのです。何もどこも教えに変化などない、どこの箇所も永遠の神の言葉であり、互いに相反する内容は1つも書かれていないのです。別の2つの福音=神の言葉=教え、インストラクション=婚姻契約は無いからです。

 

これは多大に誤解され、聖書に対する違う聖書観が浸透して

しまっていますが。

 

そして、古代は神の言葉の意味は秘密として隠されている、

又はある時代まで神が人に神の言葉の真意を教えることがないものだったと言う様な教えがあります。その考えは、ヘレニズム

思想の神秘主義思想から来るものです。

 

英語で言うと、Parable, FableそしてAllegoryとい言うもので

語られる内容です。

ヘブライの世界はたとえ話です。Parable=たとえ話と日本語では訳していますが、イエシュアがトラーを解説するのに殆どのの場合このたとえ話を用いて解説しています。

 

どうしてか?と言うと、難しい天の国の奥義を難しい言葉や

内容で理解出来ない、又は神の言葉をそこまで理解出来てない

人達にも、実際の生活の中の人生選択、行動選択をどうすれば

良いのか?と言うことをたとえ話として話して、最後にあなた

ならどうしますか?の選択を出来る、答えにたどり着く方法で

分かりやすく話しているからです。

 

その時に登場人物や、物など当時の人は誰でも理解できる意味が

分かるものなのです。

 

 

続く