シャバットは永遠不変。完了の業、福音の中心を生きて
神の言葉、神の仰せ、特別な出会い、レッスンを与えられている
神の子らである生きて体験する”印”=第七日目。
聖書の中に書かれている、事実から決してズレずに
神の言葉を読めば、見えて来る。
永遠不変の神の定めの日。人のためにこの日を設けて下さった
事実。
創世記 2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
出エジプト 20:8
安息日を覚えて、これを聖とせよ。
出エジプト20:10
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人も
そうである。
出エジプト20:11
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。
イザヤ56:4
主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで
、わが契約を堅く守る宦官には、
イザヤ56:5
また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――
イザヤ58:13
もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、
イザヤ66:23
「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。
マタイ12:11
イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。
12:12 人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。
マタイ24:20
あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
マルコ2:27
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
2:28
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
ルカ 4:16
それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
ルカ4:31
それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。そして安息日になると、人々をお教えになったが、
ヨハネ5:16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。
ヨハネ7:22
モーセはあなたがたに割礼を命じたので、(これは、実は、モーセから始まったのではなく、先祖たちから始まったものである)あなたがたは安息日にも人に割礼を施している。
ヨハネ7:23
もし、モーセのトラーが破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
ヨハネ9:14
イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
使徒13:14
しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
使徒13:27
エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。
使徒 13:42
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
使徒 13:44
次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。
使徒15:21
古い時代から、どの町にもモーセのトラーを宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。
使徒16:31
ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。
使徒17:2
パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
使徒18:4