過去の日本でもそうですが、生まれた赤ちゃんが大きくなる前に病気で何人も亡くなると言うのが普通の事であった事。
病気、事故、怪我などなどで命が奪われる世界。
今の様に病院で、手当や手術など無い世界。
怪我などして、破傷風で死ぬ。
肺炎になれば、直ぐに死ぬ。
骨でも複雑骨折した場合には、一生そのままです。
出産でも命を落とす事もある事が聖書にも書かれています。
古代はハウス栽培なんてものは無いですから、
本当に天候と雨でも降らなければ、作物が実らない。
缶詰や冷凍庫、冷蔵庫なんて無い世界。
とにかく、生ものなど保存出来ない。
食べ物が無い、イコール死を意味する世界です。
飢饉でヨセフの家族がエジプトに上って来て食料を
買ったと言う事態が、ひん死状態にさらされていたと
言う事であった事も見えて来ます。
食べ物無いと言う事は、死を意味するからです。
聖書の書かれた古代中東の世界は、とにかく皆が
なにがしかの”エロヒーム”=神々を信じていたのです。
今の様に、無神論なんてものは無い世界。
誰もが、神々を信じ、何の神かは別として、
神がこの世界を造られた事、この世界が
どんな構造なのか皆知っていた。
その証拠に、どんな宗教=神々を信じている
どの人達が描いた世界の図は、全て”アイデンテイカル”
それぞれ同じ、同一の絵図なのです。
古代は常に死と隣り合わせです。
サバイバルが一番の問題。命が一番の問題。
明日も生き延びられるのかも分からない。
命があるのか、無いのか分からない。
この国が存続して行くのかも分からない。
明日は敵が侵入して来て、殺されるかもしれない。
雨が降らなければ、食べ物もの無くなる。
詰まり、今より”生きる”と言う事に於いて、よりもっと
”神”により頼まないでは、生きて行けないと言う
切実、切羽詰まった状態が身近だった世界の
出来事が書かれているのです。
現代の様に、神なんて忘れていても、普通に物理的には
生活出来る。
仕事あり、屋根のある家に住んで、普通に毎日食事も出来る。
コンビニに行けば夜中でも食料が手に入る。
そんな世界とは全く違う世界が書かれている。
その中で、聖書が書かれている事を知ると、
いかに神により頼むと言う事がどんな事だったのか、
見えて来るものがあります。
続く