批判する人達は、コロサイの異教徒の神々を信じる人達 コロサイ2:15 -16  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

コロサイ 2:15 

そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、
キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、
さらしものとされたのである。
 
もろもろの支配、権威=この世の教え、人間のドグマ、
異教の神々の教えetc それらの全てを、武具を剥がし
キリストに在って、彼ら=この世の様々な人間の教え、
法則の上にイエシュアが勝利、凱旋した。詰まりキリストに
よって偽物の教え、偽の人間の生き様は跡形も無く退散
しなければならないと言う事です。
光が現れ出たら、暗闇は消えなくてはならない。
 
今までの文脈に沿って、コロサイの人々が置かれていた、
異教徒の世界、この世の哲学思想、天使崇拝、天体占いなど
の教えが蔓延していた人達に囲まれている中、
異教徒達の慣しや、生き様とは全く異なる、
異質のイスラエルの神の教え。
唯一イスラエルの神イエシュア=トラーの生き様を生きて
居る聖徒達である人々にパウロが諭している事実から目を
外さないで、文脈を逸脱しないで読み続けると分ります。

 

コロサイ2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、

あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されて

はならない。

 

コロサイの聖徒=イエシュア信者達を、批判してくる人達は、

聖徒達を批判してくる人達は、コロサイの都市に居る

異教徒のライフスタイルを生きて居る人達である事は、

文脈からクリアーに理解出来ます。

異教の国で、異教徒のライフスタイルとは全く異なる

イスラエルの神の子ら=トラーの中身を生きている、

コロサイの聖徒達に対しての異教徒達からの、

強い批判、風当たり、ブーイングが吹き荒れて

いたのでしょう。自分達と同じ事をしない、

変な教えを生きて居ると。

 

明らかに、トラーのライフスタイル、神のデザインされた

人間の聖書的ライフスタイルをこの異教の民達に囲まれて

している。

イスラエルの神がデザインして指定する、

聖書的ライフスタイル、神のデザインした人間の食べ物、

飲み物、そしてイスラエルの神の独特な神オリジナルの

デザイン、創造のオリジナルデザインである記念日、

シャバット、祭り、新月に関して=神のモアデイムを、

生きて居るコロサイの聖徒達。

 

異教徒達世界=コロサイの都市に、生きる人々とは全く

異なる、ライフスタイル、生活習慣、イスラエルの神の

記念日=レビ記23章を、一年に渡り祝う事で誰からも批判、

批評されるなかれと書かれているのです。

異教達が、イエシュア信者達がトラーを生きて居ないと

言われ、批判される訳がない事は明らかです。

 

これは、体験的に、今ではすごく良く理解出来るのです。

丸ごと16節と、全く同じ批判をされるからです。

 

この様な内容を書いている事でも、世間の主流の教えとは

違う事、聞き慣れない事を書いている、古い律法に戻る様に

奨励している教えだと、言われるのが普通だと思います。

多数派の中にある、少数派は風当たりが強いのです。

トラーが終ったなら、神の記念日がどの日でも自由になった

と主張、発言するならば、その根拠が、一体聖書のどこに

書いてあるのでしょうか?

神の言葉の事実だけを元に検証しなくてはならないのです。

伝統、感情問題、自分の意見、今まで聞いて来た事とは

違うからと言う、神の言葉以外の別の要素、別の教えを

土台に、別のアングルから探っても、語っても事実は

見つからない。

”神の言葉の事実”だけに戻ら無い限り、

事実がはっきりしない。

神が何と言われているのかだけを、熱心に真実だけを探求、

しなさいと、神が言われたのです。神の言葉とは違う事の中に

真実は無いからです。人の意見=神の真実では無い事は

15節にある様に、神の前には消えるからです。

 

神の記念日を変えたのは、ローマカトリックでしたと、

ローマカトリックの教父の方々が今やネットで

又は講壇から発言しています。宗教歴史の史実を調べて

みても、いつ誰がどの様な形で、神の言葉を変えて行った

のか、その経緯、流れが分ります。

 

でも、長い間に根付いてしまった伝統だから、今更自分達の

慣しを、多くの信者達に変更させるのは、無理と言う事だけ

なのです。

そう言われたパスターの方が居ました。

100%真実だと分る。でもこれを我が会衆に伝えたとしても

分ってもらえない、拒絶される。

又はこの業界から仕事が干されてしまうと。

 

大衆の意見と違う、皆と同じ事を言わない、しない、

異端の意見だ〜位な受け取られ方をするかもしれない。

それと同じ事が、16節の”批判”されるなかれの内容です。

 

ユダヤ人でもないのに、ユダヤ人=古い律法を生きる人達の

ような事、日本人のあなたが何故しているの?と言う事

言うのではないのでしょうか?二つの別々の契約、

教えがあると言う神学を真実だと思い込んでいるからです。

そして、奇異な目で見られる。

これが、ユダヤ人であったら、そうは思われないし、

言われないのです。

トラー=ユダヤ人だけが生きる教えと言う神学を

元に見ているからです。

イエシュアが生きて教えたトラーは、ユダヤ人的な生き方、

教えではなく、神のデザインされた、人間の生き方、

それが聖書的生き方なのです。聖書に書かれた事を、

聖書的方法=神の言われた方法で生きる事が、書いてある

のです。

 

そして、一般的にも何で日本人なのに、外国の神をあなたが

信じるの?と言われた事もあります。神の言葉を、

古い律法と呼ぶ、その呼び名自体が始めから間違っているの

です。

ひどく事実からズレた呼び名です。名は体を表すのです。

 

神は律法を与える存在だ。神は2000年以前は怒りの神で、

呪いの契約をユダヤ人に与えていた、2000年以降は

恵みを与える神に変身したという神学。

律法=呪い=古い=悪いと言う教え、神学が主流です。

神の言葉=終了=古い律法=完全に人間の教えです。

トラー=神の言葉、インストラクション=永遠不変と

言われた神の言葉の正しい位置に戻し、神の意図通り

の意識に切り替える事をまずしない限り、

誤解の中で堂々巡りです。

 

今は恵みで何でも許されているのだから、何でも許可されて

いるのにと言われる。恵みと呪いの時代と言う、神の

性質の現れを分裂した教えも、聖書に反しています。

神は昨日も今日も永遠に同じ、移り行く影の様に変化しない

と言われている。

始めから、恵みと憐れみと愛、許しに富んだ

神であると御自身を紹介しています。しかも、一番親密な

神の名=ヨッド フェイ ヴァヴ フェイと言う4文字で

表される名を使って、御自身を人々に紹介している。

そして、人間も進化しない。同じ。2000年以前も以降も

人間の成り立ちは同じ、肉体霊も一体。

だから、神のデザインされた人間の生き様、生きる上での

全部の領域も変わらない状態です。

 

 

続く