その展示物の中のひとつにこんな物が在りました。
この表示を見て以前は何も思わなかった事を、
色々考えました。
ここに書いてある事が、事実と事実ではない事が混ざって
居るからです。
偽証するなかれ、神の言葉を一点一画も取り去るなかれと
言う神の言葉を、かんた〜んに曲げて行く人間の行為。
長い歴史の中で、神の言葉の純粋さが、
どの位薄まってしまったのだろう?
クリスマスと言う西洋宗教の祭典は、
4世紀以降人間の発案により造られた祭りです。
聖書の中には、書かれていない、聖書記者が誰も知らない
祭典です。
キリストが地上に人間の肉体を取って来られた事は、
事実ですが、それを盛大に祝う様な文化や慣しが
聖書には無かったですし、神の仰せでも無い。
しかも12月25日は、キリストの誕生日と言う記述は、
聖書には書かれていないのです。
ある人々は、聖書の記述を曲げて解説します。
ワインは、葡萄汁と言う意味だとか、12月に羊飼が
イスラエルで野宿する事があるとか、これは全く不真実です。
それは、12月に日本で、野外の水田で田植えをする事も
あるでしょうと言う事とまるで同じ事なのですが、
そう言う発言を聞くと、古代イスラエルの様子を
曲げる発想や、意見を簡単に述べる事の危険を
思うのです。書いてなくても、その文化の、気候で生きる
人達なら誰でも知っている事実があるのです。
逆に12月は、キリストの誕生日ではない事実、証拠が
聖書には、たくさん書いてあるのです。
”主の日”なるものの意味が分かれば、分かる事だからです。
書いてあるのです。
この展示物を見ながら、色々な事を考えました。
日本に、太古の時代、確実に”ヘブライ人”が来た事実があると
思うのです。
そして、トラーを、ヘブライ人が、日本人へ伝えた事実も
在ると思っています。
でも、伝えられたトラーの内容が、またもや変形して
”神道”なる宗教になったり、皇室の天皇が”大祭司”の様な
祭りや、行事や儀式をしている事からも、どこからその
考えを得たのかも見えて来るのです。
以前に皇后陛下が、”皇室は人々への祈り”を
すると言う様な発言をされていましたが、
イスラエルの”王”の役割の様な発言だと思いました。
聖書の世界では、イスラエルの王とは現在世界に在る様な
”王”とは違い、国民のために、全てをまかなう、供給する、
保護を与えると言う存在なのです。
神を代表して、国民を保護、治めるリーダーと言う立場です。
ですから、王が神の御旨とぴったり沿わずに歩んだ
時代のイスラエルは、ぼろぼろだったのです。
高き所を取り除かなかった王達が治めるイスラエルは、
欠けがある状態であったのです。
この表示を見て思いました。
ヘブライ人が来た後に、日本人が聞いて学んだ聖書の中身は、
ヘブライの聖書の解説ではなく、西洋の聖書、教理、ドグマに
基づく、神像、キリスト像である事実。
ルーツは、ヘブライではない、西洋宗教だと言う事。
同じイエスキリストでも、その中身=顔に対する解説が
西洋宗教ドグマに彩られたものであった事実は
否めないのです。
この時代に来られた人々は、”カトリック”の方々です
から、カトリック教の教えを、日本人は
教えられたと言う事です。
そして、多くの点で、プロテスタントとカトリックには
共通点があります。
この像は、聖書と言うより、世界にある他の数々の宗教に
共通する”母子像”を元に造られたものです。
12月が神の誕生日である、冬至、太陽の神、ミトラ教の像
とも共通しています。
偶像ですから、関係ないですが。
4世紀のローマ皇帝の元の宗教の要素を混ぜて、
描かれた”後光”が射す絵。太陽神信仰のシンボルの
ヘーローが描かれています。
ルーツはヘブライで無い事だけは、クリアーです。
この様な偶像を描かない事と、太陽神のシンボルは
ヘブライの世界のものでは無いからです。
お守り布
ここに三聖人と言うタイトルの絵があります。
これを見て、ルーツは”西洋宗教”と分かります。
パウロは、ペテロは、西洋宗教を教えて居た人達ではない。
パウロのルーツは、伝道に携えて教えた書は、
4世紀の西洋宗教ではなく、トラー、預言書、諸書のみです。
ルーツはヘブライ、トラー。パウロもペテロも使徒達全て、
聖書の記者達は、生粋のトラー オブザーバント。
混ぜのものではない、トラー=唯一の契約を
世界へ伝え、生きざまと共に、トラーの中身を教えて
居た事実を、固く固く聖書の根拠に
基づき、増々はっきりして来るのです。
ルーツは、ヘブライ、神の言葉=トラーだと言う事。
これが、見えて来ると、ピッタリ全てが合致して来る
のです。神は、神の言葉を、約束の内容を歴史の途中で
決して変えたりしないからです。
神の言葉を分断し、別ものの二つに分けるから、
辻褄が合わなくなって行くのです。
これもへーローが頭上にあります。