今聖書を読んで、永遠に代々にとはっきりと翻訳でも書かれている箇所を読んでも、今は終わりになった神の言葉なので関係ないさ、ある民族〜異邦人には関係ない教えなんですよ、神の言葉を生きないのが、今はトレンデイな教え、それが神の恵を生きると言う事なのさ、天の国の新しいルール、新しい契約受理代表者=
新人類の生き方なんですと本気でそれが聖書の教えだと信じ
こんでしまえば。
神が直接今自分に向かって語られて教えようとしている事に対して、全く人ごとの様に聞こえてしまい、理解しようともしない。
聞こうともしない、だから神の言葉について深く考えることもしない。自分には直接神はそんな事今語られてはいないから、教えられてもいないと信じ込んでしまう現象が起き続けるのです。
聖書を読みながら、書いてある事を、神の言葉のどれ1つも否定しないで、書いてある意味を曲解しないで、神の前に、どうしてそんな事が書かれているのですか?と問うてみる事をしながら、神の前で考え続けて、神の意図通りを教えてもらえば。
ヤコブの様に、祝福してくれるまであなたを去らせません!と
言う態度で、答えを貰うまで神に聞く、尋ねる、求め続ける。
探し続ける、そうすれば見つける。求め続ける、そうすれば
与えられる。天の宝の生き方を自分のものとして生きることが
出来るとイエシュアが教えて下さったように。
別の福音、2つの福音は無いとはっきりと書いてあります。
人の教えが語る2つの福音なんて神の造られた世界、神の言葉の中には無いものなのです。あると思う=空想、まやかしの騙し
ごとの人が作った哲学とパウロが言ったその通りでしょう。
人種別に違う神の教え=インストラクションと言う教えは聖書=神の言葉では無い。これは今大きな水の様に世界を覆い始めて
います。
お家元=ヘブライの聖書を知るユダヤ人達が語り、教え、世界に伝えているからです。
今までになかった現象がこの30年の間に水面下で起きている。
いや今は公に伝えられている。
別の福音=トラー=父の言葉以外の教えは無いと言う意味が
ヘブライ聖書に書いてある意味だからです。
その福音とは、聖書の最初の最初からずっと同じ性質、内容の
ものがずっと同じ意味で書かれているのです。2000年前の
歴史の途中で有効になった教え、よりすごいパワフルな救い、
贖い、許し、恵、祝福と言うものなど1つも無いのです。
ずっと太古から永遠から永遠に同じ神、神の言葉、約束、契約
同じ救い、贖い、助け、恵、許し。
永遠から同じと言うヘブライ思索で、オリジナル聖書に
書かれた通りの意味を翻訳でも探って読んでみる。
神の言葉を人の教えに変換しなければ、翻訳でもちゃんと
書いてある意図が見えて来ます。
イスラエルと読んで、自分は日本人だから、イスラエルでは無いイスラエルとは全く関係無いですと人ごとの様に神の言葉が
聞こえるのは、完全に人の教えと言う自分の目=頭脳に付着する脂肪と重たい耳=人の教えが神の言葉より価値があると考えるのせいなのです。
そうだとしたら、外国人は、イスラエル=ユダ族、ダビデの家系から出たユダヤ人=イエシュアとも何の関係も無いと言う事に
なるのです。
イエシュア=ヘブライの神=父の言葉=トラー預言書と
イエシュアが言われたでしょう?言葉=神、天のトラー=モーセ
が文字で与えられて書いた神の言葉が、肉体を持ってそっくりそのまま地上に現れ出たと言う意味でヨハネが書いているのです。
言葉=トラー=神=イエシュア。
トラーに書かれた救い主=イエシュアをクリスチャンも信じているのではないのでしょうか? それともローマの教えが語る神を信じているのでしょうか?
同じイスラエルの神=創造主を信じたら、同じ1つの契約を
受け継ぐ生き方の神の国の共同相続人になったと書いてあるのは
一体どう言う意味?アヴラハムを通して、全世界の民族が
同じ義と救い、祝福を受けると書いてあるのはどう言う意味?
