神のデザインした暦 時の中を造られた創造物は生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨晩は、シャバットではないですが、仲間の集まりの晩餐会

でした。

”感謝祭” サンクスギビングと言って、アメリカ人は、

アメリカ移民の後に、神から頂いた大地の恵を感謝して

この日を祝うのです。

毎年11月の3週目の”木曜日”と決めてあるのです。

カナダは違う日です。カナダは今年は10月に感謝祭です。

移民大国ならではの記念日です。

 

純粋に、”国”の記念日です。創造主の造られた記念日とは、

全く性質が異なります。創造主の記念日は、”福音の全て”を

その中で網羅するものだからです。そして、創造主直々に

語られる、記されている記念日の日程の詳細はレビ記23章に

書かれているのみです。それ以外は、人間が作った記念日

神の造られた”わたしの記念日”と宣言されているものとは

異なるのです。この点を絶対に混同したり、混ぜては

ならないのです。神の決められたことと人の作ったものは

別物だからです。混ぜるから問題になる。

 

アメリカからイスラエルに移民したユダヤ人の友人たちも、

アメリカの記念日、サンクスギビングの晩餐を祝う計画立てて、

グループチャットで何を持ち寄るか綿密に相談していました。

私自身の家族も仲間とこのアメリカの国の記念日を祝った

晩餐の写真などを送りながら、挨拶など会話交換などもして。

 

前回の記事の続きがあるのですが、とても長くなってしまった

のと、今は第七日目のシャバットを迎える準備の日になったの

で、思考回路がシャバットに向けて全てを準備モードに

切り変っているので一旦前回の記事一時休止します。

 

何故”薬害”に関する事を書いたのか。それは、世の中の定説、

絶対的、又は善、完全と考えられている主流な考えが、

イコール100%”真実” ”安全”とは限らないことが山ほど

あると言う事を知らないとならないと考えているからです。

 

信仰の世界も全く同じなのです。何を土台にして、何を根拠に

信じているのか?以外にも余り確認、検証、再点検しない

ままいることがあります。

”神の言葉”を歴史の途中で人間が”変えてしまった”と言う

事実があるのに、神が変えたと言われてしまっているから。

その矛盾に対して追求が全くないからです。

 

これは、歴史の史実の根拠と、聖書にある神の言葉をきちん

と調べれば、はっきり分かるのです。でも調べないのです。

既存の教えが100%真実だと信じこんでいるから。

 

プラス、神の言葉だけを読んでも、証拠が書かれていますから

事実確認をする事が出来るのです。

 

私が聞いてきた教えは、他の方はどうかは別として、

世界の色々な場所に実際に住んで、多国籍の方達との

交流の中で知ったことでもありますが、歴史の途中でジーザス

が到来したことで、全部古い教えから、新しい教えに変わった、

古い教え=古い呪いの契約は過ぎ去って、呪い、怒りの時代

から、窮屈な”神の呪いの契約、言葉”から解放され、

今はめぐみ、許し、聖霊時代に入ったと簡単に言うとその様な

教えを聞いていると思います。

 

プロテスタントの出現は17世紀で、枝分かれする前の元の教え、

ルーツである教えは、カトリック=ユニバーサルと言う意味

の”宗教”です。だから、プロテスタントとカトリックは多くの

共通点があります。共通の記念日、儀式、又、トラー=

ヘブライ色、ユダヤ色が無いことなど。

その教義の大元は、4世紀に出現した新宗教

それまでもちろんその宗教は無いのです。創作者は

”ローマ皇帝”コンスタンチヌス。ローマ皇帝が編み出した

4世紀当時のフージョンの教え=ヘブライの聖書とは

異なるものです。意図的に”ヘブライ”思索、ヘブライの神の

言葉、習わし、仰せを削除した=だから聖書の最初の

三分の2は廃れて終わった事に人間がしてしまったのです。

 

当時の大衆宗教=異教の太陽神信仰の教え、習わし、習慣

記念日までをも取り入れた、混ぜた、まさに、ローマ版

”ヤロベアム王”の高き所を作り出した出来事です。

 

