神の言葉を呪いの古い律法であると敵対視 誤解しないために聖書の真実を知る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書に書いてある内容を誤解する要因は、様々にあります。

 

遥か彼方の太古の世界。しかも、外国、異文化の世界の言語、

文化の中で、ヘブライ人がヘブライ語で、当時のヘブライ人が

理解出来る内容で書かれた書であるからです。

彼らに取っては、そのまま聞いただけで、読んだだけで理解出来た内容が、現代の外国人には意味がぼやけてしまうと言うことが

起きるのです。

 

私たち日本人とて、古代の日本語を、現代の日本人がそのまま

今聞いても、読んでも?ボンヤリ意味不明なのと同じです。

 

しかも、古代の文化や風習に、全く馴染みも無ければ、

何の事を話しているのかも、分からないのと同じです。

例えば、今現代の若者が、いや中年の人でも、江戸時代の日本の

生活にタイムスリップしたら、完全なカルチャーショックに陥る

はずです。

 

古文を学校で習った事のある人なら、初めて古文、漢文を読んだ時に、そのまま説明されなくても、意味が分かったと言う人は

居ないはずです。よほどの予備知識、下知識が無ければ

分からないからです。様々な解説、理解に繋がる手ほどきが無いと、意味不明です。それと全く同じ事なのです。

 

古代のヘブライ語の書を、現代の日本語で訳されているから、

ヘブライ語に書いてある意味通りに分かっているつもりですが、そうでも無いのです。

突き詰め行くと、言語が違うと言う要素の上に、ヘブライ思想、ヘブライの世界の様々な背景、情報に欠けて読んでいるので、

分かっているつもりでも、実は真意を汲み取っていないと

言うことが起きるのです。

 

逆に古代の人が、現代の若者が語るネット用語で語る様々な事を

聞いても分からないです。

 

古代日本人が、コンビニやライン通話、ATM、なんて聞いても

何の事か分からないでしょう。現代の後期高齢者にライン通話、スカイプ通話、ZOOMでネット会議、授業と言っても分からない。

 

海外で生まれ育ち、異文化の中でずっと暮らしている日本人。

しかも、日本語を話さない外国語の環境、文化で育つ人達は

日本に住んでいる人と、国籍は同じ国民なのに、全然違います。

 

日本の生の情報に触れない場合、本当に浦島太郎では無いですが

理解出来ない言葉や生活文化がたくさんあるのです。

なおさら、古代の人、外国人には全くこれが何を意味する

日本語なのか分からない、それと同じ事なのです。

 

ヘブライ語で書かれている、しかも古代当時に使われていた

”慣用句”など聞いても、ヘブライ語での意図、意味を知らない

ままなら、完全に意味を誤解して翻訳されてしまい、読者は

ヘブライ語原典聖書に書かれた意図とはずれた内容を汲み取り

読むことが起きてしまうのです。

 

外国語をそのまま日本語にしても意味が通じないことがあります。

逆に日本語を外国語に訳しても意味が通じないのです。

言葉通りに訳してみても、意味をなさない、相手に意図通りに

通じないと言う言葉が、たくさんあるのです。

現代の若者用語の様に。

調べてみましたが、何1つ分かりませんでした。

「わかりみがすごい/深い(すごくよくわかる)」「つらみ(なんだかつらい)」「よさみ(良さそう)」「やばみ(やばい)」

あげみ/あげみざわ いい波乗ってんね ありより。

 

ここまで崩れた言葉では無いですが、例えば福音書以降に

出てくる当時の慣用句でも、下知識が無ければ、完全に内容を

誤解して読むものがたくさんあります。

例えば、”割礼”=ユダヤ人に改宗する儀式=アブラハムの割礼の

事を指して語っているのでは無いのです。

もちろんその改宗儀式の中には男子なら、アブラハムの割礼も

含まれますが、もっと複雑な工程、様々な条件、規制、制約が

あるのです。人の作り出した教え=儀式、規則です。

アブラハムの割礼=トラーの教えが終わりと勘違いしている

大きな内容です。

 

誤解される言葉で、翻訳でも完全に誤解している代表的慣用句。

マタイの5:17=成就と破棄と言う当時ラビ達の間で使われていた慣用句なのです。外国語では成就と言うと終わりと考えるのですね。

1世紀のヘブライの世界のヘブライ語では、成就とは終わりなどと言う、そんな意味では無いのです。

 

他の言い回しでは、”懐”とか、ゲヘナ、様々な表現など。

天と言う言葉は、ヘブライ語では、シャマイム=空です。

ブヨは濾しているのに、ラクダは飲み込むなどの表現。

字面では読めるけど、完全に意味不明でしょう?

