コロサイ 2:15
コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、
あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されて
はならない。
コロサイの聖徒=イエシュア信者達を、批判してくる人達は、
聖徒達を批判してくる人達は、コロサイの都市に居る
異教徒のライフスタイルを生きて居る人達である事は、
文脈からクリアーに理解出来ます。
異教の国で、異教徒のライフスタイルとは全く異なる
イスラエルの神の子ら=トラーの中身を生きている、
コロサイの聖徒達に対しての異教徒達からの、
強い批判、風当たり、ブーイングが吹き荒れて
いたのでしょう。自分達と同じ事をしない、
変な教えを生きて居ると。
明らかに、トラーのライフスタイル、神のデザインされた
人間の聖書的ライフスタイルをこの異教の民達に囲まれて
している。
イスラエルの神がデザインして指定する、
聖書的ライフスタイル、神のデザインした人間の食べ物、
飲み物、そしてイスラエルの神の独特な神オリジナルの
デザイン、創造のオリジナルデザインである記念日、
シャバット、祭り、新月に関して=神のモアデイムを、
生きて居るコロサイの聖徒達。
異教徒達世界=コロサイの都市に、生きる人々とは全く
異なる、ライフスタイル、生活習慣、イスラエルの神の
記念日=レビ記23章を、一年に渡り祝う事で誰からも批判、
批評されるなかれと書かれているのです。
異教達が、イエシュア信者達がトラーを生きて居ないと
言われ、批判される訳がない事は明らかです。
これは、体験的に、今ではすごく良く理解出来るのです。
丸ごと16節と、全く同じ批判をされるからです。
この様な内容を書いている事でも、世間の主流の教えとは
違う事、聞き慣れない事を書いている、古い律法に戻る様に
奨励している教えだと、言われるのが普通だと思います。
多数派の中にある、少数派は風当たりが強いのです。
トラーが終ったなら、神の記念日がどの日でも自由になった
と主張、発言するならば、その根拠が、一体聖書のどこに
書いてあるのでしょうか?
神の言葉の事実だけを元に検証しなくてはならないのです。
伝統、感情問題、自分の意見、今まで聞いて来た事とは
違うからと言う、神の言葉以外の別の要素、別の教えを
土台に、別のアングルから探っても、語っても事実は
見つからない。
”神の言葉の事実”だけに戻ら無い限り、
事実がはっきりしない。
神が何と言われているのかだけを、熱心に真実だけを探求、
しなさいと、神が言われたのです。神の言葉とは違う事の中に
真実は無いからです。人の意見=神の真実では無い事は
15節にある様に、神の前には消えるからです。
神の記念日を変えたのは、ローマカトリックでしたと、
ローマカトリックの教父の方々が今やネットで
又は講壇から発言しています。宗教歴史の史実を調べて
みても、いつ誰がどの様な形で、神の言葉を変えて行った
のか、その経緯、流れが分ります。
でも、長い間に根付いてしまった伝統だから、今更自分達の
慣しを、多くの信者達に変更させるのは、無理と言う事だけ
なのです。
そう言われたパスターの方が居ました。
100%真実だと分る。でもこれを我が会衆に伝えたとしても
分ってもらえない、拒絶される。
又はこの業界から仕事が干されてしまうと。
大衆の意見と違う、皆と同じ事を言わない、しない、
異端の意見だ〜位な受け取られ方をするかもしれない。
それと同じ事が、16節の”批判”されるなかれの内容です。
ユダヤ人でもないのに、ユダヤ人=古い律法を生きる人達の
ような事、日本人のあなたが何故しているの?と言う事
言うのではないのでしょうか?二つの別々の契約、
教えがあると言う神学を真実だと思い込んでいるからです。
そして、奇異な目で見られる。
これが、ユダヤ人であったら、そうは思われないし、
言われないのです。
トラー=ユダヤ人だけが生きる教えと言う神学を
元に見ているからです。
イエシュアが生きて教えたトラーは、ユダヤ人的な生き方、
教えではなく、神のデザインされた、人間の生き方、
それが聖書的生き方なのです。聖書に書かれた事を、
聖書的方法=神の言われた方法で生きる事が、書いてある
のです。
そして、一般的にも何で日本人なのに、外国の神をあなたが
信じるの?と言われた事もあります。神の言葉を、
古い律法と呼ぶ、その呼び名自体が始めから間違っているの
です。
ひどく事実からズレた呼び名です。名は体を表すのです。
神は律法を与える存在だ。神は2000年以前は怒りの神で、
呪いの契約をユダヤ人に与えていた、2000年以降は
恵みを与える神に変身したという神学。
律法=呪い=古い=悪いと言う教え、神学が主流です。
神の言葉=終了=古い律法=完全に人間の教えです。
トラー=神の言葉、インストラクション=永遠不変と
言われた神の言葉の正しい位置に戻し、神の意図通り
の意識に切り替える事をまずしない限り、
誤解の中で堂々巡りです。
今は恵みで何でも許されているのだから、何でも許可されて
いるのにと言われる。恵みと呪いの時代と言う、神の
性質の現れを分裂した教えも、聖書に反しています。
神は昨日も今日も永遠に同じ、移り行く影の様に変化しない
と言われている。
始めから、恵みと憐れみと愛、許しに富んだ
神であると御自身を紹介しています。しかも、一番親密な
神の名=ヨッド フェイ ヴァヴ フェイと言う4文字で
表される名を使って、御自身を人々に紹介している。
そして、人間も進化しない。同じ。2000年以前も以降も
人間の成り立ちは同じ、肉体霊も一体。
だから、神のデザインされた人間の生き様、生きる上での
全部の領域も変わらない状態です。
続く