そのユニヴァーサル宗教が出現して、ヘブライルーツから

脱却して、神のトラーを捨て、又人にも捨てるように強要、

捨てない場合は、ローマ政府による迫害、刑罰が在った

のです。

正式に新宗教として認識されるようになったのは、

AD325年ニカイア会議の事です。

 

人間の知恵により神の言葉の選り分け判定で、今の様な信仰

の土台となる信仰信条などが決まったのは4世紀なのです。

聖書が閉じられた後の話です。だから、聖書の中にはパウロ

は、イエシュア昇天後も、変わらずに”トラー”を生きていた

事だけが書かれているのです。別の福音を生きていた記録など

無いのです。

 

神殿に入り”きよめの儀式”でコバーン<動物のいけにえ>を

捧げ、 使徒21:23〜27

毎週第七日目のシャバットを祝い  17:2、18:4

レビ記23章の祭りをエルサレムで祝い、使徒12:4

自分の教え子達にも、過越の祭りを”たね=罪”が入らない

頭脳で、過越を祝おうと教え、1コリント5:8

誰にも、”アバ父のデザインした記念日” 新月、シャバット、

祭りを祝う事、また祝い方について批判される事など無いの

だと教えている事が記されています。コロサイ2:6

書いてある通りの真実を人間の教えで曲げるから、書いて

ある通りを読み取っていないだけの事なのです。

 

よく考えると分かりますが、新宗教の信仰信条のその項目に

”是”であると投票したのは、”人間”であり、神ではないのです。

 

この事実だけを調べていけば、どこでどう、誰の手により=

多数複数の人々により、1世紀の当初から長い歴史の間に渡り、

どの様な経緯で、誰の手により、神の言葉が曲げられ、

捨てられ、終わりとされてしまったのか、はっきりと

分かります。別の福音、偽教師、偽預言者が出現するから

”注意せよ”というパウロの警告が現実になっているのです。

 

きちんと調べないから知られていないだけであり

イエシュアやパウロが新しい教えを教えた、別の宗教を

作り出したと言う教えが、聖書に基づけば事実無根であること

は、神の言葉に戻れば、真実か否か、はっきりと書いて

ありますからちゃんと確認する事はできます。

別の福音はないと書かれている。太古の聖徒達に語られていた

福音と違う福音などこの世に存在しないのです。

 

アブラハム、モーセ、ダビデ、預言者達に語られていた福音と

全く別の福音とはどこに書かれているのか?無いのです。

彼らが信じていた”福音”とは違う福音だとするならば

もうこれこそ空中分解です。なぜなら、イエシュアは、

モーセのトラーに書かれている福音、太古の聖徒たちが

皆聞いていた同じ”福音”を神の意図通り伝えるために

生きるために、修復するために、肉体を取って来られたと

書かれているからです。

 

しかも、神の言葉は”宗教”ではないのです。

人が生きる全ての詳細が書かれている、神の家に住まう

メンバーの”契約書”なのです。人がどう生きるのかの

全ての詳細が書かれている。

 

問題は、エデンの園から同じです。”神の言葉”に聞き続ける、

学び続ける、知り続ける、繋がり続ける事からはぐらかす

”勢力” ”教え”です。神の言葉=約束=永遠普遍の契約に

聞く、知る事から引き剥がす行為。

 

シャバットの準備前に週半ばの大忙しの仕事、労働が

入ったので、シャバットでゆっくり止まり、静まり

考え、ヘブライ語の聖書の中身を探るゆっくりした

時間が待ち遠しく楽しみです。

 

神の記念日、神が言われた事は全く変わらない。

神の記念日を神が言われた通りに祝うとき、

その時に神は特別な出会いをしてくださると言う

約束は永遠に真実です。

それを、実際に生きる時、神の言葉を信じて、その言葉

通りを生きた人たちが”水がワインに変わった”ことを

体験するのです。生ける水=ワイン=喜び、

歓喜に変わる。

 

続く