1世紀ユダヤ人ナザレ派が大多数だったのが 何故異邦人ローマ教のグループが主流へと移行したのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

マサダの自決は、神殿崩壊以降73年の出来事。ローマの奴隷

になる事を拒絶して逃げ隠れたユダヤ人達。マサダの要害に

潜むのですが、本当に急な坂道を登って行く場所なのです。

これは、日本語でもサイトが様々あるので、検索すれば

出てきます。

 

なぜ自決なのかと。ローマ兵に乗り込まれたら、女子供は

レープされ、そして皆殺されるのなら、屈辱を受ける前に

自害した方が威厳を保てると言う事です。

 

第二次ユダヤ戦争=バルコクバの乱の後<132-135年>

ユダヤ人がエルサレムに入ることを許可されるのは、

8月9日<神殿が破壊された事を嘆く日>のみ。この日は

今もテイシュヴェ アヴと呼ばれ、イスラエルでは喪に服す日

なのです。そして、当時、この日以外にエルサレムに入る

ことは、死刑をもって禁じられました。

 

 

バルコクバの乱 第二ユダヤ戦争 

ローマに殺戮されるユダヤ人

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ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化に

あると考え、そのユダヤ色の根絶を練り、<エルサレム>に

名所を廃止し<アエリア・カピトリナ>としたのです。

神殿の跡地にはユピテル神殿とハドリアヌスの像が

建てられました。

偶像崇拝を嫌うユダヤ人にとって、これは耐え難いもので

あったに違いありません。ハヌカ=マカバイ戦争の事件を

思い起こす屈辱。偶像で神殿が汚される。汚れた動物を

捧げてわざと神殿を汚す。この感覚、屈辱感は異邦人には

分からない。

ハドリアヌス帝は徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し

属州ユダヤの名を廃して、<シリア・パレスティナ>改名

しました。   

これはユダヤ人の敵であるペリシテ人の名前から取ったもの

であります。ものすごい屈辱、侮辱なのです。

それ以降、この地方はパレスティナと呼ばれるようになり、

祖国を失ったユダヤ人は世界中に離散する事になった。

もちろん、この中に”ナザレ派”のユダヤ人も居たのです。

 

この様にローマ政府からは、ユダヤ人、ナザレ派だろうが、

他の派だろうが、トラーのライフスタイルを生きる人達は、

弾圧され、殺戮されて行く。

その中には、ナザレ派の異邦人も居るけれど、命落とすなら

ローマ政府に迎合した方が安全と、ローマ教父の教えに

巻かれていく。

 

でも、聖書に基づき、ナザレ派の人達のヘブライの聖書を

基礎とした信仰に立つ異邦人達も少なからず居たのです。

 

こうして、ユダヤ人達がイスラエルの外の世界各地へ

散らされて行き、異邦人が造ったローマ教が、新しい宗教の

下地を作り出し、権威の座に座った。ユダヤからローマへ。

 

2世紀までは、ユダヤ人が中心のナザレ派とそしてトラーを

生きるユダヤ人だったのに、4世紀に向かって、段々と

ユダヤ人ナザレ派の人達ではなく、異邦人のトラーを

否定するローマの教えを土台とした新宗教が形を作り出し、

広がって、それに賛同する異邦人信者が増えて行ったのです。

もちろん、ユダヤ人ナザレ派の人達はその様な異教色が

混じる、又トラーを捨てた教えには賛同などしない。

ここで、亀裂が生じ、それぞれの方向へ散って行き

異邦人が大多数のローマ教の教えに移行し、ローマ教父、

主教たちが、エルサレム拠点のユダヤ人教師たち=お家元

の座に座ったと言う事が歴史の事実です。もちろん、

トラーを捨てる教えをする人達には意味のない書なので、

ヘブライ語のトラーなど学ばない。

だから、それ以降もヘブライ語聖書に書いてある中身を

深く教えられることがなく現代に至った理由はクリアーに

はっきりしています。

 

世界へ散らされて行ったユダヤ人ナザレ派の人達

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これが歴史の事実であるのに、聖書にも書いてない、パウロ

やイエシュア、使徒たちが新しい契約、トラーを捨てた教えを

伝えたとなっているのです。事実に目を向けたら真実が

見えます。神が神の言葉を変えたのではなく、ローマ政府が

弾圧と殺戮を元に、強制的にユダヤ色あるトラー、

聖書をそのまま生きることを禁止したと言う事が

事実であり、真実なのです。

 

自分の中でもずっと謎だったユダヤが何故ローマに

なったのか。聖書に書いてあることを書いてある通りに

何故読む様に教えないのか?聖書はヘブライ思索のヘブライ

語で書かれているのに、今の今まで何故一度も、ヘブライ語

聖書の言葉で解説する教師にも出会えなかったのか?

 

それどころか、ヘブライ語などほぼ聞かなかった。

シャバットも神の祭りも知らない。救い主の本名も

聞いた事がない。神の契約が永遠である事さえも

書いてある通りに教えてもらわなかった。

アーメンがヘブライ語であることも知らなかった。

お粗末なものだった。

 

真実に目を向けると謎が解けるのです。誰かが神の言葉を

塗り替えたからです。実際に切り貼り、削除付け足しした

翻訳聖書まで作られているのですから、もう否定のしようが

無い罪を人間は犯し続けたと言うこと。

 

神は神の宣言を取り消したり、翻さないから。

 

続く