最初からイエシュアを信じていた残りの民が存在している ハヌカ 神の命に繋がる人達 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

たくさんの情報を繋げて行くと見えてくるので、長くなるので

少しずつ載せてみます。

 

2000年前まで、誰も救い=イエシュアを信じて生きていないと

私自身は、以前教えられてそう思っていました。

救い主を信じる事は、2000年以降初めて人類に起きた出来事であり、それまでは聖霊=神も人の内に住まう事がなかった。

 

でも、それでは、聖書の記述と異なるので、ある仮説は、
”ある特殊、選ばれた人の中だけに神は住んでいた”

人の仮説を証明するために、もうなんでもあり、トラーに基づかない、空想、憶測、人が作り出した解説の世界です。活字や講壇から語られると真実に聞こえてしまいますが、照らし合わせられる根拠は聖書の事実のみ。どんな人気で有名で大衆受けする意見

や教えでも、それが聖書の事実と異なれば全て、不真実なので

却下、削除しなくてはならないのです。

 

これら人間の仮説の教えに照らし合わせて考えると、聖書とは

違う、変だと必ず気がつきます。赤を黒と言えないように。

 

変と気が付くのは、聖書に戻って確認する場合、聖書には

そう書いてないから事実では無いと分かるのです。

イエシュアが最初の最初から、聖書には語られており、同じ福音が語り続けられているのです。神が変わりないお方だから。

アレフであり、タヴであると宣言しているでしょう。

 

そして神に造られた人間はいつも同じ性質=神の性質に造られ、神の言葉を食べて生きるように造られている。

 

そして、トラーを書いたモーセ、モーセも預言者ですが、その他

の預言者達=トラーの生き方に軌道修正、戻れと言う神からの

託宣を伝えた人達、そして残りの民は、皆まだ見ぬ

”イエシュア”を遠い未来に見て生きていた。

同じ、贖い、救い、許し、恵、祝福、憐れみ、全てを神から

受けて生きていた。その実態は、トラーに書かれている、

そしてその解説が預言書に書かれている、そのトラー、預言書を書いた、預言者達が、イエシュアの事を神から言葉を預かり、記述しているのです。

 

”トラー、預言書にわたしがそっくりそのまま書いてある”

イエシュアが言われた通り、トラーを読めば、預言書を読めば

救い主が分かると言う事をイエシュアが言われているのです。

 

誰によって、福音が伝えられたのでしょう?人類は、モーセ、

預言者、聖書記者=ユダヤ人を通して神から福音が伝えられたのです。神の選びです。ルカは異邦人ですが、トラー、ヘブライの世界の教育をちゃんと受けたのでしょう。

 

では、トラー、預言書を書いた聖書記者=預言者達は、神の

言葉の内容を知らないまま、只口述筆記のごとく記していると考えていますか?違うでしょう。

彼らは、神と直に顔と顔まで合わせて、教えられ、訓練され

聖書を書いていた人達なのです。教師です。人類に福音を伝える、神の言葉を書き記すために選び出された人達。

皆同じ救い主を知っていた。でなければ、救い主=イエシュア を書く事が出来ない。イエシュア に直接会った人もいるでしょう。顔と顔を合わせて。パウロがイエシュア に会ったように。

 

古代のユダヤ人、少数の異邦人達も、トラーを、預言書の

イエシュアを、知って、生きていたのです。

残りの民は、いつの時代にも存在して、過去の場合は、

未来のあの1世紀に来られるイエシュア実態を未来に待望し、

過去に来られたあのイエシュアを私たちは今過去に見ている

同じ実態なのです。

 

マカバイ戦争に参加したユダヤ人達の中にも、残りの民がちゃんと居たのです。神の言葉をガードする、新しくされた実態を

イエシュアで取り戻されている命を知って生きている人たちは、

どの時代にも居るのです。

 

ユダヤ教、キリスト教と言う二つの宗教が聖書に書かれていると

言う誤解をまず解けば、見えてきます。

宗教は、人の教えが混ざったもの、イズム。ジュダイズム、クリスチャニテイと言う名前が付いている。

 

でも、神の言葉は純粋に神の言葉。それだけ。しかも神の国=

神の家では、なになにグループ、なになに派、誰々に信奉、

上の立場、役職別に分けて、別々の部屋に入り、お互いを壁で

仕切ろう!そんなグループ分けや、名札なんて無い。別の記念日も無い。皆同じ記念日、同じ家族は同じ1つの家。それを

エルサレムの神殿で教えてたのでしょう。1つ神=一つ王国、一つ家、一つ家族を表している、同じ記念日を祝う。

ただただ、皆神に造られた人間、同じ家族の一人一人なのではないのでしょう?それほど、シンプルな事実です。

 

