ガードせよ、命をガードせよ。
ハヌカにこの歌を聞いてます。
この少年の歌声。美しい。
神の言葉、神の創造物は美しいと純粋に思います。
神の創造物は全て美しい、トーヴなのです。
この歌をイスラエルで、ドライブ中にラジオで聞いて
感激した事を思い出します。
私達は、神の似姿の人達。私達の生きる全てから、
神の香りが溢れ出る様に造られているのです。
自己像を、フィックス、修正、起動修正、視点を修正
すると、本物の人生が始まる。
今日の一日、宗教の教えではなく、神の言葉に繋がり、
私達の中からイエシュア=生ける水が流れ出る。
天の現実が映し出される、アバ父の優しさ、愛が溢れ出る
器である人である自己像で、一日を生きてみる。
自分を傷つける言葉を言い続けないのです。
偽の教えの言葉を唱え続けたら、私達は必ず迷路に迷い込む。
神の言葉だけに耳を傾ける。
あなたはだれ?とアバ父が言ってくれている声にだけ
耳を傾ける。アバ父は、あんたは罪人なんて言われない。
あなたは、私に属する、聖なるもの、雪よりわたしが白く
したと言って下さって居る。
自分は罪人と言い続けて一日中を生きたら、一体いつ
本物の自分で生きるスタート、練習を開始出来るのか?
と考えてみたら分かると思うのです。
嘘を聞入れば、迷うのです。
一生嘘に繋がれて、奴隷で生きる事、出エジプトしたのに
頭脳はずっとエジプト=奴隷のまま生きる選択をする事を
選ぶのでしょうか?考える。
奴隷=無割礼の頭脳=二心=神の目から見る事を
決して学ばない目、頭脳なのです。
神の言葉に向合い、考える。
あなたは、誰の言葉を信じて生きて居るのですか?
と言う質問に常に戻って行くのです。
蛇の声か、世間の混ざった教えか、それとも、純粋な
神の言葉、完了の業を頂いている事、本気で信じているのか?
それとも、疑い続けているのか?
私達イエシュアに出会った人達は、神の命の姿=イエシュア=
トラー=神の命を保存、ガードする役割を同じ様に与えられた
のです。
地の塩、世の光とは何の事を言って居るのか?と
元の意味を知れば、はっきり分かります。
神の言葉ー契約の命の姿を保存する人達、
神の宮、イスラエルの神の子らの姿は、
神が定義する中身。人の定義する中身ではないからです。
雪より白くされている私達。
その現実、実態通りを生きる。
神の似姿にされている事実に相応しく無い、
汚れや染みを取入れない、取込まないと決めて生きるだけ。