神の記念日 2018年 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創世記から、黙示録まで、聖書の中に、神の言葉は終ったと

言う教えも、神学も只の一度も記されていませんし、

登場もしません。

 

終った教え、古い教えと言うのは、トラー=ヘブライの

神の言葉、書、契約の内容を知らない西洋人達が勝手に

トラー=神の言葉を捨てて唱えた、都市伝説、神話、又は仮説、

逸話、作り話です。

聖書に基づいたら、それ以外の回答は無いからです。

 

どうして、そうだと分るのか?聖書に神の言葉に関しての

事実がはっきりと書いてあるからです。

特にヘブライ語の聖書を覗き込んだら、西洋宗教が

唱える世界とは、全然違う世界が広がっているからです。

神の言葉に照らし合せた時にだけ、真実が否かクリスタル

クリアーに光り輝いて見えて来ます。

 

又、ユダヤ人だけへの教えとか、ユダヤ人だけやっていれば

良い教えとか、記念日なども聖書の中には、無いのです。

同じ永遠不変の契約、同じ印=記念日しか存在しない。

何故なら、契約は二つ存在しないからです。

同じ一つの契約に神の創造された人達が、やがて全ての人が

取戻され、トラーの内容を世界中が生きる日が来ると言うのが、

神の大修復のプラン、福音の中心だからです。

 

途中で変わった神の言葉や、記念日も実は存在しないのです。

人間が様々な別ものを作り出しても、それは”神の作った記念日”

とは異なる、宗教文化、それぞれの国の中の人間の作った

記念日です。人間の作った教えや、記念日は、

神の仰せではないと言う事です。

 

どうしてそんな事言えるのか?分るのか?ちゃんと神の口から

出た永遠不変の神の言葉と言う根拠がちゃんとあり、

文字で記されているからです。

その大元は、神が記した”10の言葉”があるのです。

神がそう言われた、そう書かれた事実。世界中の中で、

天と地が証人で、公に大大的にシナイ山であのイベントが

在ったのですから。1人木の下で、モーセが妄想した

なんて事では無いのです。

 

ユダヤ人だけへの教えとか、ユダヤ人の安息日、祭りと

言う不適切な言葉、表現を止めないとならないです。

誤解を招き続けて行くからです。

それは、神の言葉に基づけば真実では無いからです。

神の言葉とは違う事を、語り続けては、神の言葉に相反する

事を知らずして、している、神の言葉とは異なる事を、

知らずして発言、語ってしまっていると言う事なのです。

そして、それを聞いた人も、偽情報を信じる、人間の都市伝説

を信じる。聖書とは違うけど、今では、世間では、そう言う

常識になってますと言う教えを信じて行くのです。

そして、その偽情報が、代々に語り継がれてしまうと

言う現象が1900年の長きに渡り起きているのです。

 

神の言葉の事実だけに戻ると言う、

大幅な起動修正する必要があるのです。

ルターの宗教改革ではなく、もっと宗教の垣根を通り越して、

元、根から根本から神の言葉の本物の真実に戻る事を

しなければ、神の言葉とは違う根が、違う雑草を生やし続けて、

何が真実で何が人間の作った教えなのか、偽物に覆われて、

見分けが付かなくなるのです。

 

事実だけに戻って全てを確かめる必要があると思うのですが、

私は、今まで”人の意見”や”発想” ”考え”を元に

聖書を読んで来ました。

 

終った教えだとすれば、福音書以降も全く全て、

信憑性もないものになってしまいます。

福音書以降は、トラー、預言書の短い解説だからです。

 

神の記念日が明後日来ます。

2018年は、以下の通りです。

 

ヨム テルア <ショーファーを吹き鳴らす日>

9月9日 日曜日の日没から

9月10日 月曜日の日没まで

 

ヨム キプール<大贖罪日>

9月18日火曜日日没から9月19日水曜日日没まで

 

仮庵の祭り

9月23日 日曜日日没から

9月30日 日曜日日没まで

 

イエシュア、いや日本語で言うイエスさまが何を教えられて、

何を生きて、何をされていたのか本当に知りたい場合は、

イエスさまと同じ聖書を読む必要があると思います。

イエスさまと同じ事をする必要があります。

その中身に、何が書かれているのか知れば見えて来ます。

 

イエシュアが読まれていた、教えられていた、生きておられた

その中身=神の言葉=聖書とは、トラー、預言書、

諸書のみなのです。

それ以外の教科書は、イエスさまは持たなかった。

福音書以降は、イエスさまが教えられた、トラー、

預言書、諸書の内容の短い記録なのです。