イエシュアが警告していた事でもあります。
世の中聖書、神の言葉が語る事実とは異なる、違う、人間の教えが混ざったものがずっと何十世紀もの長い間世界中に流出し、
浸透して行きました。
人口ウイルスが製造されて研究所から流れ出て世界へ拡散された様に。世界中に浸透してしまって世界の人を汚染してしまった。
命を破壊してしまう。
一方ユダヤ人の間でも同じ事が起こった、起きるのです。
聖書に、ユダヤ人が約束の地に入る前に、神のトラーを生きます!と皆で=異邦人も含め神の前に宣言したのに、その舌の根も
乾かないうちに、預言通り、約束の地に入ったら、神の教え=
トラーを捨てて、別物の教え=異教の神々の教えを混ぜたものに傾倒し、移行し、高き所を作ってしまった。
バアール神、イースター神、そしてモレク神と言う3つの内容の
大きな姦淫の罪を犯した。これはアメリカでもどの国でも辿って
いる同じ罪なのです。同じ人間だから。
多くのイスラエルに住むユダヤ人達が今イエシュア、
ヘブライ聖書に戻る大型大規模軌道修正をしています。
その一方”世俗的、”英語でセキュラーと言いますが、
聖書にも神にも全く興味なく、遠く離れて生きている人達も
います。人は人生の旅路がそれぞれ違う場所にあるから、
皆同じでは無いからです。
イスラエルに住むユダヤ人が皆聖書を知っている訳でも
無いのです。
ゲイパレードがエルサレムで、ガリラヤ湖で行われてしまうような。現在でも、イスラエルではなくても、アメリカでもモレク神に子供を捧げる様な恐ろしい出来事がある。ありとあらゆる
もう口に出すのもはばかられるようなヴァイオレーション、
虐待が行われ続けている。悪の根は死だからです。
死=神とは真逆に遠く遠く離れた状態、闇を生きる事です。
神のデザインに反する事をする、トラーに逆らう生き方をする、それは、イコール神に造られた自分を破壊する事であり、
同時に周りを破壊する事でもあるのです。
神の前に認められようとかそんな目的のためにトラーがあるのでは無いのです。神が造られた人の生きる詳細=インストラクション。
マニュアル通りに取り扱わなければ、不具合や破壊が生じると
言うのと同じ事なのです。
そして、フルに与えられた祝福、恵を知らないまま生きると
言うことになるのです。
ソドムとゴモラ。ノアの時代と同じ。何も変わらないのです。
暖炉の薪の火は、暖炉の中にあって機能通りに働けば、
その火は家全体を暖め皆に安らぎと幸せをもたらします。
でもその火を家の暖炉以外の場所に持って行ったら、
大火事になって家を燃やして人の命まで破壊してしまうのです。
神のエッセンスで創造されたデザインを曲げたら、同じ事を
している様でもそれは、破壊をもたらすものに変身してしまう
のです。
それを人間はしてしまっているのです。神の言われる事、
神のデザイン通りを曲げて別のことをすると言うことは、
急激な破壊を瞬時に見なくても確実に人を阻んで行くものなの
です。低温火傷や腐った林檎を新鮮な林檎の中に入れる様に、
確実に周りを腐敗させる。
ちょっとこれには今触れませんが、とにかく人類は神の言葉から
離れたら、命が絶たれる生き方を辿るのです。多かれ少なかれ。
そんな最初は極端では無くても、自分が、夫婦が、家族が壊れて行くからです。神のデザインとは程遠く生きてしまっている事
人は誰でも自分の体験の中でも理解しているでしょう。
誰かと仲良く、楽しく、喜びの中だけに生きたいのに、
それが出来ない、秘訣が分からない。破壊、攻撃、傷つけ合い、無関心、無視、冷たい態度、不機嫌、怒り、喧嘩、口論、
ヴァイオレーションetc.
ほころびがどんどん大きくなれば、タガが外れて
境界線の別の場所に飛び出て侵入して行く危険があるのです。
その最初は、”神の言葉”を捨てて、離れる事なのです。
エデンの園の警告。
そこまで極端では無くても、神の言葉、教えを神の意図通りに
教えられないまま、神の言葉ではない宗教の教えを、人の教えを教えられてしまえば、義とされた本物の自分をどう生きて良いのかが分からな場合、同等に、道徳的に麗しく、窮屈に人の教えや価値観に縛られて、自分が誰かが分からないまま生きてしまう
事が起きるのでしょう。
ラビの教えや解釈だけを通して、神の言葉を読むように、
多くの正統派ユダヤ教の家庭に育つ人は指導されてしまいます。
でもこれはクリスチャンの世界でも同じだと思います。
神学と言う誰かの編み出した方程式のフィルターを通して、
神の言葉を教えられてしまうのと全く同じ事なのです。
それぞれユダヤ教正統派の語る事と、キリスト教の神学の内容は
異なり違っても。神の言葉のピュアでオリジナルな人に命や
力を与えるものとは異なる、人の教えと言う共通点は同じです。
続く