太古から語り継がれた同じ福音が再び聞かれる時が来た | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回の記事の続きです。

 

今まで影を潜めて世間では脚光を浴びなかった

残りの民達である、ユダヤ人が、今度は救い主=

イエシュアを、信じ始めている現象が起きている。

神が呼び出しているからです。

 

1世紀の初代当時には、莫大な数のユダヤ人イエシュアの

フォロワー達が居たのです。

当時のイエシュア信者の殆どが”ユダヤ人”です。

彼らが、散り散りになって行った経緯は、

ローマ政府からの様々な迫害です。

そして、塗り替えられた教えに迎合する事から、

一線を敷くためです。

 

1世紀の当初から、別の福音が出現した事は、

パウロが書簡に記している通りです。

神の言葉を曲げたら、別の福音に変身してしまうのです。

 

中世の時代でも、たとえユダヤ人が、イエシュアを信じて

いたとしても、西洋宗教=当時のローマ新宗教ですが、

彼らの宗教に教えに回心せよと言われても、出来ないのです。

その理由は、何か?

もっと分り易く言えば、自分の信じている内容の信仰と

別の信条を信じ、別の立場を取れ、別のグループに属する

宣言をしなさいと言われても、自分の信じて居ない事を

する事は、人は出来ないのは、理解出来る事だと思います。

 

今現在でもイエシュアを信じるユダヤ人も、イエシュアが

生きられた通り、トラーの中身を信じ、トラーの

ライフスタイルを生きて居るのです。それが当然の事なのです。

WWJDとは、イエシュアが生きたその足跡を生きる事だから

です。同じ様に生きる。同じライフスタイルを継承する。

 

ユダヤ人が、イエシュアを拒絶しているのでは無いのです。

トラーを捨てる事、トラー、預言書に書かれている救い主

とは、違う救い主像、神像がイスラエルの神であると

認識出来ない、だから新宗教を拒絶するのは当然なのです。

 

神の契約=言葉を捨てた生き方をせよと、

ヘブライ色ある一切の教えや慣しや、永遠の神の家の

印である記念日捨てよと言う、イスラエルの神は

有り得ないからです。

クリアーな頭脳で考えたら分かります。

神が代々に渡りガードせよと言う、トラーの中身を

どうして歴史の途中で捨てよに変わるの?変でしょうと

トラーの中身を知る人なら普通に理解出来る事なのです。

神の言葉を捨てよと言う教えは、神から出たのか?

それとも、別の霊から出たのか?と言う事が分かれば

はっきり理解出来ます。

 

トラー=契約の命の姿、別のライフスタイル、別の生き方を

強要されても、ユダヤ人は、決してその事に迎合しては

ならないからです。神から禁じられているからです。

 

神の言葉=契約=トラーに生きる事を捨てよとは、

神からの仰せではない事、明らかにその点に

目覚めていれば、神の言葉を捨てた生き方は

出来ない事は理解出来るはずです。

それを、ユダヤ人は頑だとマルチンルターでさえも、

その事を理解出来なかった事、

彼自身の著書に書いています。

 

神の言葉を曲げているその教えには、迎合出来ませんと

今もユダヤ人は主張している。

いやもっと強い意識で、神の言葉を塗り替えた教えに

危機意識、危険意識を感じている。

詰まり、神の言葉が永遠不変であると言う的に戻さない

限り、ユダヤ人には、”異物の教え” 別宗教の別の神

としてしか映らず、彼らの前に様々な障害物を

作り出してしまうのです。

 

しかし、その障害物、人の作り出した神学を通り越し、

今多くのユダヤ人達がイエシュアに出会っている。

これは、日本では肌で実感出来ないと思いますが、

世界の中で語られている情報に触れると分かります。

彼らがどの様な経緯で”イエシュア”に出会ったのか、

それぞれにすごいドラマがあるのです。

 

彼らが、神から選び出されて”神の言葉”を保存し生きる事を

任された事実は誰も否定出来ない事です。

世界は、イスラエルと言う唯一の国だけにより、

神の言葉、オリジナルの姿、生き様、記念日がガード

されている事実を見ても分かります。

神の仰せで、ガードしているからです。

異教の神々の国に生きる異邦人はそれを生きていない。

 

福音は、ユダヤ人から世界へ伝えられたのです。

神の選びです。神のオリジナルの言葉を曲げない、

神の言葉を一点一画変えず保存されて来たのは、

イスラエルの手によってなされて来た事実があります。

 

そして、それを生きる事、世界へ伝える事。

この部分は大分失敗していますが、今変わりつつあります。

長い歴史の中で、イスラエルには、染み付いている。

トラー=神の言葉の中身、それを否定出来ないのです。

神の選び、神がされた事だからです。

 

そのイエシュアを信じるユダヤ人達が、その西洋宗教の

作り出して来た教え、教理に”異議あり!”と発言し始めたの

です。

西洋人がトラー=神の言葉の中身を塗り替えられて作り出した

教えの内容とは違う、ヘブライ語のトラー、神の永遠不変の

契約、契りである元のオリジナルの神の言葉を、

世界へ伝える事をする現象が起きているのです。

今までとは、違う異物?に聞こえる解説と聞こえるけれど。

 

古い教え、律法に戻るのか〜と言う教えではなく、

古い教え、新しい教え、変化した教えと言う教えは、

神の言葉の定義とは違いますと言う声が出て来たのです。

神の言葉は、”律法”などと言うヘブライ語では書いてません

神の言葉は永遠不変と書いてあると、神の真実通りを

教える事が出来るのは、トラーを原語で、神の目から見る

通りに知る人達以外にいません。

彼らが、カミングアウト。

 

4世紀から今までは、一方的な教えを聞かされて来た。

2000年以降は聖書の三分の2は終ったとする教えだけしか

無かったのですが、今の時代に別の声が起こって来た。

 

聖書とは違うその教え、ちょっと待った!

オリジナルヘブライ聖書とは異なります!

異議あり!と言う、その声がユダヤ人達を通して、

世界の中で、明らかになる場所に出て来た言う現象が

起きているのです。

 

続く