狭き門より入る 世に浸透しやすい教え イコール神の真実とは異なる事が多い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書では無い、聖書とは異なる人間の考え出した哲学=神学と、

科学の仮説は同じものです。

 

神の言葉と神の創造物はマッチして1体です。

神の言葉=性質と異なる神の創造物は、この世界には無いのです。神の言葉で世界の全ては造られて出現したからです。

 

だから、その神の造られた世界を”定義”=”解説”する科学が

神の造られた世界の性質=言葉と異なる事を発言したら、

それは真実では無いのです。

 

進化論がその代表だと思います。

進化論、ビッグバン、地動説、これは全部同じ教えで

繋がっています。根底は実は無神論。神の存在を否定するものです。そして人から存在価値の真意、意識,意義を奪うものです。

無神論者が考える発想が根底にあります。創造主から発生した事実を隠せば、無目的に、意味無く発生し、ガードの無い宇宙を

果てしなく音の速さで浮遊し続ける。安定感の無い世界に住まう。考えても、平安の無いコンセプト。

 

偶然発生したら意味が無い、神から出現したのではなく

無から偶然、どう言うわけか発生、進化した自分であるならば、

生きている意味なんて無いと考えるのは当然で、無理やり意味を

作り出してみても、その生きる意味の根拠の根が無いので、

萎えてしまいます。

 

この進化論、世界の優秀な科学者や、教授が疑いもなく信じているでしょう。学校でも当然のごとく教えらます。ノーベル賞を

もらう様な学者達さえも信じているでしょう。

優れた頭脳を持つのに、神の真理を見る目が開かれていない。

人の教えに騙されていることに気が付いてない。現代も。

もっと深く、騙しの教えを信じ続けていく、伝え続けて行く。

 

教科書に書いてある。教科書通りにそれを学ぶ人達。

いや、真実を探求する人は、疑問に思う人達は、なんか変だと

気が付く、考えつくものです。

 

そうすると、世界で優秀と言われている科学者が信じる事が

神の創造の真実、神の言葉で語られる”人は神に造られた、

神の似姿に造られた”と言う真実が見えない訳です。

 

世界が信奉する仮説=神の真実では無い事を考えるのです。

これは科学の世界だけでは無いです。

聖書、信仰の世界も全く同じなのです。

聖書では無い事を、聖書だと教えられ、そうだと信じて行く、

伝えていく。

 

これらの科学の仮説、進化論や地動説など500年前までは

誰も信じない、異端の教えでした。

 

古代の文献、どの宗教の中にもそれぞれの”神々”は違っても

人は神に造られたコンセプトが書かれています。

この世界の地図や地形もどの宗教もどの国も全く同じものが

描かれていました。彼らが真理に無知だからですか?

いいえ、ユダヤ人がトラー、創造の事実を世界へ伝えたからです。

 

そして、ノアの箱舟の出来事も世界に形を変えて伝えられています。どうしてか?ユダヤ人が世界の四隅へ移動、散って、誰かに伝えたからです。

中国の古い文献に、ノアの名前とその家族、洪水の出来事が書かれているものもあります。世界中のどこでもその事実が伝えられています。船と言う字は、八人の人=ノアの家族が舟の入り口から入ったと言う絵画的漢字でちゃんと書かれています。

 

500年前まで、進化論などと言うダーウインが編み出した仮説は

誰も知らない、考えた事もない教え、仮説だったのです。

 

それと同じく、1世紀の信者達、又は西洋初代教父たちでさえ、

トラー=神の言葉と神の記念日を捨てる教えなど考えてもいなかったのです。

又は19世紀に出てきた様な神学も、その当時まで、誰一人として考えもしない、教えもしない内容の仮説だったのです。

現代の様な信仰の基礎は、実は聖書の時代、パウロや1世紀の

信者達の間には全く存在しない、考えられていない、

生きていない、無かったものなのです。

 

ダーウインの様に、又はその他の科学者が、神の創造の世界の

定義を塗り替えたのは、聖書に基づき明らかです。

だから、現代の人の方が、古代の人に比べて、神の創造の事実を知らないのです。

時代ごとに神の真理が詳らかに明かされていくと言う、

デイスペンセーション神学の謳い文句ですが、

全く逆だと思います。しかも、直にエデンから出て、神と直に

繋がっている人達に比べ、トラー=神の言葉を捨てたら、どれほど分からなく、遠くへ来てしまったのか言わずとも知れる事実。

 

