人が編み出した人の目から見たイスラエルの神像=デスペンセーション神学 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

普通に見聞きして、それが聖書の真実だとしている

デスペンセーション神学。人造神学プロダクト。

1800年11月に生まれた、ネルソン ダービーと言う、

アングロ アイリッシュの聖書教師により、編み出され

たプロダクト=神学製品です。19世紀までこのような教理

概念を語る神学など存在なかった。

 

言ってみれば、科学の仮説に匹敵するカテゴリーです。

進化論さもありなん。でも事実でしょうか?皆が唱える教え

だから聖書に基づく真実なのでしょうか?

人の発想と神の真実がマッチしないのなら、それは神の前に

真実ではなく、ただの人の発想=ご意見=仮説です。

 

神の言葉と相反する人の教えを買わない。神の言葉の真実に

基づかない、ただの人が編み出した、長年の伝統になって

いる神学を信じない事を批判されるべき事では無いのです。

人は神の前に一人一人真実を知る権利がある。本当の事を

知りたいと渇望する人は、不真実では、満足、定着出来ない

ものです。真実にたどり着く迄は、安堵出来ない。

人は神の真理で作られて、神の真実の中にのみ存在するように

造らているから、不真実、偽りとは共存出来ないものなのです。

神の言葉を生きる権利を与えられている。一人一人が神の言葉

熱心に探り求めるように神に言われているのです。

 

伝統より、神の言葉の事実を常に探る。求める。ただただ

神の言葉=オリジナルに書かれたこと、人の教えではなくて、

神の言葉=テキストに忠実に探ることを神に求められて

いるのです。

 

世界は確実にオリジナルの神の言葉の真実に目覚め始めている。

神の言葉に戻ると、必ず気が付ける事がある。神の言葉は神

が直接そう語られた通り、途中で変わらない、永遠普遍。

真実に目が開かれる多くの人達が泉のように世界の四隅から

湧き出ている。イスラエルに住むユダヤ人でイエシュアを

信じる人達も、トラーをヘブライ語から直接学び、知る私の

友人達や教師達も誰一人西洋宗教神学の教えなど、信じても

いないし、生きてもいない。ヘブライ思索でヘブライ語聖書

から直接知る人は、その様な考えが聖書的ではない事が

分かるから。

 

デスペンセーション神学を発明、開発したのは、オリジナルの

プリマス ブラザレンから枝分かれした、エクスクルーシブ 

ブラザレンの創設者。フューチャリズム、終末論。影響力を

持つ人物、又は、アメリカのクリスチャン

エヴァンジェリカル ムーブメントを作り出した人でも

あります。

 

前艱難時代、ラプチャー空中携挙でクリスチャンが取られる

と言う教えを、普通に信じていると思います。

全てこのダービーの思想=意見=教えから来ています。

 

黙示録はそのまま文字通りに読んでも意味不明な書であります。

トラーをその通りに知っている人にしか、理解できない

暗号言葉で書いてあるからなのです。孫悟空の世界が書いて

あるのでは無いのです。しかも、聖書を読んで行くと、

ソドムとゴモラ<創世記19>も、ノアの時代も、コラの反乱

<民数記16章>も、シナイ山の違反<出エジプト32>でも、

取られた人は誰で、残った人は誰なのか、聖書通りに読めば

見えます。現実逃避感覚になる。

 

もし過去100年の間にキリスト教会やサンデースクールに

参加したことがある人ならば、誰でも必ずこの神学の教えを

もれなく聞いています。

 

人間が編み出した神学を元に聖書が解説されてしまっています。

神の言葉通りの解説ではなく、神の言葉の意味の通りを

直接教えられるのではなく、人間の編み出した聖書観を通して

聖書が解説されているのです。

 

このデイスペンセーション思考は、現代の聖書の翻訳の土台に

までなってしまっているのです。デスペンセーション神学を

土台に、西洋文化のほとんどがこの神学を元に聖書を翻訳して

いるのです。神学と言うバイアスを通して翻訳される。

 

