10の言葉の柱は全て永遠不変の神の言葉 仰せ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

荒野で天から2日分の”マナ”が降った日没に、

”シャバット”が始まる。

この日が、第七日目のスタート。

 

アダムとエバもエデンの園でこれをガードしていたのです。

全ては、永遠から同じ。

 

イスラエルとそして共に”神の言葉””声”、忠告、警告を聞き、

本気で信じた異邦人達も含めて、鴨居に”過ぎ越の羊”の血を

塗る事をした。何でこんな事しなくちゃならんの?

なんて言わない。

神の言われた通りにする。神がそう言われたら、

意味が分からなくてもする。いつか、意味が分かる様になる

時が来るから。

 

自分の人生の時間をつぎ込んで築いた財産の全て、家屋敷や、

家財道具、貯金や、仕事、人間関係の全てを全部手放して、

後ろに置き去りにして、神の約束、言葉に信頼の100%を

かけて、エジプトを出た。奴隷状態を、完全脱出!

 

人ごとではなくて、自分の身に沿って考えてみる。

全部置いて行く。身の回りのものだけを持ち出して。

そして、出エジプトした印、生きる糧は、種無しパン。

あなたは、新しくされた人である印を、神が人々に

造らせて運ばせた。あなたの印は、マッツア。

新しくされた人が食べる食べ物。

あなたは、マッツア=要らないものが越されたもの。

新しい人とされた印である、マッツア。

 

福音は始めから、同じ。

イエシュアは永遠から存在している。

一つの神は、同じ業を、始めから終わりまで一貫してする。

アルファーでありオメガ、アレフでありタヴであると

宣言された通りだから。

永遠から眺める、ヘブライ思想に切り替えて、神の言葉を

聞いてみる。

歴史の途中2000年まで、救い、購い、許し、助け、

神からの様々な無限の祝福が無かったと言うのは、

人の教え。神は恵みとまことと憐れみと許しに

富む方と始めから御自身を紹介されている。

どの時代にも、どの場所でもどの国でもどの国民でも、

イエシュア=救い=神の助け、関係を受けとる事が出来る

事実がある。それは永遠から存在しているから。

タイムレス=神は時間に制約されないお方だから。

 

何も無い場所、神の声だけが聞こえる場所、神の声に

聞き生きる事を学ぶ場所に導き出された、

一大家族=その国民の名はイスラエル。

その中に異邦人もちゃんと入っている、イスラエルと一緒に

数えられている。

神の助け、購い、救いは、どの時代でも同じ。

人の中に、人の間に、人を取り囲んでいる印、

神が人の中に住まい、人々も神の中に存在している

印を、神が与えている。

この世界、神が創造された世界でも、それを表されている。

私達が見聞きして来た、人の仮説の創造物定義とは

違う、神の中に存在している事を、神がちゃんと

証拠として造っているから。

 

イスラエルの神の子らとして生きる事を受けとった

人達は、荒野で”永遠の神の契り”である印の

シャバットをずっとガードして来た。

 

約束の地に入った後も、シャバットをずっとガードして

今日現在、今に至る。神の言葉に応答する人達により

神の契りの印が継承され続ける。

神の言葉が歴史の途中で変化したと言うのは、人の教え。

神の言葉をその通りに読めば、神の言葉は永遠不変である

事にはっきり目覚める事が出来る。

 

出エジプト20:8

安息日=シャバッとを覚えて聖なる日とせよ

 

ザーホール エツト・ヨーム ハッシャバート 

レカデショー

 

この日は、福音の中心、神の完了の業、7日前に全てを

終らせて、神が止まった日であるから、

同じ様に、この日を特別な日として取り分ける。

 

聖別と訳されている言葉、”カデショ”とは、

神の目的通りに沿う=それが聖別と言う言葉の意味。

とても強い強調を持つ”覚えて”=ザホールと言う

命令形で始まる神の言葉。覚える!逆に言うと忘れるなかれ!

神の仰せは私達を守り保護するものだから。それを捨てたら

危ない。

 

10の言葉のどれも、永遠不変。

どれか一つだけ、取り除いたり、又は建てられた建物に

後から土台や柱を付け足したりしない様に。

神の言葉に人間が後から、勝手に解釈を付けて、一点一画も、

差し引き、付け足しするなかれと言われた、神の言葉を

深く厳重に、厳粛に受け止める態度と頭脳、思考があれば、

神の言われている言葉を、額面通りにそのまま受け取る

事が出来る。宝の宝庫を発見出来る。変えたら、混ざる。

変形する。元が何だか分からなくなる。

神の言葉がぼやけて聞こえてくる。

 

そして、神の言われた日が、今日この日。

神がそう決めたら、人が異議を申し立てても

それは、神の前には全く意味の無い無価値宣言。

創造主がそう言われる事を、素直に聞く頭脳。

トーヴ=神の意図通り。神のピュアなエッセンスで

生きる。

この日は、たわいない何気ない何の変化も変哲も

無い様に見えても、神の前には、神の目には、

特別に取り分けられた”聖なる日”。

人には愚かに聞こえる事が、神の目から見たら

永遠の重さ、価値がある。

 

イスラエルの神の家の子らにされた人々が

生きて表す、印の日。福音の中心、

イエシュアそのものを、体験する日。

 

神の言われた事を、言われた通りにまずは

やってみる、生きてみる時に、体験出来る不思議な日。

繰り返し繰り返し、年輪の如くにその体験が深まる。

 

世の光は、神の言葉を生きる人の中から光が溢れ、

世界へ、だんトツに違う”印”を生きる事で、暗い世界の

灯台の役割を担う。

 

そして、この日は、人のために設けられた日。

 

元の姿に修復する事を、繰り返し生きてインプット。

自分と、家族との修復の日。神の業は、人と創造物全ての

修復だから。

休む日。神の言葉、約束にまたリセット、深く聞く日。

余計な事を全部止めて、とめて、大事な事に集中する

ために全部止まる日。

 

異教の国に住んでいても、イスラエルの神の子らにされた

印を出来る範囲で生きる。

 

神を愛する人は、神の言葉、仰せをなにより大事に

ガードし、それを生きる事をすると書いてある。

全ては、まことの命が守られるため、アバ父が

子供達に、与えてくれた教え、インストラクション。

 

Shabbat Shalom