ガリラヤ湖で神の言葉を聞く訓練 ルカ5章 ヨハネ21章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ルカ5章の出来事。

ヨハネ21章の出来事。

 

この二つの中には、類似した出来事が書かれています。

 

そして、クリアーに見えて来る事は、

人間の作戦、努力、方法で、頑張りする事は、

実は困難で難しく、ややこしく、

主の言われる事を”聞く”シャマー、

言われた通りをする、この路線に乗っている時は、

困難ではなく、艱難の中でも、普通に進める鍵が、

書かれていると思います。

 

キーポイントは、”主の言われた通り”を全部分からなくても、

敢えて神がそう言われるのだから、その通りにやってみる、

言動、思索、行動すると言う事。

思索=祈り、言動、行動これらは全てワンセット。

どれが欠けても意味が無くなります。

神の言葉を聞いて、その通りに信じて、そう生きる、行動する。

 

”従う”と言うヘブライ語の言葉は、シャマー。

ギリシャ語はフパコウ。

この本当の意味は”聞く”と言う言葉です。

”従う”=神の言われた事を聞く=聞いたらその通りにするのが

妥当、だから従うと訳されていますが、ひっかかりのある

翻訳だと思います。

日本語や英語だと、”従う、従順、服従”などと訳されていますが、大変抵抗感じる、違和感ある言葉になっています。

無理矢理力づくと言う様な感じ。無理強いさせられる様な

なんか力に抵抗出来ない感じ。

でも、全く違う。波に乗るのと同じ。逆行しなければ、

そのまま乗れる、流れに乗れる。

 

翻訳聖書を読む場合、必ず壁があります。

元の意味が分からないまま読むのと、そのままの意図で

読むのには、違う世界が開かれている事に気がつけるからです。

単純に”聞く”と訳す方が意味がピッタリです。

何の抵抗も無い。

神の言葉をその通り、意図通り素直に聞く。

 

神の言われる事を聞けば、なんと難しかった事、

一晩努力しても、魚が全然かからなかった事、

でも神の言われた通りをそのまましてみたら、大漁だったと

書いてある通り、神の言う通りを、疑わないで、そのまま

信じて、してみれば良い事が分かります。

神は常に1人1人に、トーヴ=神の意図通りに最善を

して下さいます。たとえ、それがその様に自分の目には

見えなくても。

簡単な事のに、自分の中身を直視すると、

実は本当は心底信じていない事が見えて来ます。

まさか〜そう言うけどね、もっと違う道さ〜

もっと困難と人間は自分の作戦に乗り換えて行く。

 

神の言葉に逆らう事、又は、人間の教えや努力を付け足すと

屯でもない徒労になってしまう事も見えて来ると思います。

 

神の言われる事は、そんなに難しい事でも何でも無い。

完了の業で私達はその実態を生きられる様に、してくださって

いるから。神デザイン通りの、人間の姿を生きられる。

自分の考えや、思いではなくて、まさか〜そんな単純な?

もっと難しく、荘厳で固くて、楽しくちゃだめ、もっと努力、

もっと付けたし、活動、色々しなくちゃ。

苦難じゃなくてはとも、思っている。

 

だって一晩苦戦したのに、魚一匹取れないのにと思うのか、

いや今一全部リセットして、神の言葉の通りだけに生きようと

する場合は、この通り大漁。何倍にも実が熟して行くとある通り。

イエシュアの言われた通りをした人だけが、水がワインに変わった奇跡を体験した。

全部、なんかウそっぽい。そんな馬鹿な〜こんな簡単な事で

良い訳?て思う事を、その通りにした人達は、実態を

手に入れる事が書かれていると思いました。