神の言葉は永遠に堅く立つ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録


今年12月22日が冬至でした。

冬至を過ぎ、これからは日が長くなり、春を待つ季節に

突入します。春に向かうと思うと、気持ちも上向き、

明るくなります。

 

日本では、12月は、クリスマスと言う世界の祭りや、

年末年始、新年の行事でにぎわう季節ですが、ユダヤ暦ですと

今日は、第10の月の12日目です。

テヴェットの月、第10の月。

 

この月は、春の過ぎ越、ニサンの月から数えて10番目の月。

テヴェットとは、エステル記に記載されている、

バビロンの呼び名から取られたものです。

 

ヘブライ語の原語のルート文字の”トーヴ”と言う意味から

取られた”良い”と言う意味を持つ名の月。

もっと忠実に言えば、”神の意図通り”と

言う名の付いた月の名です。

 

このテヴェットの月は、ハヌカ=宮きよめの祭りの

最後の日から始まる、月です。

メノーラの光が増々まし加わって行くと言うメッセージでも

あるのです。

 

善と悪。善=トーヴ=神の意図通り。

悪=ラー=神の意図とは外れている。

 

私達の命の中に秘められている本当の性質”トーヴ”を、

この世界に、神の意図通りでは無い環境に囲まれながらも、

私達は、内側を照らす光、世の光=イエシュアの光の実態を

繁栄して輝く存在とされている事を自覚する季節でも

あるのです。

メノーラは、私達神に造られた一体の人の姿を表すもの。

 

秋の仮庵の祭りから、春の過ぎ越まで、この冬の厳しい時期、

神の定めの日の祭りが、シャバット以外無い季節です。

これは、深い意味があって、神がそうデザインされた事を、

トラー=神の言葉=”主の日”の意味のデザインを学び、

生きて知ると、年々体験が深まり知って行く事が出来ます。

主の日とは、レビ記の23章に書かれている日です。

それ以外は、人間が作り出した記念日です。

主の日と人間の造った記念日とは、全く性質が異なる

ものなのです。神と人とは違う存在であるからです。

 

主の日とは、実は、福音の骨、柱、中心である命のサイクル

を生きて、栄光から栄光へ脱皮、変貌していく神の

デザインされたプロセスである事が、ヘブライ語の聖書の

中に、詳細が、厳密に至る所に書かれています。

 

神の言葉は、永遠に奥深いものであるけれど、

入り口はシンプル。誰でも理解出来る事なのです。

何も難しい事ではない。

”命の木”からだけ、食べなさいと言うその一言に尽きます。

神の言う通りの言葉をその通りに聞いて、その通りに

聞いて生きる、実は至極シンプルな事なのです。

 

子どもでも、幼子でも誰でも分かる。その言葉の意味の

全貌全てを理解出来ないままでも、とにかく神の言葉

その通りにして行けば、必ず分かって行く事なのです。

 

詰まり狭き門=トーヴ=神の意図通りの入り口から

まず入り、神の言われる言葉を聞き続ける。

命の木からだけ食べ続ける。

単純、シンプル、何も複雑ではないその連続だけ。

 

人の付け足す教えが、宗教を作り出し、宗教が神の言葉を

覆い隠し、人を奴隷に逆戻りさせ、縛り付け、

人の命を内側から喜び溢れ出る生き方を妨げてしまう。

その姿に生きる人々が環境に満ちていれば、

増々、その姿がかき消されて行ってしまう。

その連続、継続なのだと思います。

 

冬の時期は、厳しい季節。

秋の仮庵の祭りから、春の過ぎ越まで、神の祭りが全く無い

この時期は、刈り込みの時期。

自分を縛り付けている、ストロング ホールド=縛り付けの

根、原因は一体何で、それはどこから来ているのか?

日常の様々な出来事を通して対面、

直視させられる時期なのです。

 

神の言葉の中で、神の言う事を聞く。

自分への特注のカスタムメードのレッスンプランをアバが

用意して下さっている。

1人1人、そのレッスン内容は違うし、誰かと比べる事も

出来ない。

誰かの人生を生きられない様に、同じレッスンプランも

二つと無い。世の中の出来事や、どうして自分にこんな事が

自分に起こるの?と言う事も出来ない。

全ての事は、意味があり、自分に必要で神の許しの中、起きる。

日々の中、様々な出来事を通して、死んだ自分の要素、

壊れた部分を、削ぎ落とされる様に、神がデザイン

されている。そのレッスンを受けるためには、主の日、

神の定めの日を生きると言う必須条件がある。

神の言われた通りに、神の言葉の下、声の下に来て、

神の言われた日に、神の言われた通りを生きる。

シンプル。何も複雑ではない。

親が呼び出したら、呼び出された時に出向く、

何でしょうか?と聞くと言う事と全く同じ。

それを無視するから私は、分からなかったのだと言う事。

 

ケラブとヨシュア以外、約束の地に足を踏み入れる事が出来な

かった、初代の出エジプトとした人々は、”神の目から見る”

事を学ばなかった人々と書かれています。

神の目線で、神の目の領域から全てを見る学習は、

人間の宗教の教えには、無い。神の言葉を、神の意図通りに

受け取り、知り、生きて初めて、理解出来る、

別世界の領域。これを人は”霊的な世界”と呼ぶのでしょうが、

目に見えない世界を、目に見るがごとくに生きる世界、

神の内側=元居た場所=エデン=喜びの中、本来の自分の姿

神の意図通りに造られた新しくされた人である、自分を

生きる訓練だと言う事が、聖書の始めから終わりまで、

書かれている通りです。

 

”二心”では、ナファーシュ、神の用意して下さった素晴らしい

関係の世界、神の中、神の目から全てを見る世界に

入れないと書かれている通りです。

 

そして、今日のこの日こそが、主の日=神の定めの日、

シャバットである事。

2000年前も2000年以降も、神の造られた世界の

デザインは不変。シャバットも不変。

この事実は永遠不変。

何の変哲もないように感じるこの日を、神の定め、

聖別、特別な日として、神が言われた通りに止まると

言う事をする時に、アバ父は、約束どおり、言葉通り

不思議な体験を用意して下さっている事を

発見するのです。

神の言われた通りをする人は、神の栄光を見ると

書いてある通りだからです。

 

Shabbat Shalom

 

大事な大家族と見た素敵な冬の夜の花火。

本当にありがとう。

一緒に居られる事が嬉しい、楽しい、喜び。

そして、楽しい事を一緒に共有出来る時間が

お互いの存在がお互いに取っての何より最高の贈り物。

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焼き肉大好きな家族のために、家族の優しい母が

忙しい時間をぬって用意してくれました。

本当にありがとう〜!

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帰りに見た雲。これはずっとずっと繋がっていました。
なが〜いシロナガスクジラみたいに。
アバってユーモアたっぷり。和ませて、笑わせて下さる。
大好きなアバ。
 
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空から見た東京

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我が家へ辿り着き、落ち着いてシャバット。

日本の家族に会いたくなりました。

でもどこに居ても同じ様に皆シャバットをしているでしょう。

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