マタイ15章の、10節以降に行く前に、神の言葉=トラー、
神の契約を受けとったヘブライ人に代々染み付く意識と、
異邦人である自分の、神の言葉へ対しての意識の差を、
歴然と、はっきり知った瞬間がありました。
”これは、神の言葉なんだよ!”と言う事でした。
神の言葉が、人間の手により、考えにより、コロコロ
変わったと言う意識こそが、異教の神々の国に生まれ、育ち
ずっと先祖代々培って来た異邦人頭脳だと言う事。
神の言葉や、神の家に対する意識もまるで違う。
ヘブライ語聖書、トラー、預言書、諸書は、
ヘブライ人の手により、一点一画、神が、御口から語られた
言葉を、そっくりそのまま、神の意図通り、古代ヘブライ語で、
聖書記者達が書き写したものです。
その事実をよ〜く考えてみると、それは”神業”=霊感により、
神に依り、神の言葉が、人間ヘブライ人を通して書き記された
事実がはっきりして来ます。
2 テモテ 3:15−16で書かれている、”聖書”は神の霊感に
より書かれと言うのは、”トラー、預言書、諸書”のみを
指して語っている事実に気がつけば分かります。
当時は、福音書から、黙示録まで聖書として形を
なしていなかった。
プラス、トラー、預言書、諸書の中身の短い
解説、コメンタリーが記されているのが、福音書から
黙示録なのです。
ヘブライ語原典聖書は、聖書記者達が、自分の選んだ適当な
言葉で、神の言われた大体の意味に近い事を、
自分の思いのまま、気の向くまま適当に、
書き記したものではないのです。
口述筆記と同じく、神の言われた通り、全ての言葉を、
そっくりそのままを書いた。それこそ、奇跡そのものです。
まず最初のモーセの五書=トラーは、神の御口から直接
語られた通り、これだけ考えても凄いですが、
神がデザインした人間の姿、人間が生きる状態全てを、
神の言葉丸ごとをモーセが書き写した。
トラーは、揺るがない永遠不変の神の言葉、
聖書全体の柱、土台として書き記した事実を考えれば、
考えるほど、これは、神業以外の何ものでも無い事が
分かります。
そして、聖書の記述の全ては、トラーを語っているのです。
ヘブライ語聖書には、何何ヴァージョン、改訂版と言う類い
のものが無いのです。ただひとつ、同じ書、同じ内容、
同じ言葉、同じ文字数、言葉の意味も、最初から、
現代まで一点一画も合い違わず綴られている。
神の言葉オリジナルがそのまま継承、伝承され続けている。
これは、翻訳聖書には無いものです。
トラー<ヘブライ語>=翻訳=ノモス<ギリシャ語>=
他国語翻訳=律法と訳されて意味が変えられてしまう
ような、間違い、ミステーク、ズレが原典聖書には
無いのです。
考えたらとても不思議です。
そして、そのモーセが書き記した書、預言者が書き記した
神の言葉の書が、一点一画も合い違わない、神の言葉は、
時代により変わらない。永遠不変。
同じヘブライ語で、ずっと始めの始めから、黙示録に至る
まで、同じ意味、言葉で書き記し続けられている。
この事実を考えてみたら、イスラエルの神は、神の言葉を、
イスラエルと言う国民、全世界の民族の代表として選び、
神の言葉を一点一画変わらずに、書き記し続ける、
伝え続ける役割を、託した理由がはっきりします。
神の言葉が、永遠不変である事実をはっきり教えられ、
神の言葉の永々不変性の事実を知る人達が、
神の言葉を書き記す役割を与えられた事実があるのです。
神の言葉を、一点一画、変えない、曲げない
永遠不変の神の言葉の性質を、まずイスラエルに、
神が教えたのです。そうでなければ、神の言葉が、
そっくりそのまま、神の意図通りに保たれずに、
誰かの手、人間の手により、神の言葉が、
変形されてしまうからです。
誰かに依り、神の言葉が、神の言葉の解釈が、
変形されても、翻訳ではなくて、
ヘブライ語原典聖書=オリジナルが残っているので、
神の契約が不変の証拠が存在する、
永遠不変の神の言葉=契約=その真実に、
人が戻る事が出来るためです。
預言書を読んだら分かります。
預言者の警告は、契約の命に生きる姿、
神の言葉=トラーの生き様に軌道修正、
戻りなさいと簡単に言うと、これが
神からの契約、神から託宣を受けた預言者の
メッセージだからです。
だから、オリジナルのヘブライ語聖書は、
オリジナル版から、一点一画もズレる事が出来ない事が
分かります。
しかも、聖書の中に使われている言葉は、
その使われている言葉が、最初に登場した通り、
後の全ての聖書箇所、黙示録に至るまで、同じ意味、
同じ内容で語られているのですから、2000年以降、
神の言葉、契約が変わったと言う教えが、
神の永遠不変の言葉の真実に照らし合せれば、
その主張が真実ではない事は、オリジナル聖書の世界を
覗き込めば、明らかに記されている事を知る事が出来ます。
瞳を守るがごとく、神の御手により守られ続けて来た、
永遠不変の神の言葉が、2000年以降変わったと言う教えが、
神から出たものでは無い事を、神の言葉と、神が守られて、
イスラエルにずっと保存させて来た神の言葉の事実、
オリジナルの神の言葉の中で、はっきり証明出来る
事なのです。
だから、ヘブライ人は、神の言葉が途中で変わると言う様な、
西洋宗教神学、思考回路から生まれた様な、
コンセプト、考えが全くゼロなのです。
聖書を読むには、必ず下知識が必要です。
何故なら、古代ヘブライ人が読めばそのまま理解出来た
事柄が、遥か遠くの今の現代、文化も風習も習慣も違う、
異物、未知の世界での事が語られている。
同じ日本とて、古代の日本の中で語られている古典の世界は、
下知識が無いと理解できない事は、誰でも容易に理解出来る
事と思います。
それと、同じだからです。
続く