出エジプト 31:16
ゆえに、イスラエルの人々は安息日=<シャバット>を覚え、
永遠の契約として、代々<代々に渡りずっと>に、安息日を
守ら<シュモー>なければならない。
31:17 これは永遠=オラームにわたしとイスラエルの人々
との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を
造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。
印=婚姻契約の中にお互いの関係が結ばれている”印”と
書かれています。
イスラエルの神と、人々の関係。
イスラエルと書いてあるのは、人類の長子=代表者。
神の子らの姿を生きるお手本として選び出された人。
その大家族に加わる人は、全てイスラエル、同じ家族の
一員となったと書かれています。
もしそうでなければ、異邦人とイエシュアは全くもって
何の関係もないのです。
イスラエルの失われた羊の元だけに遣わされたという
イエシュアの言葉通り、異邦人は何の関係もない?
イスラエルの失われた羊=イスラエルと共に、
世界の四隅に散らされた神の子ら=異邦人も含まれている。
しかも、ノアも、人類の父アブラハムも異邦人なのです。
子羊の婚姻の中にある関係。
婚姻関係を結んでいる印=婚姻届の様な”印”なのです。
土曜日か日曜日、どちらが”創造主”の永遠に定めた
”シャバット”であるのか?ずっと、西洋宗教の中で
議論されて来ました。
神が言われる事に人間が異議を申し立てるからそんな
議論が起こるのです。
でも、神の定めの日は、永遠から、創造のはじめから、
エデンの園から、何があろうとも変わらない、神は神が始めに
定めた通りの事を変えない事をまず知れば、例え人が、
どの日がシャバットなのか議論しようとも、
神の目には全く意味の無い事、神の側では神の定めた日が、
神の記念日である事はクリアーです。
どの日に集ろうと、自由自在。人の都合である日に集るのは
全く自由です。
でも、神が神の目的のため特別に分たれた日と、
人が作り出した日は、性質も意味も違うのです。
神の定めた日が何より重要な意味を持ち、体感しなくても
その日を神の意図通り過ごす時、それがどんな意味がある
のか、神との特別な出会いを体験するのです。
神は神の言われた通りにする人々に特別な事を示して
下さるからです。
第七日目がシャバットであり、他の日はシャバットでは
無いのです。なぜなら、シャバットは、とまる、やめる日。
労働日、活動日とは異なるからです。神がそう言われたから。
シャバットとそして、神の記念日は、その日がどの日で
あるのかを、神がはっきり告げています。レビ記23章。
イエシュアがどの日をシャバットとして過ごしたのか?
福音書から黙示録までも、
変わらずに第七日目がシャバットです。
神が言われる事に人間が口出し出来ないと言う基本を守る。
当然の事が当然では無くなる。
神の言葉が、人間の教えにより薄められて行く。
混ぜられて行く。これは歴史の中でずっと繰り返されて
来ている事なのです。でも神の言葉に付けたし、削除、
変形する事を止める。やめる。
詰まり、神が言われた通りと言う絶対的基本を揺るがさない
事、神の言葉に一点一画、被造物である人間が手を
加えられない、可能では無い事を知れば、神の言葉を、
書いてある通りにそのまま素直に読めば、
それは明らかに永遠の事実です。
シャバットは始めから、聖なる日=神の目的に沿って
分たれた日と定められています。
創造の第七日目を、神御自身が止まり、休んだ。
モーセに”トラー”、文字で書かれた神の国の生き様を
与えになる前から、エデンの園からすべての人類と
創造物に対して、神の造られた創造物がどの様に
生きるのかを、神御自身が語られているからです。
そして、シャバットをガードする事は、10の言葉、
神のトラーの内容の10のお題目の中でも教えられています
出エジプト20:8-11。
そして福音書から、黙示録迄も、その内容は、10の言葉の
題目で表されるトラーの内容そのものが書かれていて、
トラーは無効になったとは、聖書のどの箇所にも書かれて
おらず、逆に、神の一貫した永遠不変の言葉通り、
代々に渡り、永遠にずっと続けてガードすべききもので
あると書かれています。
しかも、イエシュアが再び地上に戻られたら、全世界が
シャバットと神の祭りを祝う様になると
預言されているのです。
聖書に書かれている通りを、人の教えを通さないで読む事。
そして、シャバットは、人のために造られたとある通り。
2000年以前は人は呪いの下に在り、呪いの教えに
縛られていたのでシャバットは、呪いの律法の日などと
言う教えは、どこをどうひっくり返しても、全く奇妙な
教えである事に気づけるはずなのです。
神の言葉が呪い?人を縛り付ける律法?
それはどこのどんな神の教えなのか。
神の言葉=永遠不変。
神の契約、約束=永遠不変。
太古から口頭で語り継がれた同じ契約=福音が
今の世代に再び明らかにされるとある通り、
人の教えで覆い隠されてしまった神の真実、光が
輝きでて来るその時が今であるのでしょう。
Shabbat Shalom