神の言葉を誰も変える事は出来ない 神自身が時を指定している定めの日 終了期限無し | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットは永遠不変。完了の業、福音の中心を生きて

神の言葉、神の仰せ、特別な出会い、レッスンを与えられている

神の子らである生きて体験する”印”=第七日目。

聖書の中に書かれている、事実から決してズレずに

神の言葉を読めば、見えて来る。

永遠不変の神の定めの日。人のためにこの日を設けて下さった

事実。

 

創世記 2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。

 

 2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

 

 2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

 

 

出エジプト 20:8

安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 

出エジプト20:10 

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人も

そうである。

 

出エジプト20:11

主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
 
 
出エジプト31:13
「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
 
申命記5:12
安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。
 
申命記5:14

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

 

申命記5:15
あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。
 

イザヤ56:4 

主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで

、わが契約を堅く守る宦官には、

 

イザヤ56:5

また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――

 

イザヤ58:13

もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、

 

イザヤ66:23

 「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。

 

マタイ12:11

 イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。

12:12 人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。

 

マタイ24:20

あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。

 

マルコ2:27

 また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。

2:28

それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。

 

ルカ 4:16

それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。

 

ルカ4:31

それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。そして安息日になると、人々をお教えになったが、

 

ヨハネ5:16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。

 

ヨハネ7:22

 モーセはあなたがたに割礼を命じたので、(これは、実は、モーセから始まったのではなく、先祖たちから始まったものである)あなたがたは安息日にも人に割礼を施している。

 

ヨハネ7:23

 もし、モーセのトラーが破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。

 

ヨハネ9:14

 イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。

 

 

使徒13:14

しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

 

使徒13:27

エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。

 

使徒 13:42

 ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。

 

使徒 13:44 

次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。

 

使徒15:21

古い時代から、どの町にもモーセのトラーを宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。

 

使徒16:31

 ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。

 

使徒17:2

パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、

 

使徒18:4
パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。
 
 
コロサイ2:16
だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
 
ヘブル4:9
こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。
 
聖書の事実、真実、神の言葉だけに戻る場合、神の定めの日の
シャバットが2000年以降変更になった記述はどこにも無い。
人の教えを信じ信奉し、仕えるのか、神の言葉を信じるて、
神の言われる事だけ聞き入り、神の言葉の中からだけ生きるのか?で、自分のそして回りの世界が変わる。
 
神の御名=実態=を高く掲げよとは、天の現実=神の言葉の
事実を、地上でそっくりそのまま神の言われた通りを生きる事、
目に見えない天の現実=神の実質を地上で現す事。
本体と影。
それが地の塩、世の光の役割。
 
Shabbat Shalom