40年前頃既に、〜運動なる、いわば目に見える現象、
不思議や奇跡を求める事、この世の繁栄と成功を求める
哲学の様な事に、人の関心が移って行きました。
今はネット社会で、光ファイバーの如く、どの国に居ても、
他の国の情報発信者から、情報を受け取る事が出来る
世界です。
その情報も、出所確かか、真実か、見分ける識別力は
必要です。
ネットの世界の方が、新聞やテレビなどより、
断然情報が早いですね。アメリカでは、ずっと以前から
テレビで、様々な宗教番組などをやっていました。
その中で、まるで大スターの様なステージで、
きらびやかなスーツや衣装を着て、
奇跡をパフォーマンスする番組が多くあります。
人々がひっくり返ったり、バタバタ倒れたり、高揚して
奇声を発しながら踊りまくったり。
今やYoutubeなどがあるので、その裏にある”しかけ”
が分かります。
詰まり、”さくら”や”やらせ”などの素人俳優さんを
募集し、あの奇跡演技パフォーマンスをする
訓練を受けさせて、ステージに出させる事が、
暴露されています。全部演技。大げさに倒れる
パフォーマンスや、足なえも、盲目も癒やされる、
それらは、全部素人俳優さん達が演技でやっている。
そこまでして、どうしてそんな事をする必要があるのか?
一番の理由は、お金でしょう。すごい大金が入るそうです。
しかも、大型商業用旅客機を丸ごとチャーターして
世界を飛ぶ。泊まるホテルの部屋は、一泊50万から100万も
する部屋。
詰まり、アバ父に属する事ではない事を、主の御名を
利用して行なうと言う事は、世間一般の人も知る所と
なったと言う事なのです。考えてみても変と分かります。
誰のためにそんな事しているの?て事です。
自分の目的のために、神を、人を利用してしまう。
まあ、そこまで逸脱しなくても、何が変なのか?と
言う事は、そんな暴露動画を見なくても分かるはず。
でも、神の言葉を知らない限り分からない。
それらの偽物に、注意しなさいとちゃんとイエシュアも
言われた通りに。
主の名を使ってされてしまう事に対して、神から出たもの
なのか、嘘か本当か見分ける事が出来ないとならないと言う
警告でもあるのです。そんな派手なものでなくても、
知らない間に入り込む、様々な異物があるのです。
食べものの教えにピッタリ、沿っている。
知らない間に、神に属さない食べ物の要素が入り込む。
混ぜられたら、異物の味に気がつかないから、
分からないまま行く。
皆が賛同しているから、本当かも、神がされている事かも?
と言う具合に、揺らいで行く。
奇跡が無い、癒しが無いと言うそんな事を書いているのでは
無い事は、ぜひ読み取って下さい。
人に取って、異教の神々を信じる動機と同様に、
お恵みたくさん頂ける的な、誰でも惹かれて行く様な事に、
人の意識フォーカスが移ってしまい、神との関係、神御自身
にフォーカスが無い。神にフォーカスと言うのは、神の
言われる言葉に集中する事なのです。
神が何を言われているのかを知りたいと求め、”神の言葉”を
しっかり、じっくり学ぶ、知ると言う事が、悪い事の様な、
本当に置き去りにされて来たと言います。
神の言葉から、ありとあらゆる方法で逸脱させられて行く。
自分の事ばかりで、誰も神など求めないと。
安全地帯の囲いが崩壊していると言う事です。
何でも侵入して来てしまう。
ヒゲの在るもの=長老は、町囲みの門に立ち、
危ない侵入者は、門を通らない様に固くガード
しなくてはならないと言う役割があるのです。
神の言葉は、学ぶものではありませんと教師に言われたよと
言っていた友人が居ました。
神の言葉より、現実が大事と、神の言葉が実際に
生きる事に繋がって見えて来ないと言う事です。
全部切り離し、バラバラ思想です。
神の言葉=神=命のパン=私達の生きる糧という事を、
一つに繋げば、人は”天から下る命のパン=神の言葉を
食べて生きると言われたイエシュアの言葉の意味が、
理解出来るのです。
だから、神の言葉を学ぶ、知る、ガードすると言う事に、
全神経を向けなさいと聖書に書いてあるのです。
全ての思索をキリスト イエス=天から下ったパンの中に
虜にして、異物は排除すると書かれてもいるのです。
同じ事を、ずっと聖書は語っている。途中で変化しない。
神=”ことば”と書いてあるのです。
ヨハネも、その事を福音書の冒頭で語っているのです。
又は聖書をラダンダムに開き、ランダムに指さし、
その箇所だけを読むと言う事をしていた人が居ました。
それでは分からないでしょう。
イエスさまが聞いたらどう思われたでしょう。
神の言葉を分断して考える、”二つの契約”や”二つの聖書”
と言う考えに基づく事は、神への冒涜以外にないのです。
何故なら、神御自身の言葉=永遠不変である、代々に渡り
変わらないと言う神の宣言を、目の前から拒否、却下、
いや攻撃する行為であり、人間の主張、考え、神学を、
神の言葉の事実より勝る位置に設定している
行為だからです。
預言書を学ぶとよく分かります。
偽預言者とは、神の言葉を否定し=どの部分も一点一画で
さえも、神の言葉とは違う事を宣言する人の事だと
書かれています。
神の言葉から意識を反らせる事を促す人、神の言葉から
外れている、反れた方向へ人を誤り導く、
煽動してしまう事をする人を、聖書では偽預言者と
定義して書いてあるのです。
だから、偽預言者、偽預言に騙されないよう
警告があるのです。
預言とは、将来に何が起こると言う占い師が語る様な
未来の出来事が書かれている比重は少ないのです。
今を生きる事、今神の外側、神の契約の姿から外れて
生きる人達への、警告である事が、読めばはっきりと
書かれていますから、分かります。
まして、預言者も、そして諸書を書いた記者、福音書から
黙示録までの聖書記者、全てその語る内容は、”トラー”
の中身を語っている事に気がついたら見えます。
続く