セーダーの晩餐の中でする、伝統的な4つの質問の
最後の質問です。
④ 今晩は、夜通し座って横になりながら食べる。
一体、何の事を言っているのでしょう?横になるスタイルで
食べると言うのは 何を言っているのでしょうか?
イエスさまの時代は、自由人も、金持ちも祝宴のテーブルに
来ても、現代のような椅子に座らなかったのです。
床に枕を置いて、肘をついてゆっくりする。
金持ち自由人のスタイルだ。女の人も同様にそうするのです。
私達が見ている”最後の晩餐の絵”は西洋人の思想 思考回路で
描かれている事が分ります。
事実を知らないまま、想像で描いたのですね。
西洋式テーブルに座っているからです。それは事実とは違う
事です。
とすると日本人の座敷でごろんと出来る様な 感じの低い
テーブルの方がピッタリですね。座敷宴会。それに近いです。
イエスさまの時代もそうだったのです。
過ぎ越しも3面にリクライニング方式のテーブルに付くのです。
ローマ人はそれをトライ クリニアムと呼びます。
3面リクライニング方式の床に面して マットを敷き、
枕をもって寝転びながら食事をするのです。
楽チンで良いですね。
2つのテーブルがつながっていて その配置、過ぎ越しの食卓
は、その角にいて 真ん中を見る、左と右の角は”名誉な場所”
日本で言う上座的な場所なのです。仕える人は他の角に座る
スタイルです。
福音書に 過ぎ越しの祭り3辺に曲がったテーブルに座って
いる様子がありますが、そう説明できます。
イエスさまがされた“過ぎ越の晩餐”をされた時、
ホールを借りて、イエスさまががその角に座り、
右端に=ヨハネ ユダは イエスさまの胸の近く名誉ある
場所についたのです。そして同じ器に浸して食したのです。
”それが私を裏切る者”とイエスさまは言われたのです。
”浸す器”は、2,3人で一緒にシェアして使っていたのです。
イエスさまの左にいる人・イエシュアの頭は左側にいる人
ヨハネか、もう一人隣は、ユダしかないのです。
ユダの胸の近くにイエスの頭があったのです。
左の肘をついているポジションです。
ユダかヨハネしかそのポジションにいないからです。
召使が座ったこの夜イエスさまが手を洗った時、少し伸びを
して水を取り、回りを行って、弟子一人ひとりの足を
洗ったのです。
最後に来たのはペテロ。 イエスさまが歩いてペテロの所に
来たのです。ペテロは一番良い場所にいたのです。
一番最後のテーブルの端、別の端はヨハネ
端と端が繋がり、お互い話すことが出来た場所です。
ヨハネか、誰が裏切るか?と話すことが出来る場所にお互いが
居たのです。イエス様がペテロの足を最後に洗ったのです。
ペテロは召使が座る場所に座っていたのです。
リーダーになる人は 仕える人にならなければいけないのです。
人の教えでは、ペテロはおちゃらけた、おっちょこちょいと
言うイメージを刷り込まれていますが、大変誤解しています。
パウロの関しても、同様に誤解の情報を信じ込まれて
居ますが。
ラビ イエシュアが、ペテロをタミ ハハン= としたのです。
ラビと言う役割の場所にいるのです。
ラビと弟子の関係は、ラビがいて、タミ ハハンがいるのです。
ラビの一番優秀な生徒はタミ ハハン=賢い生徒と呼ばれる
人物なのです。 右腕と呼ばれる人ですね。
ペテロは福音書の中ではそれなのです。
クリスチャンの世界では誤解されていますが。ペテロは
弟子たちの中で一番頼りになる、最優秀生徒=タミ ハハン。
グループの中のスポークスマンであったのです。
ラビが、タミ ハハンに 一番初めに質問するのです。
そして答えを一番最初にする事を課せられている。
ペテロは最初のSpokesmanになる。
人を率いる生徒は 他の人に仕える者になるのです。
これがどう言う意味なのか、分るでしょうか。
”リクライン”=横になりながら食事をすると言うのはどう言う
ことか。今晩 リクラインして 私達は神の王宮に住まう人
身分にある。裕福な人になると言う意味なのです。
実際お金はないかもしれないけれど、主に在り霊的には豊か
であるのです。何も欠けのない姿、欠けはないのです。
自由人で金持ちのようにご馳走を食べるのです。
”私達は裕福で 実際は自由人なのである。”と言う事を
思い出すために、例祭の時のために、十分の一を取り分けて
置きなさいと聖書に書かれています。
何故?皆が喜び楽しみ 普段食べられない飲めない
ワインをお酒を、最上の肉を食べ物を食べて、喜び楽しみ、
それを通して主がどんなに良いお方であるかを思い出すために
と書かれています。
主は喜び、楽しみを通して、私達に教えて下さる出会って
下さるからです。
心は霊は億万長者であると言う事。後ひとつ、
主をほめたたえる。
ほかの主要例祭の時と同じ様に賛美を歌うのです。
そして残りの詩篇 115~118を読むのです。
福音書でイエスさまが部屋を去るとき、賛美を歌ったと
あります。過ぎ越しの終わりです。
イエスさまは どれを歌ったのでしょうか?
この詩編の歌を歌われたのです。
主イエスさまが 私達の命のために、
ささげられるために ほふられるために。
そして、最後の杯、四杯目の杯=主の中に受け取られている
事を祝福する杯を飲むのです。