1週間が瞬く間にぐるりと巡りました。
東京は毎日寒いですが、タヘレットブルー、神の御座、義の
色が空一面に見える気持ちの良い毎日です。
昨日は、夕暮れがシャバットの始まりでしたが、
ひょんな事から、イスラエルから来られて、
日本に定住している方と話しました。
私達がイスラエルの物を身に付けていたので、
”イスラエルの人ですか?”と声をかけられました。
”東京に居ると、回りがシャバットで止まったり、
祭りなんてしないから、全然意味が無いよ。”と言われるので、
”そんな事ありませんよ〜!”と話しました。
イスラエルでありながら、イスラエルの姿を、失って行く、
忘れる人達も居るのです。皆が熱心に神の言葉を求めている
のでもない、今のイスラエルの状態は危ないのです。
異国、異教の神々の国に住めば尚更、それを強く実感します。
ひとつひとつの日本の、諸外国の記念日の裏には、
必ず宗教=神々に対しての信仰が存在しています。
日本の伝統行事や、記念日なども、某かの宗教的な儀式、
意味があります。意味の無い事をしていない。
その中には、”飾り物”や”食べ物”と言うシンボルが必ず
あります。食べると言う事は、人間の命を繋ぐ中心なので、
食べ物の中に、儀式的意味が込められています。
その裏にある願いは、全て異教の神々に対しての、
懇願、祈願です。
簡単に言えば、無病息災、商売繁盛、子孫の繁殖、
繁栄です。
もちろん生活の安定を願う事や、健康でありたいと言う
願望は悪い事では無いですし、当然の願いです。
でも、神との関わりは、ギブアンドテークを土台に
したものである状態では、ズレてしまうのです。
フォーカスがぶれると、宗教に成って行くからです。
関わりの関係の世界、神のデザインされた命を生きる事から
外れて行ってしまうのです。
アラジンと魔法のランプの如く、用事がある時だけ、
あなたの名を呼びますと言う関わり方と同じ。
関係の世界ではなく、ビジネルライクな世界。
でも、人は神の中に存在する様に、神の中で生きる様に
顔と顔=臨在と臨在がぴったりと離れず、一体として
触れ合い続ける、関わりの世界で生きる様に造られている事が
聖書に書かれています。
そして、その基本は、”神の言葉”と言う絆で繋がれ続ける。
神=言葉で、全てが創造され、神の言葉で全てが生きる。
主の御跡を辿る、イエシュアは道であると書かれているその
“道”なるものは、命のサイクル。義のサイクル。
その道を踏み外さないで進めば、年輪の様に義が増し加わる
姿になると書かれている。
ハ デレッフ=”その道”=The Wayの者達と呼ばれた”
イエシュアのフォロワー達”の生き方は、
主の足跡の跡を辿る生き方なのです。
祭りの時に都=神の家に上る。アリヤーと言いますが、
アリヤーとは、イスラエルに帰還する事を指して使う
言葉でもあります。
上る。その言葉は、主の御足、足跡の跡をひとつひとつ辿る
事として書かれているのです。
その御足の跡とは、一体何なのか?
神の言葉通りを、神の言葉の方法で生きると言う事に尽きる
のです。
Do and live the Bible things by The Bible wayと言う
聖書に書いてある通りの事を、書いてある通りの方法、
詰まり、神が指定した、近づき方で関係を持つと言う、
”元の姿” ”オリジナル ルーツ”に戻る事を意識する人達が
世界にたくさん出現しています。神が、宗教の教えではなく、
神の言葉だけに、反応、応答する人達を、
この時代に1人1人呼び出しているからです。
今日は、神の造られた記念日、週の第七日目=止まる日、
シャバットです。
アバ父が今日も招いている。人間ではなく、神御自ら
人々を招いている日なのです。この日は永遠不変。
この日は主が造られたとは、主の日とは、レビ記23章に
ある主の日=シャバットでありシャバットで始まり、
シャバットで閉じる祭りの事を指して喜び、
祝う事を歌っているのです。
西洋宗教の教理は、4世紀以降、反対意見をする人達の
反対勢力にあおられながらも、いつしか、
その神の記念日を根こそぎ変更してしまいました。
そして、現代では、2000年以降は、呪縛<何の呪縛
でしょう?神の言葉は、呪縛として、人々に
与えられていたのでしょうか?どんな神?>
から解かれたので、現代では何曜日でも主の日に
なるのだと言う教えまで出現して、それが神の言葉の
真実であると思い込んでいるだけなのです。
神の言葉自体が、クリアーに証明しています。
シャバットは、永遠不変。
月、星、太陽は、シャバット=主の日=週の第七日目と、
主の祭りの日を司るために造られたと、
聖書に書かれて在るのです。
神の御口から、直接語られた言葉をそのまま受けとる人は
分かるのです。変わらないのです。
でも、神の子らは、アバ父の言われる言葉だけに耳を澄まして
注意深く、本物の羊飼の声=神の言葉を聞く様に、
促されているのです。
神からの注意事項、警告です。なぜなら、人は簡単に人の
理由付けで、神の言葉の真実を消してしまう、薄めてしまう、
変えてしまうからです。
そして、人の教えが、長年の人の言い伝え、伝統となり、
神の言葉の真実とすり替えられ続けて行っているのです。
続く