神の言葉と神の記念日は歴史の途中で変わったと神が言われたのか?それとも人が言ったのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉だけに戻り、真実と真実をずっと繋げて

行く作業を続けたら、やはり、神の御口から発言された

”永遠不変”の神の言葉であると言う宣言は、

そのまま永遠不変だと信じるに100%値する真実で

ある事が、聖書の至る所に記されています。

神のたった一言の警告を軽く取り、永遠に不変、真実である、

重要だとみなさなかったために、外れた場所に

飛び出たアダムとエバの道を辿らないために。

 

なぜこのように基本中の基本、単純にしてシンプル

明快な事実に盲目だったのだろう?

答えは簡単。

人の編み出した、作り出した教えに、神の真実の顔が、

覆い隠されているからです。だから見つけられなかった。

 

そして、世界の歴史の中で人間が神の言葉を塗り替えて

行った歴史的事実の足跡をずっと繋げて行くと、

その塗り替えられた神の言葉の原因は、只の人の行為による

ものであり、神がしたのではない事実がある。

神がするなかれと言われた、神の言葉に手を加える作業を

人間がずっと今現在も、気がつかないままだとしても、

し続けてしまっている事に、依る事は明らかな事実で

あるのです。

だから10の言葉の冒頭で最初に神が厳重警告されたのです。

 

神の顔の上に別の顔を置かないで!

あなたのためにと言われた。

そして、一点一画でも神の言葉に手を加えるなかれと

警告されているのに、それをしてしまった人間の過ち、

的を外した行為の歴史。

 

毎週シャバットの時に、シャバットの内容を少しずつ

書いていますが、シャバットとは、神の記念日であり、

神がそれをどの様に取り扱う様に人に伝えているのか?

何故、シャバットなるものが与えられているのか?

誰に対してシャバットの記念日を神が与えているのか?

イスラエルの神はシャバットと神の記念日を

どれだけ重要視しているのか?

 

そして、歴史的”伝説”仮説、只の人間の世界の神話の数々。

1 神の言葉 トラーは今日終ったものなのか?

<神の言葉は預言的シンボルでもあるのですが。>

 

2 トラーは今日にも変わらず有効なのか?

代々に渡り、永遠に婚姻契約をガードして生きる様に神が

言われているのか?

異邦人も同等に神のデザインした生き方を生きる様に

神に言われているのか?

 

3 世界の教えは、2000年以降はトラー=契約は破棄され、

新しい時代の人々である今日の私達に取って、

トラーは廃れた、無関係の教えであり、自分達の判断により

仕分け、取入れる程度の、約束、契約であるとする仮説。

古い教えはユダヤ人だけのもの。

新しい教えはクリスチャンへの教えと言う説は、聖書に

語られている事実なのか?

第一その新しい契約なる、書き換えられた契約書が

世界のどこに存在しているのか?文字で書かれた、

いや口頭で伝えられた、トラーとは異なる内容の、

神から与えられた別の契約書など世のどこにも

存在していないのです。

二つの福音は無いとはっきり宣言している通り。

永遠から存在する、太古から語り継がれて来た同じ福音と

書いてある通り。

 

それらしく訳されている、解釈されている箇所、

コロサイ、コリント、使徒、ローマなどから書いてみたいと

思います。

 

使徒、ガラテヤ、ローマ、コロサイなどの書簡で、

一般的に解説されている教えが、

パウロの意図とは全く違う内容の解説をされてしまって

おり、その真実が曲げられた解説が、世界中に語り継がれ、

それが神の言葉の真実=パウロは古い呪いの契約を捨て、

新しい教えを説いた人、トラーを否定している教師だと

思い込まれてしまっている、大きな障害物を抱えている

のです。

聖書の記者、著者の背景、生き様、信仰内容を

本当に知ったらそんな教えは、絶対に出て来ないはず

なのですが。それがローマ=異教の神々の世界に育った

人達の造った教え、簡単に神の言葉に混ぜ物をする、

神の永遠不変の言葉を、変える、捨てる行為を平気で出来る

ガードが甘い、軽い意識である事が分るのです。

 

詰まり、トラーは破棄され新しい教えが出現したと言う、

ローマの教え、ヘブライの聖書とは全く異なる教えが

世界中に伝えられ、語り継がれてしまい、長い年月の間、

事実確認、検証を、聖書に基づきしないまま、

人の教えに塗り替えられた仮説が浸透してしまった

様々な箇所を検証してみたいと思っています。

 

 

 

続く