聖別とは神の中=境界線の内側に留まること | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今年2018年のハヌカは、9日日没で終わりです。

”ハヌカ”と言う言葉は、聖書の至る所に書いてあることが

ヘブライ語聖書なら見えます。

福音のテーマでもある。”聖別”=分かたれたもの=他のものと

の混ぜ物をしないと言う神から与えられた最大の原則。

 

簡単に言うと結婚して、神と共に住う神の家の中、家庭の中、

生活、生き方全ての中に、別の旦那を、前の旦那=異教の

神々の名残を連れて来るなかれ、別の旦那の家のものさえも

持ち込んで、取り入れてもだめ、もしそれをする場合、

あなた=妻と正常な婚姻関係結べないこと分かりますね〜?と

言う至極当たり前の簡単な事実なのです。

 

イスラエルの神は異教の神々と手を取り合い仲良く和合なんて

しない、出来ないのです。サタンと手に手を取りなんて

ありえないからです。

 

前の旦那=異教の神々=異物=本当の自分で本当の神との

関係を結ぶのに全部邪魔だからです。障害物そのものだから。

 

一切全部根こそぎ断ち切って。未練引きずらないで。

それが”アブラハム”への呼び出し=異教の神々にどっぷり

浸透した実家から、突然全部置いて=思考回路、関係、

異教の神々の習わし、その他の異物全部を置いて、脱出させら

れた事であり、出エジプト=異教の神々の偽の人生を送った

場所を全部置き去り、マッツア=要らないものが漉された、

そぎ落とされた状態で、今までの場所を去る様にさせられた。

ずっと同じテーマ=福音の中心の意味が繋がって書かれて

いるのです。

 

別の旦那=別の神々の要素=高き所=イスラエルの神とは異物、

異なる、普通、世界共通の要素と分かたれる=聖別と考えれば

分かりやすいです。

そう言うこと言う神は不当?律法的?厳しすぎ?けち、

融通きかない?いや、境界線のないゆるゆるな神だったら

全然信頼できない。

 

私の生活の中でも、この1週間は人生の分岐点なる様々な事を

教えられた一週間になりました。分からない場所に潜む、

数々の歪んだ思考回路=パン種=高き所を一層する。

自分の生き方を軌道修正させられる。時には痛い方法で。

でもそれは、後には喜ばしい事。慣れ親しんだ事から離れて

全く違う世界を教えられ困惑しますが、全ては神の意図通り。

 

なぜなら自分の中に無い新しい領域を教えられるから。

分かりにく〜い。でも、それで良い。神の意図通り=トーヴ

ならそれが最善だからです。

御心に生きる事を何より願望すること、それを教えてください

と祈る。何がトーヴ=神の意図通りだか全貌を、又未来が

分からないから。自分の悟りに頼ることは愚かだから。

神が全てをご存知で、全てを”トーヴ”に働かせて

導くお方だからです。

 

ハヌカでは、不純物を一層し、再び神の家が意図通りに

機能する事です。神の宮=神が住う自分自身でもあるのです。

ハヌカはレビ記23章にある、神のモアデイムではありませんが、

聖書の至る所に書かれた福音の中心なるメッセージでも

あります。

 

神の言葉、呼び出しに応答した人たちは、混ぜ物、まがいもの

を取り入れながら神と正常な意図通りの関係が結べない。

だから、”ハヌカ”=金からかなくそをとり除けとある通り、

異物を排除して常に神の前に”神の宮”である状態を保つ。

”高きところを取り除く”と言うこと。これが無い限り、

不完全な関係の中に留まると言うことになってしまいます。

幕がかかった状態。本来の関係を結べないままになる。

 

ハヌカとは、聖別です。区別。この世のもの、普通のもの、

この世と要素を共有するもの、イスラエルの神に属さないもの

との”決別” ”分かたれること”。

それは、世間の人と一切口を聞かないとか、付き合わない

とか、山奥に自分達だけのグループを作り、世界と隔離されて

生きるとかそんな事言っているのではないのです。

 

ヨハネ17章のイエシュアの渡される前の祈りでも

祈ってくださった通り、”この世に在って、この世のもの”では

ないと言った通りなのです。この世に在って、この世の混ぜ物

を取り入れない。聖別されている”神の中”境界線の中に、

存在する人達である。この世とは分かたれている。

それは、地の塩=世の光としての役割を担っていることにも

繋がっています。ここに戻れ!安全地帯=エデンの園=神の中

に戻れと言うチェラビムの火の柱と同じ役割。

 

時に”真実”とは、五臓六腑を鋭く突き刺すものなのだなと

つくづく思います。イエシュアが発言された言葉も、

どうにでも誤解されてしまう。中途半端なことを

言っていないから、ドン引きされたのでしょう。

イエシュアの発言はトラーで語られた”アバ父”直々の

言葉なのです。

 

宗教の教え=神学が、歴史の中で神の言葉が変化、分断、

別種のものであると教え続けてきましたが、今世界が、

オリジナルの神の言葉=ヘブライ語聖書に戻り、その中に

書かれている”事実”だけを土台に考えようという大きな動きが

あります。

日本では、余り感じられない、察知できないことかもしれま

せんが、世界は確実に軸を、”元”に戻す軌道修正に入っている

ことが見えます。

 

内容はそんな複雑なことではないのです。

花婿であるお方がこう言われるのです。

”私の元に嫁ぐなら、以前の様々な忌まわしい異教の神々の

教え、習わし、生き方、習慣、食べ方、飲み方、生活細部に

於いて私の家の中に持ち込むことは出来ないこと理解してね。”

と言われる。前の旦那を、又は前の檀那さんから引き継いだ

様々な生き様を”新しい家”我が家=神の家に持ち込めないこと

は分かっているよねと。

 

それらは、忌まわしいもの。人のすることではない。

神の家に属さないもの。聖別とはまさにそれです。

乳搾りで搾乳した乳には、ゴミや異物があるのでそれを

漉してでなければ飲めない。それなのです。不純物は濾す。

 

これから来る、いや過去からずっと継続する

”反キリスト”の特徴とは何か?聖書に書いてあります。

どの様に偽キリスト=反キリストを見分けるか?

特徴がちゃんと書かれています。不法ものとは何か?

神の言葉に敵対するもの。神の言葉を捨てる勢力。

666を表すヘブライ語文字は”捨てる”と言う意味〜神のトラー

を捨てると言う、ローマには見えないコード化した

メッセージでもあるのです。

 

”神の子らの内部での”抜本的な大変革が必要なのです。

なぜ神の家に住う人々が神の言葉を拒否するのか?

根本的な誤解を一掃しないとならないのです。

ルーツに戻る=本物に戻る、混ぜ物を取り除く。

始めに戻る。

 

ハヌカやプリムは、レビ記23章にある神のモアデイムでは

ないけれど、本物の信仰で、敵への勝利を神から与えられた

記念日。

”ハヌカ”=不純物を取り除く、再び神の家を元どおりに

戻し、神の前に捧げる。

常に神の前に”神の宮”であることの状態で居ること

それを常に忘れないこと。100%神の言葉に戻る。

オリジナルの本物の神の言葉=インストラクションに戻る。

本物の神の子として生きる。