聖書 神の言葉が誤解されて読まれている原因は?マタイ5章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書に書かれている内容を、まずその通りに知る、理解する

その後に、それぞれの生き方の中で、神の言葉の適用が

出来る様になる。神の意図に沿って、それを適用する。

 

それが、神の意図通りピッタリならば、神から来た知恵。

様々な人生の旅路で、神の知恵を、意図通りにピッタリ

生きる、成人の成熟した生き方が出来る。

神の言葉、知恵の適用も、神の言葉の真実の中だけのみに

留まる。

神の真理の囲いの中から外へは飛び出さない。

その境界線内に留まる、神の言葉の真理の中に留まる時には、

あれもあり、これもあり、それもありと言う事、真理の発見、

生き方が出て来るのです。

 

神の真理から、逸脱したら、的外れ=ハターだから

的を外す、神の真実では無くなると言う事です。

そうすると、どうなるか。傷つく。痛む。苦しむ。

違和感ある、様々なズレの自覚症状が出てくる。

 

人が作り出した教えは言う。

トラーは、神の言葉は、イエシュアが来られた2000年以降

古い用無しの律法なので終った、変わったと宣言する。

 

永遠不変の神の言葉が、変わったと勘違いする教えを聞き

続けて来たから、聖書の最後の三分の1が、トラーの解説を

している事実に目が塞がれて見えて来ないだけなのです。

 

プラス、トラーの中身の真意、何が本当に書かれているのか

が分かれば、最後の三分の1は、トラーのどの箇所の、

預言書のどの内容を語っているのかはっきり、ピッタリ

見えてくる。聖書の箇所が、あちら、こちら、様々に

エコーして来る。

 

聖書には、トラー以外の内容、トラーと異なる内容は、

どこにも、書かれていないからです。

もちろん、神の言葉、約束、契約は、何も変わって

などいない事実が、至る所に書かれている。

 

トラーを捨てれば、神の知恵を捨てる事と同じ。

神の知恵を捨てたら、迷い出ると書いてある。

神の知恵は、歴史の途中で終ったとする人間宗教神学の教え

から、神の言葉を勝手に削除、自分の都合で仕分けて眺めて、

解説する教えを、神の言葉の真実であるとし、その教えが

聖書理解の土台であるとするならば、それも、神の実態の

真理から外れて、ハター。的を外す。

的を外せば、一ミリ外でも、神に属すものでは無くなる。

 

何が神の言葉の真実なのか、見えなくなって行くのです。

聖書の事実=神の言葉は永遠不変という事実と、

辻褄が合わなくなって行くので、それをカバーするために、

様々な教え、解説が、又もや作り上げられる。その連続。

だから、神の真実からずれた教えを、カバーするための

解説、教え、神学が生み出されて行く。

 

神御自身、神の言葉も永遠不変、一貫して真理を貫く

御性質のお方、神の言葉と神の性質が一致している真実に、

目が塞がれたまま、事実に盲目になってしまうからです。

 

西洋宗教の教える様々な教えと、ヘブライ語の聖書の中に

書かれている事は、数々、多々、相違点があります。

 

例えば、礼拝とか、油注ぎとか、聖なる口づけとか、

様々な言葉が意味する内容。意味不明な箇所。

翻訳された聖書の、異教の国々の世界の解説と、

ヘブライ語聖書に書かれた、その内容が、又言葉が

何の意味で使われているのか?何を意味して語っているのか、

その中身、実態の真相は一体何なのか?

翻訳からだけでは、見えない事実があるのです。

 

聖書の中に書いてある本当の意味を知って行くと、

何層にも、今まで隠れて見えなかった真実が、

はっきり浮き彫りになり、真実が見えて来ます。

 

また翻訳で、同じ言葉でも訳されていても、その裏に在る

ヘブライ語が、それぞれの箇所、場所で、全く違う言葉で

書かれているから、真相が見えにくい。意味が捉えられない。

 

誤解されている聖書の内容、そのひとつに、正当防衛も

悪い事、無抵抗主義を、イエシュアが語っているのだと

思われる様な箇所があります。

 

”あなたの敵を愛せよ”など、一体”敵”とは誰の事を指して

話しているのか?又、愛の定義、中身、実態は何なのか?

その様な基本的な古代ヘブライの世界の人達なら、

そのまま分かる事が、現代の異教の国の人には、

理解出来ない。

そう言った事がたくさんあるのです。

逆にトラーの中身に書かれている意味を知っていれば、

理解出来る、分かるのです。

 

 

続く