神の1体の家族なのに、異邦人とイスラエルは2つの別の

グループである、トラーは、呪い、律法=異邦人には無用の神の言葉であると言う教え。そして、神の言葉の奥義は、今の時代に初めて全貌が明らかにされつつあるのだと言う、その神学の教えが語る聖書の根拠は以下の箇所ですが、この箇所を読むだけで、

又エペソ2章でパウロが語っている内容だけで、デイスペンセーション神学が唱える”2つのグループ”=イスラエルと異邦人は

別別のグループと言う教えが聖書のテーマと完全に相反する、

対抗する教えある事は、ちゃんと読めば明らかです。

しかもトラーを捨てて、原典聖書の内容を学ばないなら、

どうやって真理の奥義の詳細を知ることが出来るのでしょう?

つまびらかに明らかにされて行く真理とその神学は唱えるけれど、その詳細はトラーに書かれているのです。

トラーを捨てて、逆に真理、奥義が分からなくなったから、

その様な神学を編み出したのです。

 

スコッフィールドは、彼の論文を読む読者が、聖書に戻り、

一人一人ちゃんと確認しない事を前提に書いたのかと思ってしまいます。いや彼の教え=彼が作った注解だけを聖書の真理として読む様に考えて、創作聖書を作ったのです。

 

スコッフィールドの聖書の読み方は、主観に沿っており、

とても偏りがあります。

聖書の事実から逸脱した読み方と、聖書を基礎から、

原典からきちんとした教師の元で学んで無い事は明らかです。

当然彼は原典聖書の中身の真意に何が書かれているのかを、

本当には知らない人である事は明らかになる箇所でもあります

 

エペソ3:5に、

この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。

 3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。

 

人の子ら=全人類では無いのです。ある人々には真理が

現在だって神の言葉が存在して書かれてあるのに、その事実に

目が開かれてはいないのです。気が付く、神に教えられる、

聖書から神の伝えている真実を汲み取る時まで、人は気が付けないと言う事なのです。時代ごとに神が真理を隠しているのでは

無い!と言う事実に戻って考えてください。イエシュアが生まれる以前に、トラー、預言書と言う聖書があるのです。エデンの中から、神の教え、インストラクション=トラーは口頭で神から

直接人へずっと伝えられているのです。

 

聖書の中=神の言葉の中で真理はいつの時代でも明らかに、

真理、神の奥義がはっきりと掲示されているのです。

神の言葉を聞く人には、神がどの時代にも変わらずに真理を奥義を教え続けているのです。神の言葉を聞かないで人の教えを

聞くから、障害物で神の真理、奥義が覆われて見えない、

聞こえないだけなのです。

分断思想=主観の教えを元にするから、今現代まで神の奥義が

明かされなかったと言う教えになるのです。しかも、19世紀になるまで、いやパウロの時代まで、真理に気がつかない人だけ

存在したのでは無いのです。ダービーやスコッフィールドは神からの預言書でもなんでもないのです。ただの人。

しかもそのスコッフィールドが主張する、明かされた奥義とは、内容は聖書では無い、聖書とは異なる主張、教えです。

 

ユダヤ人の思考、現代でもその様に考える人もたくさんいるの

ですが、”ユダヤ人だけが選ばれた民であり、次に来る世代で

神の家で、場所が確保されているのはユダヤ人だけと考えている人がいるのです。異邦人は神の言葉を生きず、汚れたものを

取り入れ、勝手に生きているから、神の家に住むような状態では無いと考えるのです。当然ですが。

 

そうでないユダヤ人も、もちろん大勢います。

この事を頭に於いて、パウロが2章で書かれた、肉の生まれ、

国籍、以前の生い立ち=異教神の世界で育ち、トラー=神の婚姻契約を生きる体験の全く無かった異邦人が、ユダヤ人と同じく

イスラエルの神の国、神の家の同等の相続人=同じ家族と

書いてあるその事を頭からはずさずに、パウロの論点を理解して

この3:5を読みます。

 

 

続く