パウロがユダヤ教と言っているのは、”神の言葉”なのに、人間の作り出した口頭トラー=ハラハーの教え、生き方になってしまった、それを話しているのです。誤解を解いていく。100%どこからどこまでも、全てトラー=神のインストラクション、教えなのです。

 

神の祭り=過越、仮庵の時、都=エルサレムでは、救い主が現れるのではないかと、いつもいつもユダヤ人達は待望していたのです。

だから、1世紀のローマ政府もそれを知っていたのです。祭りの時は、救い主を待っているユダヤ人達が、暴動を起こさないように、ローマ政府は厳戒態勢を常に敷いてい居た事実があるのです。ある人たちは、あのイエシュアが、トラー、預言書に書かれたイエシュアである事を認識出来ない。ある人達、シメオンの様に一目見ただけで、救い主と分かった人達も居る。寝食共にして

暮らした弟子でさえ、救い主かもと分かっていても、トラーの

解釈がずれていたりしたので、誰が一番偉いとか、天での座席争いなんかして、イエシュアに戒められた下りが書かれているでしょう。人の理解の程度、度合いが違うと言う事です。

 

そして、私も含め、西洋神学を教えられた人達には、

文字で書かれたトラー=肉体を取って来られたトラー=

イエシュア と見えない。ヨハネの1章を読みながら、それが見えない。トラーが肉体を取って来られたとはっきり書いてあるのに。その意味が見えない。トラーは古い=悪い=廃れた=呪い=律法主義を生きるなかれ!神の言葉を捨てよ、神の古い言葉なんて生きるなかれ!と教えられて来たからです。

 

それぞれの人生でも、神との関係の広がりや深さや密度や理解は、その通る人生のたびすがら、道筋で理解度が違って来る、

それと同じです。

 

私も始めから西洋神学を通して聖書を読む事を教えられてしまったので、聖書に書いてあるのに、そう受け取らない事が普通なのだと勘違いしたままいました。変だとはずっとずっと思っていましたが。書いてある通りになんで信じないの?と言う、

単純な疑問。ヘブライなのに、なんで西洋?ローマ?

 

1世紀から、4世紀以降もローマ帝国の迫害により、ユダヤ人

イエシュア信者が世界へ散り、影を潜めて深く地下に潜入しましたが、現代まで、神はいつの時代にも残りの民を保存しているのです。イエシュア =救いの実態を知り、イエシュアの命=

婚姻契約の命の姿 =トラーの中身を生きて来た人

そうでなければ、人間に歪められた聖書、聖書では無い、聖書を捨てたローマに歪められた福音しか伝わらなくなってしまうからです。神は神の権威で神の言葉をガードしているのです。

それは人を通してです。

 

だから、聖書記者も、聖霊により聖書を書いたと書いてあるのでしょう。神の領域なのです。誰も侵害、手を加える事が許されない領域。そうでなければ、どこからどこまで本当なのか、真実なのか証拠がゼロと言う事になってしまう。ヘブライ語聖書、

オリジナルで書き継がれた書は、見事に文字も、言葉も全部

同一です。神業としか言いようが無い。

 

最近は、ネット情報があるので、クリスチャンではなくても、

イスラエルの神を知らなくても、進化論がまやかしで、証拠の無い、証明も出来ない、ただの仮説である事を知っている人達が

居ます。

それと、同じで、クリスマスがキリストの誕生日とは何の関係も無い日である事を、今や多くの人が知るところとなりましたが、

クリスチャンの方が12月25日にキリストが生まれたのでは無いと言う事実を知らないかもしれない、またはその事実に無頓着だと思います。地上に来た事を祝うと言う事が中心と考えるから。

 

これは、ユダヤ人に対しての本当の救い主を”証”する事を、

曲げると言う重大な過失に繋がる事なので、書きます。

嘘とまことを一緒に混ぜて伝えてはならないと言う事です。

半分本当、半分嘘はNG.否は否、然りは然りをクリアーにする。

真実では無い事を、あたかも真実だと言ってはならないし、

その事実関係をちゃんと明らかにしないとならないのです。

 

続く