当時の誰でも知る”たとえ話”から、イエシュアはトラーに基づく

生き方、教訓、人生選択の教えを語っています。

 

字面だけ読んで分かったつもりでも、それでは何?と問われたら

言葉に詰まり、はっきり説明が出来ないと言うことが

たくさんあるのです。なんとなく分かったつもりでも、

どう言う意味?とずっと不明なまま読んでいるのです。

試しに読みながら、自分に問い続けてみれば、書いてある字面は読めるけど、それがどう言う事を意味して何を言って、何を教えているのか不明と言う箇所はたくさんあるのです。

 

言葉だけではなく、コンセプトを誤解すると、ヘブライ語の意味には無い、違う訳が生まれてしまうのです。神の言葉を指して

律法と訳されている不適切誤訳などはその代表例です。

この言葉、金輪際皆で使わない、翻訳からも消して、元の正しい言葉に戻す、訂正し直す必要があるのです。

トラーは律法では無く、神の教え=インストラクション

正しいヘブライ語に合った翻訳に置き換えただけで、意識が

ガラッと入れ替わって行きます。

トラー=神の言葉、教え、インストラクション=廃れる、

呪い、古い 終わり、異邦人は神のトラーを捨てよ、トラー

生きる場合は律法主義で、恵を捨てた生き方だ、なんてそんな

教えが、言葉通りに訳すだけで、変なコンセプト、非聖書的だと気が付けるでしょう?

 

教会と言う翻訳も聖書に無いコンセプト、しかも不適切な造語で翻訳されてしまっているので、誤解されてしまいます。

別のグループが、昇天以降出現したと。別のグループが出現したことを信じさせるために造られた造語の言葉です。

便宜上使っていますが、教会=クリスチャン、異邦人で救い主を知った、信じた新しいグループでは無いのです。

”カハール”=エクレシア=呼び出された人々=最初からある

1つのグループ、同じ福音=同じイエシュア=救いを知っている、1つしか無いグループ、継続的に、同じグループに神を

信じる、神の家族の姿=婚姻契約=トラーを生きることに同意した人々が加え続けられて行く1つの大家族。エペソ2:11-19

人種差別は無い。多国籍=全世界の人類、民族が1つに集まる。

 

この造語は、進化論をサポートするために製造された、

存在しない模型=北京原人や始祖鳥と全く同じ事です。

言葉は模型では無いけれど、言葉で、実際には存在しないもの

=2つ別のグループが出現したと思わせるにはぴったりな言葉を編み出したからです。

 

世界中に行き教えている友人が、”贖い、救い”と言う言葉の

意味も説明出来ない人が大勢いると言いましたが、

それどころか、聖書の中の解説をする時に、その聖書の中に

書かれている内容を知らないと言う人が多いと言いました。

祝福、恵、呪い、罪、許し、憐れみ、愛etc etc 

これらの言葉を使っているけれど、言語が意味する内容、詳細、定義は、トラーを知らなければ、不明なのです。

祝福って?恵って?罪とは何?と聖書通り=トラーに書かれた

定義通りを解説できるでしょうか?

結局自分定義の内容になってしまうのです。

なぜなら、こららの言葉が意味する内容の詳細、定義は

”トラー”=モーセの五書に詳しく書き記されているから。

福音書以降も、このトラー=モーセの五書に書かれた内容の

短く端折って書かれた、使徒が書いた書簡なのです。

 

聖書の最初の70%は異邦人には終わり、しかも呪いの律法と

神の言葉に対して敵対する意識を刷り込み続けられてしまったので、そんな書を学ぶ必要は無いと教えられている。

だから、福音書〜黙示録が、トラー100%が書かれている

トラーを捨てた新しい教えなど出現していない、どこの聖書

箇所、神の言葉は、互いに敵対し合う、相反する教えは、聖書には無いのだと気が付けないのです。

 

参考程度に読みやすい詩篇や箴言をちょっと読む。

又は歴史書で、関連のある箇所を数節取り出して解説

されると言う聖書の読み方です。

体系的にちゃんと初めから終わりまで1つの書を読み

その中に書かれていることなど学ぶことも殆ど無いのが

実情なのではないでしょうか?

 

聖書を読まなければ、学ばなければ、分からない。

当然の事なのです。これが聖書を見えない最大の原因なのです。

 

 

続く