命のサイクル 神のモアデイム 主の日の中を生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

命のサイクルを生きる様に、神がデザインされた。

この世界を造られた時、神は月、星、太陽は、神の定めの日

モアデイム=主の日を司るため、その目的のために造られたと

書いてある通りだから。

神のデザインの、神の暦=主の定めの日の、

命のサイクルの中を人は生きる様にデザインされている

そう造られている。

 

あなたのこれが、包皮ですと教えられる。

あなたの本当の姿を覆って、新しい人で生きられない原因は

この死んだ包皮。

本当は自分から切り離されているのに、それに簡単に

覆いかぶされてしまう。

本当のあなたの姿で生きる事を、邪魔している原因はこれだよと言う事を、はっきり教えてくれます。

毎年毎年、一番大きな”妨害”ストロングホールド=強い縛り付け

根を教えて、それを削ぎ落とさせて下さる。

 

これは、本当です。神の暦の命のサイクル、定めの日を生きて、

周波数を神の言葉に合わせ続ければ、常に神の言葉に目覚めた

状態で居れば、神が教えようとしている事に注意を払い続けて

生きれば、必ず何を神が今年、今の時に

教えようとしているのか分かります。

神の言われる事は、事実、真実である事。

 

日常生活の様々な出来事を通して、アバ父は自分に何かを

教えてくださるから。

嫌だな〜、こんな事、こんな大変な問題が起きて。

こんな状況いやだ〜。こんな面倒な誰かとのいざこざ、

誤解されてしまったりと誰もがそれぞれの、生活の中で

直面する問題があるはずです。

 

そのややこしい難題や、又は日常の不快な出来事を通しても、

レッスンを受けさせられているのです。

特に身近な家族の中で、本物の自分を生きる練習をさせられる。

それを無視して通っては駄目。死んだ自分のままで、

考え、行動、対応しては、全然上達しない。進歩ない。

死んだ以前の自分と同じ、何も変わらないのは、

神のレッスンプランを、新しい人=別の弦で奏でる、生きる事をやり始めないから。

妨害は、大きいけれど、どう通り抜けたら良いのか、

教えてもらえる。

 

そして、誰かとの関わりで、本当に見える事がある。

”お互いがお互いの本当の姿を見えてない、聞く事ができない、

ズレている”ズレている関係の世界です。

 

これは、第三者が観察する時、顕著に見えます。

でも本人達は、気がつかない。

いや、1人が気がついても、相手が気がついてない場合、

それを伝える術が分からない。

コミュニケーション ブレークダウンと言いますが、

コミュニケーションが出来ない状態。

お互いにポールを只只放り投げつけているだけ。

受け取り、渡す事をしていない。

それで、言い争いや、どうでも良い様な事で、くだらない喧嘩に

大発展してしまう。果は決裂。普通に話し合う事が出来ず

いつも炎上してしまう。

 

でも、家族の中で、その様な事をしないように、

健全な関係を、関わりを保とうと、ズレに注意を皆が払っている

状態であったら、全然違う事が生み出されるのです。

 

これは、本当に練習が必要です。

チームワークの場合は、チーム全員の一致した意識が必要です。

自然と出来る人達も居る。

 

でも、それぞれ育った背景が違うから、一概に言えないのです。

なんで分からないんだろう?なんでこんな事するのだろう?

何でこんな事言うのだろう?なんでこんな酷いものを見せるのだろう?たくさんあります。

そう思っても、それは、その人の深いひずみや、

生い立ちや背景が分からない、理解出来ないからです。

どうして、今の様な学習した変形したこじれた人になって

しまったのか?それは、誰も批判出来ない。

 

いつも怒っている人。いつも人を誤解する。いつも文句ばかり

言う人。いつも人の欠点を探し続ける人。

色々な背景や、育った事情があるでしょうから、

簡単に人を批評などしてはならない。

自分がそうだったら、どうなるの?と考えて見る。

ある人は悲惨な生い立ちや、経験がある。

自分の親がアル中で、家庭内暴力をされて育ったとか。

又は、全く逆に、放置、ニグレクト、無視、無関心。

この両方とも、別の形であれバイオレーション、暴力です。

又は、異常な共依存で縛り付けられて育ったなどなど。

人には、見えない背後の要因があったりする。

神のデザインされた人の姿、関係ではないから。

 

それらひっくるめ、では自分は神の言葉、声に応答するのか?

と言う問いがあるのです。

神の完了の業が事実であるのだから、本物の自分=神の似姿に

造られたオリジナルの自分を、今から生きようと決めるのか

決めないのか、決断はその人次第だからです。

 

今が総棚卸しの日々。明日の29日の日没が今年2017年の

ヨム キプール=大贖罪日。

この日は、来るべき未来の、”最後の審判”のリハーサルでも

ある日なのです。このリハーサルに参加する事を

ずっとイスラエルの神は人々に呼びかけ続けているのです。

創造主であるお方がそう言われたら、

創造主である主が造られた暦が何より大事である事が

分かったら、その通りにしてみれば、

必ず大きな収穫があります。

 

レビ記23:26 

主はまたモーセに言われた、

 

23:27 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。

 

23:28 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。

 

大贖罪日が終ると、一転して、全部後ろへ!

嘆き悲しみ終えて、今度は喜びの季節を迎える。

仮庵の準備を始めるのです。来るべき1000年王国、

神の国に皆で住うリハーサルの宴会!!!

仮庵の祭りが始まる日は、丁度満月になる日。

ぶれていない。契約が再更新された印を天に見る。

見えない世界が、見える世界へ移行する様に、

神は神の造られた世界と、神の言葉を通して

様々に語りかけ、関わり続けて下さいます。

 

 

続く