第二テモテ 3:16 パウロの語っている内容は100%トラー以外に無い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

誰が何をどう解説しようとも、神の言葉は二つ岩ではない。

分断した教えと解説しようとも、聖書に実際書かれている事

は、トラーを生きる人たちの全て。1世紀のヘブライの世界で、

イエシュアを信じた人達も、100%トラーの中身=父の言葉

=イエシュアが地上で手本を見せて下さった、肉体=神が人と

なって、神の造られた人間のデザインの中身=トラーの中身を、

正しく解説、教え、実際にイエシュアがそれを生きて人々に

教えた内容が、福音書に書かれた中身なのです。別の教えや、

別の福音など伝えに地上に来られたのではないのです。

その教えに基づけば、聖書の中にある、神の言葉、預言者の

言葉、イエシュアや使徒、パウロの言葉が、矛盾だらけに

なってしまいます。

 

2テモテ 3:14 しかし、あなたは、自分が学んで確信して

いるところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、

それをだれから学んだか知っており、

 

テモテは異邦人です。テモテはローマ教の教えなど聞いた

事もなければ、生きたこともないのです。

テモテが学んだのは、生きていたのは、トラーの中身です。

テモテは、ローマの神々の記念日など生きてない。

レビ記23章に書かれた、イスラエルの神の記念日を

生きた人です。そして、テモテはローマに翻訳聖書を

学んだのではない。トラーは終わったなどと教る

教えを学んだのでもない。

パウロから、トラーを知る当時最高峰のお家元から

ヘブライ語聖書に書かれた中身を学んだと書かれているのです。

 

3:15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・

イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与え

うる書物であることを知っている。

 

ここに書いてある聖書、知恵を与える書とは何を指して

パウロが解説しているのでしょう?

以下も同じです。

 

3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、

人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

 

ここに書かれた、聖書は霊感によって書かれたとあるのは、

当時は、福音書以降など形となって存在していない時代

なのです。

パウロが語っているのは、トラーを指して語っているのです。

それ以外の神の書は存在していないのです。

福音書も存在していない。しかも、福音書から、黙示録までは、

100%トラーの解説、そしてトラーに基づく、預言書、諸書の

短いコメンタリーなのです。

 

パウロ達が昇天後、今までの呪いの律法の教えとは違うことを

語っていると教るのは、ローマが歴史の途中、4世紀に

作り出した教えです。ローマは神の言葉を捨てるように教え

続けているのです。神の言葉は律法ではなく、婚姻契約=

インストラクション=人間の生きる全ての教えなのです。

 

パウロ達、聖書が書かれている時代は、誰もトラーが終わり

トラーは律法で呪いなどと言う教えを、誰一人として教えて

居ないヘブライの世界での事が書かれている事実に注目すれば

見えてきます。

 

もしトラーを否定することを教るならば、教師とも呼ばれないの

です。当時のパリサイ派の教師達は、何をイエシュアから

戒められていたのでしょうか?古い律法=トラーを教ることを

戒められていたのでは無いのです。

 

人間が編み出す教え=口頭トラー、人の作り出した教、

言い伝えを神の言葉に付け足し、様々に複雑で、変形した

人に足かせを着せて窮屈に縛り上げ、神の言葉とはずれた、

イズム=宗教の教えの中身の解説を正しているのです。

現代でもあります。たくさんの宗教の口頭トラー。

人を神の言われたこと以外のことで縛り付けていく。

アバ父である方は、トラーの中でそんなこと教てない!と。

イエシュアがトラーを否定しているのだと、前はとんでも無い

誤解をして読んでいました。そう教られてしまったから、

そうとしか考えられないのです。

 

1世紀当時、今でもヘブライの世界では、トラーを否定する

教えは、異端と見なされてしまうのです。人間が神の言葉に対

して品定め出来ると考えるのは、ローマ、異教の神々の地で

教られた異邦人達です。

 

神の言葉は、PDFファイルと同じです。固定されていて、

付け足し、削除など出来無い性質のものなのです。

 

ヘブライ人でその様な教えは誰もするわけない世界の話が

聖書に書かれているのです。

神の言葉に、付け足し、削除、ましてや当時は丸ごと

トラーからマラキを捨てるなら、聖書全部を否定する事に

なる事実に気がつけばわかります。

それこそ神に対しての冒涜だからです。

 

シャバットは、神の造られた永遠の記念日です。

週に一度体験する、婚姻関係にある事実を確認する日。

素晴らしい記念日なのです。

やって見れば、毎週何か新しい発見があるのです!

神があなたと特別な出会いをしようと、約束して下さった日

だからです。神がそう言われたということだけが大事なのです。

やればわかる、食べれば味が分かる。

でもやらなければ、食べなければ、想像で解説するのみ

になるのです。神が永遠の婚姻契約の印、記念日と解説して

いるのに、神の言葉を否定する教えは、律法で終わった

記念日だと言う解説する。

 

神が人のために造った日。神の記念日のために、

月、星、太陽が造られたとある通り。神が言われた通りに

全部横に置いて、止まる。神と自分と家族の修復のために

止まる。神が言われた事を捨てたら、違う生き方をして

損なわれて行ってしまうのです。

 

家族、家庭が、自分が壊れて行くのは、神の言うことを

信じないこと、神の言う通りにしようと考えないこと

が大きな原因なのです。しかも、低温ヤケドのように

気がつけないまま腐食していくのです。

気が付いた時は取り返しがつかない場所まで来て、

その壊れの修復が困難になってしまうのを、多くの人は

経験しているはずです。向き合うことに戻る日、本来の

デザインからずれたら戻る日、みんなでそれをする日が

シャバット。天にある神の家の茶の間体験。

 

基本は単純。神が言われたことだけに戻る。別の教え=

ローマが作り出した教え、異教の神々の教えを混ぜない。

 

神が言われたことは、古代で古すぎて廃れたと考えれば

それは、イスラエルの神の言われていることとは全く

違う、別の教え、別の声、別の実態と言うことに

聖書に基づけばなってしまうのです。

神の言葉は永遠に揺るがない、廃らない、変わらないと

神が言われている言葉に照らし合わせるだけで

真実が見えるはずなのです。

人が神の言葉を曲げているだけです。

 

Shabbat Shalom