ヘブライ語聖書は、翻訳などでは無い、オリジナルそのまま

ですから、その様な人間の思索、意見、思想を元にした、

解説、翻訳用語が入り込む余地が全くないし、文字数、

使われている言葉も、どの聖書でも全く同じと決まって

いますから、付け足したり、変化させる事が出来ない、

オリジナル通りを保存されていて安全なものです。

 

バプテスト、ペンテコステ、カリスマ派、プレスべテリアン

などなど、全て完全にこの神学を買っています。そして、

この神学が聖書に基づく真実だとまで教えています。

でも、この教え、使徒の書の中にも書かれていません。

ヘブライ語で書かれたトラーには、其の様な七へんげの神は

書かれて居ないからです。永遠から永遠に同じ。

 

アレフでありターヴ、アルファでありオメガと言う宣言が

何を意味するのか、初めから終わりまで同じ神が語っている。

 

ヘブライ思索は、この様な異教の地で育ち、思索の中に

ギリシャローマ分断哲学思想が染み付いている、ヘブライ語

言語でトラーを学ばない西洋人が考え出す様な、思索とは

全く異なる神が書かれているからです。

 

大きな問題は、その様な神学を編み出す人達が、

又は教師と呼ばれる人たちが、ヘブライ思索で、ヘブライ

語聖書を忠実に学ぶ訓練を受けていない、オリジナルの言語

で書かれた神の言葉を知らないと言う事です。翻訳聖書の英語

からだけの思想では、元の聖書に書かれている事がなんだか

見えないのは避けられない盲点なのです。

 

永遠普遍の神。永遠から全てが完了して、神の業は、

神の対応は、神の契約の愛は変化しない。

 

七変化の神など、オリジナル聖書の中には書かれて

いないのです。翻訳聖書で人が手を加えて変形させても、

オリジナルの神の言葉は、人間が決して塗り替える事が

出来ない。アロンの息子が犯した違反と同じ事です。

言われた通りにしたくない。レビ記10:1

 

歴史が証明するように、この様な分断思想神学は、

実は1800年代までこの世に存在しない教えです。

 

どんな理論なのでしょう?時代ごとに神の言葉、救い、

贖い、対応の内容が変わると言う思想。

 

1 イノセント時代、無罪時代。 アダムとイブが神の言葉を

無視しないで生きていた状態。

それは、エデンの園から追放される時まで。

 

2 罪の意識 エデンの園を追放され、ノアの洪水で終わる。

 

3 人間が統治する世界洪水の後、死刑がくる

バベルの塔でこの時代は終了

 

4 アブラハムからモーセまで。そして40年の荒野での訓練

アブラハ契約時代。

 

5 モーセの律法時代 救い主の処刑から

イスラエルの離散、70年代の神殿崩壊まで

 

6 恵の時代 教会時代この時代は異邦人クリスチャン

が空中携挙される事で終わる。神の怒り、艱難で終わる。

 

7 そして1000年王国 最後の審判

サタンの最後の反乱

 

旧約時代は、イスラエル代表時代。

新約時代は、異邦人クリスチャン時代=教会時代。

現代は異邦人クリスチャンが霊的イスラエルと言う教え。

 

2重構造契約で、新訳の教えは優れていると教える。

古い教え=トラーはユダヤ人だけがやっていれば良いものだ

と言う教え。

 

新訳聖書と名付けられている箇所は、実は100%中身は

全てトラーなのです。トラー、預言書以外のテキストなど

存在しないから。キリスト教が言う終わったとする、

トラーの教えが、実は福音書から黙示録に書いてある

のです。その事実が見えてこない事が、盲点なのです。

なぜ見えないのか?トラーを捨てて、学ばないから、

聖書を途中から読む事を教えられるからです。

聖書の最初の3分の2に何が書いてあるのか分からない

から、福音書以降はトラーが短い解説、トラーを元に

語られている書であることに気がつけないからです。

そして、福音書以降は、最初の3分の2と違う教えだと

教えられてしまっているから、そうとしか思えない、

考えられないだけなのです。

 

続く